八、『凛として』
凜は街の人間の助けを拒否して自分で何とか起き上がり、走って街の宿屋に向かった。
……あんな奴ら、悔しいけれど、僕たちじゃどうにもできない。強過ぎる。だってそもそも、僕以上の強さの能力者は、こちら側にはいない。――けど、このままじゃ、達兄は取り返せないし、優香姉はあいつに取られちゃう。
それだけじゃない。
これから僕らはずっと、あいつらの言い成りになって暮らさなくっちゃいけないのか。あいつらに取られるばっかで、それでも我慢してなくちゃいけないのか。やりたい事も出来ず、欲しいものも全部取られて、つらくても、悲しくても、死ぬまで耐え続けなきゃ駄目なのか。
そんなのは、絶対に嫌だ。
僕は何とかしたい。何とかしなくちゃならない。
それでも、僕にはどうしようも出来ない。
頭の中で、いろいろな思いがぐちゃぐちゃに混ざり合って、顔も目頭も熱くなり、頬を涙で濡らしながらそれでも凜は、涙を風で拭い去るように全速力で走り続けた。
宿屋の女将に挨拶も無しに入り、いきなり駆け上がって、勢いよく目当ての戸を開けて、
「綾音さん! 美矢実さん! どうかお願い! 助けて!!」
と精一杯叫んだ。
中には、セーラー服姿の美矢実がいて、白髪を躍らせ、鏡台を前にご機嫌でくねくねとポーズを取っていた。
「返事も待たず勝手に女の子の部屋に入るなんて、礼儀のなっていない子ね。何ならここで躾けてあげてもいいのよ」
美矢実はセーラー服(凜にはこれが何か分からず、変な袴だなぁくらいにしか思っていない)のまま窓枠に腰かけ膝を組み腕を組み、畳に額づけて縮こまる凜を見下ろしている。
「それと、今綾音は出かけているわ。旅立ちの用意をしなくちゃいけないからね」
旅立ちと聞いて、凜は弾かれたように急いで顔を上げた。と、その高さでは丁度、凜の視線を、美矢実の組んだ足が待ち構え、スカートの中身が見え、青の横縞のパンツ(これも凜は、見馴れない何か変な下着としか思ってない)がちらりと覗けた。美矢実の頬に紅がさっと差し、
「こんのスケベガキィ!」
と熱り立って立ち上がり、足で凛の頭を踏みつけて、ぐりぐりと畳の上に凜の額をこすりつけた。
「あががががが! わざとじゃないの! わざとじゃないから!」
「ッたく、油断も隙もあったもんじゃないわね」
美矢実はフン、と顔を背け足を離し、頬の赤いまま、
「で、何か火急の用かしら。随分息せき切って走ってきたみたいだけど」
と見下ろした。凜はやっとのこと、こんなことをしている場合ではないと思い出して、
「領主に達兄が捕まった! このままじゃ、きっと優香姉も一緒に連れていかれちゃう! お願い、どうか助けて欲しいんです!」
と全身全霊で叫んで、頭を下げた。……しかし美矢実は、実に平常通りの態度だ。
「何で?」
と冷たく突き放した。美矢実の言葉に凜は……顔を上げることさえままならなかった。
「何でって……あの……その……」
「何で、私があなた達の為にタダで働かなくちゃいけないのって言っているの。あなたみたいな子供が報酬を用意できるわけがないし、そもそもその発想も無いでしょう? 誰かをタダで働かせる。そのことの意味を、全然分かっていないでしょう」
「でも……昨日は助けてくれたのに……」
凜の声は段々と小さくなる。美矢実ははあっと大きく溜息をつく。
「あれは綾音が勝手にやったこと。私は綾音を助けただけ」
「……じゃあ、綾音さんに頼んで……」
「……無駄よ。昨日のは綾音一人でも何とか出来たことだもの。それに私が少し手を出しただけの事。……あの堅牢な城を襲うとなれば、二人で、それ相応の準備をしなければならないわ。二人で仕事をする時は二人両方納得しなければならない、そういう約束でやっているの。報酬が、こんな『おもてなし』程度だったら、綾音がいくら頼みこもうと、私は頷かないわ」
「でも……でも……それじゃ、僕らは……」
「くどいわ。報酬が用意できないのなら、帰りなさい」
美矢実は流れるような美しい白髪を手で梳いて、冷たく美しい黒い瞳で凜を見下ろした。
凜は、恐らく人生で初めて絶望の味を知って、自然と涙が出た。
糞。何だよコレ、何で僕が説教されなくちゃいけないんだ。僕はただ、達兄と優香姉を助けたいだけなのに。……報酬を用意しろだって?
何も知らないくせに。お金なんて全部、強い奴に持って行かれちゃったよ。
じゃあ、何だ。お金を貯める為に強くなって、強い奴にお金を払って。――強い奴を懲らしめる為には、強くなって自分より弱い奴からお金を巻き上げなくちゃいけないのか。
弱い奴は結局、自分よりも強い奴に、ずっと何かを奪われ続けないと駄目なのか。
そんな悩める凜に向かって美矢実は、
「何よ今更。この乱世は強さが全てよ。ま、そもそもあの達也って奴が弱いのがいけないのよね。女に惚れた所で、守る強さがないのでは所詮ガキのママゴトと同じよ」
と更に冷たい言葉を投げつけた。
その氷のように冷たい言葉は、凜を沸騰させるのに十分だった。
凜は目を剥いて歯茎から血が出る程に歯噛みし、可愛らしいを瞳の眉尻を吊り上げて、美矢実を睨みつけた。すると周りの畳が三枚、ふわりと浮いて、美矢実に向かって猛スピードで突進した。
凜は、美矢実の長い白髪が、怒り狂ったように逆立ち乱れるのが見えた。気がつくと、一瞬で畳が木端微塵に切り刻まれ、凜の首元すれすれに美矢実の刀が置かれていた。
「別に、この刀をすっと横にずらすのくらい、わけないのよ? 綾音とは根本的に違うの。子供が死ぬのも、子供を殺すのも、別に、何とも思った事が無いの」
美矢実の、先程までとはまったく打って変わった、金色で猫の様に瞳孔が縦にすっと入った、全てを見通しているような瞳が、凜のすぐ目の前にあった。
どさどさと微塵になった畳が床に落ちる。凜は、そんな音も耳に入らないくらい呆然自失していた。美矢実はにやりと目を細め、その耳元でそっと囁く。
「あんた、あの優香って女が好きなんでしょう?」
その声は凜の鼓膜を確かに震わせて、刺すような刺激と共に脳まで届いた。
「あの女を助けた所で、あんたのものにはならないわ。助けようと見捨てようと、どうせ同じよ。どんなに腕を伸ばしても、空を掴むばかりで、あんたの掌中には何も残らない。……それならばいっそ、視界から消えてくれた方が楽になるわ? そう思わない?」
美矢実はにっこりと無垢な笑みを浮かべた。
凜は、反射的にその頬を、平手で思いっ切り殴っていた。
パシンと乾いた音が部屋の中に響く。
始め、自分のやったことに驚いて放心状態の凜だったが、やがて我に帰り、美矢実を強気に睨みつけて、
「もう、いい!! あんた達なんか、絶対に頼らないッッッ!! 誰も助けてくれないのなら、僕が行けばいいだけだ!!」
そう覚悟し、走って部屋を出ていった。




