九、『どうやら、やるしかなさそうです』
部屋に取り残された美矢実は、疲れたように、ふうっと大きな溜息を一つついて、剥き出しの床にどっかりと座った。
そして、目を瞑る。
美矢実の瞼の内に映るのは、美矢実らの強さにすがることしか出来なかった、弱い者たちの顔だ。
――私は、弱い奴が嫌い。
強い奴に守られるのが、さも当然だって顔して、すがって、平気で足を引っ張って。あいつらの所為で私や綾音が命の危険に晒されたのは、一度や二度の事じゃないわ。
私はね、もう懲りたの。私は、私の為に生きる。ちゃんと損得を考えて行動する。
冷たいって言われてもいい。自分勝手だって言われてもいい。
……第一、『自分勝手だ』なんて、簡単に他人に言う奴ほど、びっくりするくらい自分勝手なことが多いのよね。家に鏡がないのかしら。
ま、そーゆーわけで、残念だけどあんな子に感けてる暇も余裕も無いわ。凜とかいう坊主、諦めなさい。私は、そう決めちゃったの。
決めちゃったけど……でもなぁ。困ったことに、いくら私がそうやって決めた所で、私がそうやって懲りた所で、いつまでも懲りない奴が近くにいるのよねぇ。
美矢実は、はあっと深い深い溜息をついて、窓から空を見上げた。先程まで青一色だった空は、嘘のように白く染まっており、みぞれでも運んで来そうな分厚い雲に覆われていた。
「ああ……絶好の仕事日和じゃない……」
そう、諦めたように虚空に呟いた。
うちの弟は残念ながら、私に楽をさせてくれるような奴じゃないのよね。
誰も助けてくれないのなら、僕が行けばいい。
凜は、そういう覚悟をして威勢よく飛び出したはいいが、具体的にどうしたらよいかは決めていなかった。『潜入して領主・忠長を殺す』以外には特に何も考えが無かった。
とぼとぼと、平太によって半壊にされた自分の家に帰ってきた。凜には、達也以外に家族がいない。一人、誰もいない部屋に、あても無く座り込んだ。
とはいえいつまでもこうしていられない。取り敢えず、武器となるものを探す。棚の奥にしまっておいた、懐刀が一刀と、台所の包丁が一本。心許ないが、無いよりは遥かにましだろう。
それに自分にはこの〈能力〉があると、その自信が彼にはあった。彼は平太との勝負の敗因を武器に求めた。
さっきの戦いで僕は、そもそも大した傷を付けることが出来ない石ころ以外に、攻撃手段がなかった。だから簡単に止められた。でも懐刀だったらそんな心配はない筈だ。
うんうんと力強く頷いて、自分の考えを肯定する。
潜入だしあんまり持って行けられないわけだけど、でも、うーん、他に何かないかな。
不図、先程美矢実と対峙した時の事を思い出し、畳に手を置き、じっと集中する。
すると畳が二枚、ふわりと浮かんで、キッと壁を睨みつけると、ドサンとそこに当たった。
これには、凜自身も驚いたらしく、目を丸くして口をポカンと開けた。
今まで持ち上げたり操ったり出来るのは、せいぜい石の重さ程度だったのに……。さっき美矢実って人に腹が立った時、何か僕の中の堰が切れたのかな。分からないけど、でも都合がいいや。これを武器にしよう。
一応、あの美矢実って人には感謝しておこう。嫌な奴だけど。
さて、潜入方法だ。どうやって領主の許に近付いたらいいのやら。
悩む凜の許に、丁度良く街の者らの声が届く。
「――ってことで、どうやら平井の所、自分の息子を領主にやったらしいな」
「ああ、噂にゃなってたが、どうやら本当らしいな。まったく、てめえの実の息子を他人に売るなんざ、マトモな親のすることじゃねえぞ」
これだ。と凜は閃いて、母の形見の鏡台の棚から化粧道具を取り出す。
「簡単な事です、私が領主の許に行けばいいのでしょう」
達也が領主に捕まったと聞いた時、優香はそう覚悟した。報告に来た者たちは、優香の言葉に二の句を告げず、皆一様に黙り俯いてしまった。
優香は、自分が犠牲になると言うのに、にっこりと笑って、
「いいのです。命まで取られるわけではありません。生きていれば、いい事なんて山ほどあります。達也さんにだって、きっといい人が現れるでしょう」
と逆に自分から励ますような事を言った。その言葉に、明るくなるどころか、街の者は悲痛な顔で優香を見つめ返した。優香は苦笑して、不図、気付いたように首を傾げ、
「それより、凜はどうしましたか? きっと心配しているでしょうし、安心させてあげないといけません」
と聞いた。そこに集まった者は誰も、凜の行方を知らなかった。
筵の上で日長横たえる、みすぼらしい身なりの男は、陽がやがて落ち行くのを見て、視線を落とし、欠けた汚い茶碗の中に銭が全く入ってないのを見て、深い溜息を一つ。
今日はもう帰るか、と誰に聞かせるでもなく呟いて、筵を畳み、雨風だけでもしのげるいつもの廃屋に戻ろうとしていた。とそこへ、
「ねえあんた、銭が欲しくない? いい仕事があるんだ」
と言う、生意気盛りの子供の声が後ろから聞こえた。冷やかしだろう。そう考えながら溜息交じりに、
「坊やよ、銭は大事に使いな。今のあんたにゃ分からんだろうが、銭ってもんは有る奴の所に集まって、無い奴の所からはどんどん逃げていきやがるんだ」
「説教を聞きに来たんじゃないよ。手伝うか手伝わないか、それを聞きに来たの」
「……チッ、こっちが物乞いだからって、餓鬼が調子付いて――ッ!?」
その男が舌打ちしながら振り返ると、小奇麗な衣装で着飾った、女のように化粧をした、と言うか女の子にしか見えない子供がいた。
「僕をあんたの息子って事にして、領主に紹介してくれるだけでいい。それであんたは銭が貰えるし、僕は領主の許へ行ける」
狼狽する男を前に、凜はその名に恥じない凛とした顔つきで、堂々と背に夕日を受け仁王立ちしていた。




