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あるだけ盗め!  作者: けら をばな
第一章・音もなく盗め
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十、『月もない闇夜だというのに』

 陽は既に山の陰に隠れ、天の分厚い雲は、西側は微かに桔梗色を保っているが、東側はどす黒く、とっくに夜の闇を受け入れていた。その陰鬱な曇天の空模様の下、この小谷(おだに)の街の一角が、俄かに騒然としていた。

 買い物から帰ってきた綾音は、その騒ぎ立てているうちの一人にわけを聞いた。

 何と、凜が帰って来ないと言う。序でに達也が連れ去られた事も聞いた。

 綾音は嫌な予感がして、急いで宿屋の美矢実の許にまで戻ろうかと思ったが、それよりは優香の許へ行った方が良い気がした。当の家につくと、優香は青ざめた表情で俯いていた。

 あまり刺激を与えないように少し距離を取って、

「凜がいなくなったと聞きました。あの、どこか心当たりはないのですか? 僕も微力とはいえ手助けしたいのですが」

 と聞くと、沈鬱な顔を上げ体を震わせながら、

「ありがとうございます。でも……心当たりは、既に一つを除いて全て捜しました。それでも、どこにもいないのです」

「その一つというのは、まさか」

「……無鉄砲なあの子の事です。領主の許へ、達也さんを取り返しに行ったなんて事が……」

 そしてまた項垂れる優香。綾音は何か励ましの声をかけようと言葉を探したが、どれも一時の気休めに過ぎない事に気付いて、口を噤んだ。

 そこへドタドタと大きな足音を立てて大きな男が息せき切って走り込んで来て、

「優香さん! 化粧をした、凜っぽい子が、浮浪者と一緒に城に向かったって!!」

 と叫んだ。嫌な予感は見事的中。当たったからと言って勿論まったく喜べない。優香の顔は真っ先に絶望の色に染まり、次に綾音は怒りに目を尖らせ、人殺しの顔に変じた。

 凜を今すぐ助けに行く。

「――駄目よ」

 その綾音の決意を遮るのは、遣戸に身を凭れる美矢実の、背筋も凍りつく程冷たい声。

 綾音は人殺しの、刺すような視線をそのまま美矢実に注ぎ込む。美矢実の瞳は一瞬で金色の猫の様な瞳に変じて、綾音の視線を、まるで蜘蛛の糸を絡みつけるようにして勢いを殺す。

 不図、美矢実の瞳が『悪い様にはしない』と微笑みかける。そして綾音から視線を外し、一度目を閉じ、元の黒の瞳に変じて、その視線を優香に投げかけて歩み寄る。

「悪いわね。こっからは、オシゴトの話になるわ。いくらあなたの所の弟が命の危機だからって、ロハで引き受けるお人好しはいないわよ。お人好しって言うよりは馬鹿ね」

 ちらりと綾音を見やる。綾音は素知らぬ風に視線を逸らす。美矢実は優香に視線を戻す。

他人(ひと)の為だからって他人(ひと)にタダ働きを願うなんて、他人(ひと)の生活を馬鹿にしているって、そう思わない? だから、私はあなたに正当な対価を求めるわ。……さあ、出しなさい。街中の〈能力者〉を一堂に集めたあのご立派なお城から、私達たった二人だけで、子供と男を助け出すと言う、何とも無茶苦茶な頼みごとに対する、真っ当で正当な対価をね」

 美矢実は優香に吐息もかかる程ぐっと近づいた。優香は恐怖に震えていた。先程までの、凜が消えたと聞いてから感じた恐怖とは、もっと別のものだった。もっと鋭くて、不気味で、複雑怪奇で、そして単純に恐ろしかった。

「あなた達は……一体……何者なのですか……」

 優香は聞かずにはいられなかった。この美矢実の瞳と言い、先程の綾音の瞳と言い、尋常の旅人とは纏う雰囲気がまったく異なっていた。

 その質問に美矢実はさもつまらなそうに顔を離して、

「私達は、ただの〈盗賊〉よ。賊と言っても二人だけだけどね」

 と答えた。その答えに優香がうろたえるのも構わず、

「さ、さっさと言いなさい。夜になるわ。その前に、言いなさい。あなた達に何が出せる?」

 と聞いた。

 美矢実の炯々とした瞳は、優香の思考から疑念や躊躇いを奪った。

「……城にある物を、全部あなた方に差し上げます」

 そんな言葉が無意識に口を衝いて出ていた。

 美矢実の口の片端がにやりと上がる。

「あら、私達は盗賊よ。盗むのは当然として……城の物は、あなた達の物じゃあないでしょう」

 はっと我に帰った所でもう遅い。既に、言ってしまった。美矢実はまんじりとこちらを見つめている。取り返しのつかない所まで来た。覚悟を決めて、気圧(けお)されないように睨み返す。

「元はと言えば、城の物は私達の物です。力で奪って行ったものです。本来なら、私達の許にあるべき物です。……金の屏風に、(らく)茶碗(ちゃわん)、宝石の類も決して珍しくありません。それを、あなた方に差し上げようと申しているのです。何か不満がありましょうか」

「……あら。不満なんて無いわ。特に宝石は大好きよ」

 美矢実は、笑った。

 金色の、瞳孔がすっと縦に入った猫の様な瞳で。

 優香の背を汗が一筋すっと縦に流れる。美矢実はその瞳を隠すように閉じて振り向き、

「綾音、先に用意して待っていなさい。私もすぐに行くから」

 と言った。綾音は返事もせずにすぐさま外へ出て、風となって音と共に走り去った。

 美矢実も続いて、夢遊病者のようにふらふらゆっくりと外へ出て、やがて黒くなりゆく西の空に手を伸ばし、金色の瞳のまま、さも嬉しそうに仰ぎ見た。

「私に、城の物を、全部盗めと、そう言うのね。こんなに夜が騒がしいのに、闇が嬉しそうに『おいでおいで』をしているのに、あるだけ盗めと、そう言うのね。なんて怖い人、それでいてなんて愉快な人……」

 優香は、美矢実の口から夢心地に発せられるその言葉の意味を、何一つ一切解せなかった。ただ不気味なものを見る怪訝な目つきで、美矢実の不可解で、その空恐ろしい仕草をじっと見つめていた。

 不図、美矢実は振り返り、優香と目を合わせる。

「昨日、野党どもがこの街を狙っていたわ。城が守ってくれているうちはいいけど……もしも城が全部盗まれたと知ったら……どうなるかしらね」

 美矢実の瞳が三日月状に笑った。優香は、今度はその言葉の意味をはっきりと理解し、戦慄した。

「闇夜だと言うのに、月も無いこの闇夜だと言うのに」

 空は全て闇に支配され、美矢実の真っ白な髪も墨色に染まった。青ざめる優香をよそに、美矢実は暗闇に這い入って、地を蹴る音のみを後に残した。


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