十一、『はい、プロローグの場面の続きです』
明かりを消し、門守を殺し、後に来た護衛も殺し、闇に溶け、音も無く、完璧に確実に、誰にも覚られることなく突き進む、闇夜に染まる二つの影。
その後も城郭をひたすら走った。警備の者が未だ幾人もいた。
だがその二つの風が通ると、音も無くその全ての命が闇に溶けた。
後の残るのは、離された胴と頭や、真横に真っ二つにされた体や、頸動脈だけを綺麗に切られた死体など、ただのモノ以外に何も残っていなかった。そしてそのモノさえも、闇の餌食となっていた。
果たしてそれらが、せめて朝日に照らされ、救われることがあるのだろうか。
「そんじゃ、あんたは上に行きなさい。私は下に行くから」
美矢実は、城の本丸入り口辺りで、二人で五人の護衛を同時に殺し、そう告げると、目を見開いて、闇を見て、地下牢への道を探し、見付けたと同時に音だけを残し暗中を走った。
美矢実が離れると丁度、雲の切れ間から月の光が這い出し、綾音を照らした。
丁度その時、美矢実の駆ける音に気付いた者たちが三人本丸の中から出て来て、黒装束を纏う、どこからどう見ても曲者の綾音を見付け、
「曲者か!!」
と叫んだものの、それもまた声にならず、綾音は懐から出した、女の髪の毛で編んだ真っ黒な紐を括りつけた分銅を投げつけた。一人はその分銅に当たり脳漿を飛び出させ絶命、もう一人はその紐を器用に首に巻き付けられそのまま折られ殺され、残りの一人は、あたふたしている所をグンと一瞬で近付かれて、綾音の左手に持った小太刀でそっと頸動脈をなぞられ殺された。
ここからは別行動だ。
綾音は小太刀に付着した血をぴゃっと払い、息を大きく吸って身を引き締めた。
美矢実は走る。その後ろには首なしの死体が、ごろごろと倒れていて、その首から上は皆、呆気にとられた、自分が殺されたことが信じられないような顔で転がっている。
この者らは皆、強弱の差はあるものの、確かにそれなりの〈能力者〉である筈だった。
街では圧倒的な力を持ち、搾取する側の筈である。
それなのに、誰もがその自慢の〈能力〉を披露することなくばたばたと斃れている。
――他愛ない。なんて詰まらない。
美矢実が暇そうに溜息をついてしまう程に、力に開きがある。
駄目ね。てんで駄目だわ。街中の猛者を集めたなんて言っていたから手応えがあるだろうと期待していたのに、悉く浅い奴らだわ。私はもっと、深遠で、どくどくしていて、大きく壮大な〈闇〉が見られると思っていたのに、完璧に期待外れ。
結局こいつらにとって〈能力〉は、相手の頭を下げる為の装飾品でしかなかったのよね。だから優香とかいう女を攫いに来たあいつらのように、己の〈能力〉を誇り、ひけらかし、それを研ごうと思わない。……あーあ、可愛そうな人たちね。
この世界はね、のほほんと安寧を享受できる、そんな理想的な世界とは程遠いのよ。
……分かってんの? 綾音。
と、美矢実の足がぴたりと止まる。どうやらここが終のようだ。
円形の仄暗い石が敷き詰められた広間には、拷問用の縄・しばく為の棒・尖った木馬や、石抱き用のでかい洗濯板が鎮座して、小さな蝋燭に照らされていて、鉄格子で仕切られた幾つもの部屋が円形の広場の縁に沿って配置されている。どこから見ても拷問部屋。そんな部屋を、闇を切って鉄格子の向こうを一つ一つ見渡す。すると、見知った顔が発見された。
「あららら、また随分と痛めつけられたみたいね」
達也の姿を見て、美矢実は苦笑。その服は血に滲み、ぼろぼろに破けた所からは青痣が幾つも見え隠れして、肩で息をしながら床に這いつくばり、瞼に血が溜まり瘤ができ、碌に開かない瞼の隙間から美矢実の姿を捉えて、腕で懸命に体を起こし支え、美矢実に向かって何かを伝えようとしている。眉をひそめ、
「え、何?」
と首を傾げた所に、真上から金棒が打ち下ろされた。
ドゴォン!!
床石が叩き割られる音が広間を震わせ、地下牢全体が共振する。
達也が叫ぼうとして、声にならない声で呻いた。砂埃が舞い、広間一面に霧が舞ったように視界が曇る。が、それもすぐに止む。金棒が、固そうな床石を、豆腐でも叩いたかのように微塵に砕いていた。その下には、美矢実のぐちゃぐちゃになった死体が……ある筈だった。
そこには、粉々になった石と、剥き出しになった土くれ以外には、血の一滴も滴ってはいなかった。
「あらららら。直前まで気付かなかったわ。なかなかいい動きするじゃない。感心感心」
上から飛んできた巨体・加藤平太の後ろに陣取り、長い白髪を左右にゆらゆら揺らし、金色の猫のように瞳孔がすっと縦に入った瞳で見つめる、美矢実の姿。
平太はにやりと笑って、振り返り、
「あんたもね。オンナってモンの認識を改めねえといけなそうだ」
軽々と金棒を担ぎ上げた。美矢実もにんまりと平太の笑みに応え、腰から鞘ごと刀を引き抜き、じりじりと、二人の距離を縮めた。
と、平太が飛んだ。
――ッ!? 速い!!
ビュンと上から飛んできた金棒を、頭に届くすんでの所で、鞘に差したままの刀で止める。
衝撃が床にまで伝わり、びりびりと辺り一面を軋ませる。歯を食いしばり耐える。
すると平太は金棒をすぐに引き、一回転して、今度は美矢実の脇腹を狙って金棒を振る。
その平太の動作が大きかったお陰で、今度は多少なりとも余裕をもってそれを防御する事ができた。が、踏ん張る力はなく、美矢実の体は、ふわりと木の葉の様に宙を舞い、鉄格子目掛け吹き飛んで、ガシャンと当たってドサリと落ちた。
「……へえ、本当にしぶてえ野郎だ。いや、野郎じゃ無かったな」
平太は感心しながら呟いて、ふらつきながらもゆっくりと確実に立ち上がる美矢実を見つめていた。
美矢実は、にやりと笑いながら、ふらりふらりと左右前後に、蝋燭の明かりの揺らめきと同調して、ゆっくりと不気味に揺れる。その白く長い髪の毛の一本一本は、蝋燭の色を吸って赤く煌めきながら、美矢実の体に引っ張られて混沌と(カオスに)靡く。
「ほう……。俺は女に限らず人の器量ってのに疎いんだが、成程あんたみたいのが、美しいって言うんだろうなァ」
頬をぽりぽりと掻く平太の、惚けた物言いに、美矢実はにっこりと嬉しそうに笑って、
「あらあら。お世辞でも結構嬉しいわ。あなたも、筋が良いと思うわ。結構深い闇を見ている。尋常の人間とは比べ物にならない程のね。……でも、やっぱりまだ浅いわ。もっと深い、混沌とした闇を見せてあげる」
右手をすっと横に上げると、地下牢の明かりが一斉に消えた。
何と!!
平太は驚きながらも、さすが百戦錬磨の豪傑、いたって冷静だった。
彼の能力は〈筋力増強〉。
その能力を駆使して、瞳の瞳孔を一瞬でいっぱいに開き、暗闇から一片の微かな光を見逃さぬように必死に探し、同時に耳を澄ます(こちらは筋肉増強は関係ない)。
どこだ? どこから来る? そして、あの女は暗闇でも目が利くのか?
いろいろな疑問符を脳内に閃かせながら、次の手を考えつつ、闇から光を探す。
不図、きらりと光る何ものかが見えた。そこに視線を集中、凝視する。
闇から光を吸ってきらりと光る幾筋かの長い線と、暗中にぼうっと仄めく、金色の円。
髪と瞳だ。
平太は大きな口をいっぱいに広げ、笑い、
「そこだ!!」
とその光を目掛け、思い切り金棒を打ち下ろした。
ぐしゃり。
手応えあり。湿った音と同時に、頭(らしき所)から赤い血が噴き出すのが、その暗中に、しっかりと見えた。
ドサリと人が斃れる音がすると、広間の明かりが一斉に点いた。
赤い赤い蝋燭が、赤い血でべったりと塗れた美矢実の体を、更に深紅に染めらせる。その体はぴくりぴくりと痙攣するばかりで、起きる気配は全くない。
平太はおかしそうに笑いだす。
「くけ! けけけけ!! 面妖な術を操ったかと思えば、何ともまあお間抜けな最期だ!! せめてその白髪だけでも染めておればよかったものを! 己のその光に靡く髪を気に入っていたのかも知れんな、それで命を落とすとも知れず、憐れなものよ!! 所詮は女と言うことだな!!」
平太はピクピクと痙攣する深紅を見下げて、楽しげに笑い続けた。
「あら、酷いわね。さっきは美しいなんて言ってくれた癖に」
女の声が広間に響いた。
平太の笑い声が消え、顔から血の気が引いた。
どういうことだ? これは、確実に、さっきの女の声だ。いや、まさか、未だ生きていると言うのか? ……そんな筈はない。先程俺に頭を思いっきり叩き割られて、血が、脳が飛び出して、そこに転がっているではないか。これが、生きている筈が、――
美矢実が、ゆっくりと起き上がった。頭は割れ、脳が飛び出し、血をだらだらと滴り落としながらも、立ち上がって、ゆらりゆらりと蝋燭の焔のように左右に揺れ、平太を見て、にやりと笑った。
平太の顔が引きつって、一瞬で青ざめたが、この赤い蝋の光の中ではそれは分からなかった。
震え、怯え、金棒を担ぎ、一回転しながら、脇腹に強い一撃をお見舞いした。
衝撃で肋骨が飛び出し、腹が割れ、内臓が吹き飛び、体を横にくの字に折り、背骨をボキボキに砕いた。
……今度こそは死んだであろう。
平太ははあはあと肩で息をしながらそう確信しながらも、しかしどうしても不安で、目を充血させながら、じっと死体を見つめる。
……笑っている。
楽しげな声を広間に響かせながら、口を半月状に開けて、体全体を震わせている。
それを見て、平太も体を震わせた。美矢実とは対照的に、その巨体を震わせるのは勿論恐怖である。
死んだ筈の美矢実目掛けて、金棒を何度も何度も振るい、叩きつける。ぐちゃりと、トマトを潰したように鮮血が飛び出し、内臓が飛び散る。
しかし美矢実の笑い声は止まらない。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、金棒を打ちつける。涙目になりながら、一心不乱に叩き潰す。
最早、人間としての形を残していない美矢実だが、笑い声は消えず、ぐちゃぐちゃの内臓が、粉々の骨が、笑い声に同調してひくひくと振動している。
「うわ……うわああああああああああああ!!」
目を見開いて発狂しながら、丹念にその内臓を一つ一つ潰す。しかし潰しても潰しても潰しても潰しても、笑い声はむしろ強くなる一方で、それに合わせて血の海に波紋が生じ、蝋燭の焔も平太を嘲笑うかのように揺れている。
歯茎から血が出る程歯を噛み締めて、金棒で燭台を叩く。……しかし、その深紅の光は広間を照らし続ける。美矢実の声に合わせて、鉄格子が震え、木馬がガタガタと踊り、縄が揺れて歌い出す。
恐れおののいていた平太は、ぷっつんと糸が切れたように放心状態で膝を折り、虚ろな目でうずくまり、耳を塞いで目を瞑った。……しかし、それでも逃げられない。逃げようがない。
笑い声は脳内に響き、瞼の内に映る闇に、恐怖心は煽られる一方だ。
「くけ……くけ…………くけけけけけけけけけけけ!!」
終いには、目を思いっきり見開いて、涙を流し、口をあんぐりと開け、涎をだらだらと流しながら笑いだした。
それを傍目に、美矢実は、ぽっくりぽっくりと下駄を鳴らし、達也の倒れる牢の前へ歩み寄り、刀を引き、軽く横に二度薙ぐと、鉄格子は粘土を糸で切ったように、ガラガラと音を立てて外れた。唖然とその状況を見つめている達也に対し美矢実は、
「立てるかしら? 無理なようだったら少し待つわ。と言っても、できれば早く綾音の所へ行きたいのだけど」
と急きたてる。
「あ……ああ、はい……」
達也の怪我は、その〈能力〉によって先程よりは軽くなったと見え、何とか自力で立ち上がった。そして、一人狂ったように笑う平太を、怪訝な顔で見つめていた。
始めは普通の打ち合いだった。むしろ美矢実は、平太の馬鹿力に圧されて防戦一方だった。
それが途中、美矢実と平太が何か話し合い、すっと美矢実が右手を横に伸ばした辺りでおかしくなった。平太の動きが止まり、急に金棒を振り下ろし、笑い、かと思うと暴れ出し、肩で息をしながら金棒で床を何度も叩き、うずくまって泣き出し、終いにはこんな風に、とち狂ったように笑いだした。
美矢実はその間、一歩も動かずに、ただひたすらにやにやと笑っていた。
美矢実は達也が立ちあがったのを見ると、下駄を鳴らしながら平太に近寄って、
「ねえ、こいつ殺してしまってもいいかしら。別に生かしたまんまにしておいてもいいのだけど、この状態で放っておくと綾音の機嫌が悪くなるのよね」
と聞いた。
そんな事を聞かれても、何がなんだか分からないのだが。達也は、そう思って答えに窮していると、それを勝手に『了承』と解釈したのか、美矢実は平太の前に立って、
「あなたの敗因は……そうね、闇の中で光りを探して、闇自体を見ることをしなかった。闇から逃げては、私は捉えられない。……ま、そんなことできる人は、あんまりいないけどね」
刀で首を切った。平太の首は笑ったままの表情でずるりと落ちて、体からは血が噴き出し、力が抜けだらりと倒れた。
美矢実は、それがごく普通だと言うように、刀を振って血を落とし、鞘に仕舞った。
「あ、あの、この人は一体どうしたんでしょうか。何か急に狂いだして……」
「ちょっと闇の一部を見せてあげただけよ。ただ、それだけ」
「は、はあ……」
「分からないのなら、それでいいわ。知る必要は無いもの。ま、そもそも知る由も無いか」
達也の疑問に、美矢実は億劫そうに返して、
「あっ」
と何かに気付いて達也を振り返り、
「そうそう、忘れていたわ。あんたの弟が、あんた助ける為に領主の許に化粧して行ったらしいわ。綾音が助けに行ったけど、下手すりゃ本日、お尻の貫通式ね。弟の貞操の危機なわけだけど、あんたこのまま帰る? それとも私と一緒に行く?」
と伝えた。
達也は脳を直接引っ叩かれたかのように驚いて、夢心地な気分から一転、現実に起こされ、
「え……? ええええええええっ!? そ、そんなことが!? ある筈が……あ、いや、あの領主の事だし、あの凜の事だし……」
「もー、どーすんのよー、さっさと決めてよー」
「い、行きます!! 僕も連れて行って下さい!!」
と叫んだ。美矢実は興味なさげに、
「あ、そう」
と言って出口に向かい、
「別にいいけど、足手まといにはならないでね。遅いようなら、置いて行くから」
と言って、風になって跳んだ。
達也は呆気に取られたが、少ししてから慌てて美矢実の後を追った。――




