十四、『今』
リコは目を覚ました。ふかふかのベッドの上で、温かい毛布に包まれて、涙を流していた。
明るく優しい朝日がガラス窓から内に入る。それでも、リコの心に光が差し込む事はない。
また、あの夢だ。
リコは自身の体をギュッと抱き締める。
私は、私の〈能力〉を制御するすべを覚えた。そして私を守るすべを手に入れた。もう、男に犯される事は無くなった。……それでも、この痛みは、一向に消えることが無い。
これからも一生、この苦しみに苛まれなければならないのか。
丸まったまま、ベッドの上で固まる。しばらくそうしていたが、諦めたように息を吸って、立ち上がり、パジャマを脱いで、普段着のドレスに着替えた。そして、ピアノの前に座り、鍵盤を弾いた。ゆっくり、ゆっくりと、懸命に、過去を洗い流すように。
そうやって、ずっと、重苦しい曲を弾いていたが、不図、ピアノの音が、中途で止む。
「……また、何か用ですか?」
窓を睨みつける。かさりと音を立てて、草むらからひょっこりと綾音が顔を出す。
「ども」
まったく悪びれない返答に、リコの口から呆れたような溜息一つ吐き出される。
「あのねえ、何しに来たの? 泥棒しに来たのだったら追い返すわよ?」
自然、リコの口調が砕けたものになった。
「そうじゃないけど。ピアノどうなったのかなぁと思って」
綾音もそのリコの口調に合わさった。
「あー、そう……古い別のやつを出したのよ」
「そっか、よかった。弾けないとつらいだろうなと思って」
綾音はにっこりと笑った。その無邪気そのものの笑みに、もう一度呆れたような溜息一つ。
「ねえ、入っていい?」
「……駄目」
そこまで心を許しているわけじゃない。
「そっか。じゃあ、ここで聞いていてもいい?」
「え、何が『じゃあ』なの?」
「だって、聞きたいんだもん。僕の里じゃそんな楽器無くてさ」
三度目の溜息。
「君って、本当に何なの? 私の理解越えてる。……もういいわ、そこで勝手に聞いてなさい」
「あ、うん。そうする」
綾音はににこにことしながら、今か今かとリコの演奏を楽しみに待ち構えている。好き勝手に弾こうと思っていたのに。勝手に聞いているだけなのだから別にいいのだけど、こんな子供っぽい顔で見られたらなぁ……。第一、あんまり人前で弾く事に慣れていないのだけど。
……他人に聞かせる為に弾くなんて、何時振りだろう?
ま、こういうのも、偶にだったら悪くは無い、かな。
リコは自然と頬を緩ませ、先程までとは一転、軽快な曲を奏で始めた。
金色の髪をサラサラと揺らす、マントを羽織る男の姿。シュウは、地下牢のような、暗い、石に囲まれた空間を、蝋燭片手にコツコツと靴を軽快に鳴らしながら歩く。
「シュウ、火薬があるわ。火を消しなさい」
「ああ、ごめんごめん」
ユカリの注意に素直に従う。視界が真っ黒に染まる。が、それもやがて慣れる。
隙間から入るごく僅かな光に照らされる、壁に立てかけられた槍、乱雑に並べられた何十丁もの銃、床に転がる大砲。――
それを見てシュウは口をすぼめ、ひゅうっと鳴らす。
「よくこんだけ集めたもんだ。随分と良い部下に恵まれているね、君は」
「ええ、その通りよ。私はコズエ以上の策略家よ。それなのに、〈無能力者〉と言うだけで、奴隷の子と言うだけで、あんな出来損ないの長女の足元でせこせこ生きなくてはならず、そしてまた、私は直系なのにもかかわらず、女王と血の繋がらないリコよりも、王位継承順位は下。こんな惨めな事は無いわ」
シュウの軽口に、ユカリは忌々しく歯噛みした。
リコは女王・カナと血は繋がっていない。カナの夫と、その妾との間に産まれた子である。
シュウは真面目な面持ちで、ユカリを抱き寄せ唇を奪った。熱と湿度を多分に含んだキスである。口を離すと、つっと糸が引いた。シュウはそんな事には気も留めず、ユカリの頭を優しく撫でる。
「そんな惨めな思いも、これまでだ。創ろう、新しい国の姿だ。君たちが這ってきた地面を、今偉そうにふんぞり返っているやつらに舐めさせるんだ。辛酸を味わわせるんだ。君たちを踏みつけるやつなんて、もういなくなる。そんな国を、君たちが……いや、ユカリ、君が創るんだ。君にしか出来ないんだ」
シュウの力強い言葉に応えるように、ユカリは力強く頷く。
「ええ、そうよ。下剋上よ……準備はいいわね、〈ミツル〉」
ユカリの後ろに跪く、黒ずくめの集団。
「仰せのままに、ユカリ様」
その内のひとり、額に傷のある小太りの男が、片手をつき、頭を深く深く垂れた。




