九、『成長出来ているのでしょうか』
「……遅くなっちゃったわね」
不図リコが空を見上げると、赤紫に滲む雲が、陽の落ちるのを告げていた。
「あ、本当だ」
綾音は、笛を吹くのに没頭していて、陽が傾くのを全く気付いていなかった。
「呆れるくらいの集中力ね」
かく言うリコも同様に、聞く事に没頭していて、街灯を点ける点灯夫の存在にさえ気付いていなかった。
「早く帰らないと、姉さんが心配しているかも」
と呟きながら、調査に行くと姉に言っておきながら、結局今日一日何もしていない事に気がついて、帰ったら何を言われるんだろうと、考えただけでも気が滅入る。リコは目を丸くして、
「そうね、私も帰らないと、家の人に何言われるか知れないわ……って、姉さん? あなたのその恰好、異国の旅人よね。もしかしてお姉さんと旅しているの?」
と聞いた。綾音は、あ、そんな事まで言うのは、ちょっと不注意すぎたかな。と思いながらも、まあ問題ないかなと思い直して、
「はい。姉と二人で旅してます」
と伝えた。それと同時に、綾音の頬の緊張が無意識に綻んだが、本人は気付いていない。
「そっか……」
その綾音の笑顔を見て、リコの表情が少し曇る。
「いいわね、姉弟で仲が良いなんて。羨ましいわ」
「いや、別に悪くはないけど、そんなにいいってわけでもありませんけどね」
「……そう言う風に言えるってことは、やっぱり仲がいいのよ」
リコは己の境遇を鑑みて、自嘲的に笑った。
姉妹はアイやコズエやユカリばかりではない。他にも、自分より王位継承順位の高い者、低い者が何人もいた。しかし、お互いにいがみ合い、襲ったり襲われたり、殺したり殺されあったりした。リコの姉妹は皆、リコと同様、何度も死地に陥れられた。
そして、リコと同様生き残った者は、少なかった。
「そう言うものですか?」
そんな事情の分からない綾音は、姉の自分に対する態度を思い出してみても、自分が特別好かれているとは考えられず、さりとて他の兄弟との比較も出来ず、曖昧に首を傾げる。
「そう言うものよ」
リコはふわりと笑った。そしてそのままの笑顔で、
「ねえ、旅って楽しい?」
と聞いた。綾音はうーん、と唸りながら考えた後、
「どうでしょうね。楽しい事ばかりじゃないってのはありますし。つらい思いをする事は、結構あります。大変な事は、数えられないくらいあります。……でも……強さと覚悟さえあるのであれば、悪くはないと思います」
とリコの目を見て言った。
「……お姉さん、強いの?」
「ええ、それはもう」
綾音は間髪入れずに鬼気迫る顔でリコを見た。
「そ、そう」
「はい。僕じゃ、どうあがいても一生勝てないんじゃないかって、そう思わせるくらい刷り込まされました。『生き抜くためには強さが必要だ』とか言って鍛えられましたけど、修行と称した虐待ですよありゃ。何度死にかけたか」
それがまた待っている事を思い出し、背筋が凍り身震いする。
そんな綾音を見て、リコは、細く長い目を更に細めて、けたけたと楽しそうに笑いだした。
綾音はそんなリコの笑顔を、ぼうっと惚けながら見つめていた。
今まで落ち着いて見る事が出来なかったけど、やっぱり魅力的な人だよなぁ。こうやって無防備だと特に。もうちょっと、楽にしていればいいのに……なんて、お嬢様っぽいし、そう言うことできる立場じゃないのかな。
などとお節介にも考えていた。そしてリコは、不図笑い声を止めて、
「ねえ、あなたって幾つなの?」
と聞いた。それが最初、自分の歳の事だとは分からず、少し考えてから「ああ」と頷いて、
「十五です。姉は一つ上です」
と答えた。
「そう。……私はお姉さんと同じね。あなたよりも一つ上。あなたは私よりも一つ下。なのにきっと、いろんな所を旅して、いろんな人を見て来て、きっと私よりもずっといろんな経験をしてきたんでしょうね。私は……ここ以外知らない」
自嘲的に、それでいて寂しそうに笑う。綾音は何も答えられない。
「じゃ、今度こそ帰るわ」
振り向いて背を向けるリコ。綾音ははっと気がついて、
「遅くなって暗くなっちゃったし、送っていきますよ。あと……お節介かもしれませんけど、この間の事考えると、護衛もつけずに一人で出歩くのってちょっと危険かなって思いますよ」
「……この間襲ってきた奴らが、その護衛とかいう人たち」
「……え?」
「信用できなかったから、あまり近付けさせなかったんだけどね。そしたら、案の定。……さよなら。後、助けてくれてありがとう」
そう言って静かに立ち去るリコを、綾音は唖然として見送る。そして俯いて、きゅっと唇を噛んだ。自分の言った言葉を後悔した。
……『強さと覚悟さえあれば』? 偉そうなこと言ったもんだ。他人の人生を馬鹿にしてる。『もうちょっと、楽にしていればいいのに』? 馬鹿か。何も知らないくせに、何利いたような事言おうとしてんだ。『大変な事もいっぱいある』? 自分ばっかり苦労してるみたいな物言いして。
不図、頭をもたげる、もう一人の姉の言葉。
『ねえ、美矢実、綾音。旅をするってことは、自由でいるってことは、確かに、強くなければならないの。強くて、いろんな知識がなきゃ、出来ない事なの。
でもね、旅をしている自分たちの方が偉いみたいな、自由でいられる自分たちの方が強いみたいな、そんな風に思っては駄目よ?
世の中、そんなに簡単じゃないの。自由でいる事がつらいって言う人はいるし、どうしようもないしがらみから抜け出せずに自由を手にできない人、そんなしがらみの中で歯を食いしばって少しでも良くしようとしている人いろいろなの。
だからね? あなたたちはこれから、いろんな人の、いろんな行動を、尊重しなければいけないの』
言われた当初、僕は、ミヤ姉が何を言っているのか、何を言いたいのか、全然分からなかったけど、旅するうちに、その意味がだんだんと分かってきた。その度に、自分たちが旅をする意味を、嫌でも考えさせられてきた。旅自体が無意味なんじゃ無いかって、そう思ったりもした。それなのに、また懲りずにこんな風に。
相手がお嬢様だからって、侮っていたかもしれない。でも、……それ以上に、ミヤ姉の言った事を、結局は分かっていなかったんだと思う。分かっていたふりをしていたんだと思う。
……まったく。いつまでも成長できないで、嫌になる。
綾音は大きな溜息をついた。




