一、『さすらいの姉弟』
仰る闇の夜 仰る仰る闇の夜 つきもないことを
閑吟集・七十三番
この世界は特別な世界。ここではないどこか、今ではないいつか。
この世界はおかしな世界。東でもあり西でもあり、北でもあり南でもあり、過去でもあり未来でもある、いろんなものがごちゃまぜの、おかしな世界。
そんな不都合で都合の良い世界を二人、連れ立つ姉弟が、遥かな宛のない旅をしている。
「あー! 疲れたー! お腹すいたー! 歩きたくなーいー!!」
女の投げやりな声が、色づいた銀杏の葉を揺らす。
赤・黄に彩られた林道を草履で歩く、浅黄色の麻の小袖に、白と紫のグラデーション模様の裳袴(スカートの様な袴)を穿いた、真っ白な髪の女。
「何度でも言うわ! お腹すいた、お腹すいたの!! 足とかも痛いと思う、これ絶対痛いわ! もう限界! 歩きたくないの!!」
そのサラサラと細く真っ白な髪と、蜘蛛の糸を編んだようにきめ細かい病弱と思える程に白い肌とは対照的な、健康的でよく通る声。背には重そうな荷物を背負っている。
白髪は、前髪はぱっつんと真っ直ぐに切りそろえられ、後ろ髪は膝頭近くまで伸び、毛の先辺りで一つに束ねられている。目は猫のように丸く大きく、唇には濃い口紅を塗っていて、一つ一つが何かと自己主張する、目立つ容貌をしているが、何より目を引くのは、その腰にさも平然と装備されている物騒な二本の大きな刀である。
名を、〈八重野美矢実〉と言う。歳は十六。
「ミヤ姉、我慢して。もうちょっとで次の街に着くから」
男の、溜息交じりに発せられる面倒臭そうな声。
墨色の短髪。細く釣り上がったガラの悪そうな瞳。そして何と上下学生服で黒マントを羽織り、下駄を履いていると言う、バンカラじみた恰好。それらとは正反対の、ごく丁寧な物言い。それでいて優等生じみた銀縁の眼鏡をかけている。こちらも背には大きな荷物を背負っている。
名を、〈八重野綾音〉と言う。歳は十五。
「……あんた、それ随分気に入ってんのね。この間停留した街で買った服」
美矢実は呆れ顔で、綾音の見馴れない服をじろじろとねめ回す。綾音も手首をくるくる回しながら自分の恰好を見回す。
「いいじゃない。着るのも脱ぐのも簡単だし、動き易い。ミヤ姉も、着ればいいのに。なんだっけ、ほら」
「セーラー服とかいうやつね? でもアレ、前の街では学生が着てたじゃない? 流浪の身には似つかわしくないわ」
「ミヤ姉ってば、そういうの気にするんだ」
「そればっかりじゃないわよ。アレ、刀を差す場所がなくって困るのよね」
美矢実は、帯に固定された物騒なものをかちゃりと鳴らす。
「ああ、それもそうだ。僕はこれ、隠す所が多くて好きなんだけどね」
綾音は上着の内ポケットを外から触れて、意味ありげににやりと笑う。そして、
「さ、ミヤ姉、じっとしてても楽になんないよ。目的地の方から寄って来てくれるわけじゃないんだから。逃げ道なんかないさ。少しずつでも足を進めないとね」
と言う。その説教じみた言葉に、美矢実は不満顔で溜息をついて、諦めたように歩く。綾音もそれを見ると、苦笑して歩みを再開する。
綾音はやや小股に、美矢実はやや大股に、二人歩調を合わせて歩く。
――やがて、色づいた林道を抜け、景色が開ける。
先ず刈り尽くされた田圃が目に入り、次に碁盤の目状に家々が配置された城下町、そして最後にそれらを見下ろす様にそびえる天守閣が見えた。
「見えたね、〈小谷城〉が。残りはほんの少し歩くだけだよ。頑張ろう。……聞いてた通り、まあ、城下町は小さくもないし大きくもないね。でも城自体は結構堅牢そうに見えるけど」
綾音は振り向いて美矢実の歩みを促す。美矢実はまたもや不満顔で深く溜息。
「あー、どーでもいいわー。さっさと休みましょう。七日間歩きっぱなしよ」
「五日間だよ」
「ちゃんとしたお米が食べたい。出来れば白米で。干飯とか芋の根の味噌汁とか、もう飽き飽きなんだからね」
「路銀は大切にしようね」
「チッ」
美矢実の舌打ちを無視して、綾音は前を行く。美矢実は顔を上げ、ぶすっとした面持ちでその後姿を追う。
あーあ。綾音ってば、昔はいっつも私について回ってたくせに、いつからこんな生意気な態度をとるようになったのかしらね。
美矢実は脳内で愚痴りながら、とぼとぼと力なく歩き、城下町を眺める。
街は、小高い山々に囲まれた盆地に存在しており、茅葺の屋根が、廂を大きく道に突き出しながら、規則正しく連なっている。成程、綾音の言う通りそこそこの規模はある。それに交通量の多いせいか、道自体は歩き易かった。
美味しいもんでも食べられるといいけど……。あー、でも、確かにお金の心配もあるしなぁ。無くなったら仕事をすればいいわけだけど、綾音の奴、選定がうるさいからなぁ……。
美矢実はすがるような眼差しを城下町に向けて、一歩一歩、着実に歩みを進める。
まあ、贅沢は言わないわ。せめて温かいお布団にくるまれるだけでいいの。
――って、ん?
不図、遠く小山に何ものか蠢くのが見える。……馬だ。馬に乗った何ものかだ。美矢実が目を凝らすと、その何ものかはこちらの気配に感づいたかのように、岩影に隠れてしまった。
……あれって、同業者かしら?
多分、攻め入ろうとしたものの、思いの外城が大きくて警備が頑丈で、攻めあぐねているのかしらね。ま、多分諦めて他を当たるでしょ。きっと今日は、平和に眠ることが出来る。心配はいらないわ。
……けど、それでももし、危険を冒してでも攻め入るのであれば、それはそれで退屈しなくて済む。精一杯のお持て成しをしてあげるわ。
美矢実は口角を不敵につり上げて、刀をかちゃりかちゃりと不吉に鳴らし歩いた。




