十六、『燃えろや燃えろ、天まで焦がせ』
(……ふむ。なかなかどうして、強力な火薬らしいの。距離を取ったとはいえ、この爆発の中では無事でいられまいて)
煙が充満。天井に火が燃え広がるが、忠長がキッとひと睨みすると途端に止み、やがて少しずつ視界が晴れる。すると、凜を守るように覆いかぶさった綾音の、服が燃え剥き出しになった、赤く傷ついた背中が見えた。忠長はにやりと不敵に笑い、じりじりと近付いた。
「ひぁっはっは!! もう逃げられまい。策もあるまい。手詰まりじゃッ!! 死ねッ!!」
「そうかい、さっきは殺さないとか言ってたのにな」
間合いの七メートルに入った。
「ふん、考えが変わった、お主のような地を這う虫けら相手に手数をかけ時間を割くなど、愚の愚よ!! 今ここで、焼け死ねッ!!」
忠長の言葉に、不敵に笑う綾音の顔を、凜だけが見ていた。
「へッ、他人を見下している割に、自分の足元がお留守だな」
「な――ッ!?」
爆発、閃光。
忠長の潰された目の死角である、右の足元に音も無く設置してあった火薬玉が、音も無く炸裂した。呆気に取られ、なすすべなくそれを受け入れる。全身を焦がし、火薬玉のすぐ傍にあった右足は、無残にも吹き飛んで、大量の血を流した。
綾音は一度目の爆発と同時に、懐から火薬玉を取り出し、火を点け、煙がもくもくと立ち込めるうちに、忠長の右足元に投げつけていた。この一連の作業――マッチを擦る音、火薬玉が床を跳ねる音、導火線を火が伝う音――このすべての音を、綾音は消していた。
綾音は、音を殺すしか出来ない。音を消した所で、視覚、嗅覚に探知されれば、たちまちそれは意味を失くす。逆に言えば、視覚と嗅覚をいかに殺すかが重要だ。
この状況、一度目の爆発の硝煙臭さで、導火線の臭いは誤魔化す事が出来た。そして視覚も、目潰しのお陰で右側に死角が多くなり、しかもこの爆発によって出来た煙に、一時的にせよ封じることが出来た。
つまり、忠長は火薬玉を爆発させるべきではなかった。結果論にしか過ぎないが。
しかし戦いはまだ終わっていない。
綾音・凜の両名は忠長の間合い。骨が剥き出しの右足を引きずって、じりじりとにじり寄る。
むしろ、追い詰められたのはこの二人の方。
忠長は畳を走る炎に囲まれたが、怒りの形相で睨みつけると、ひとときに消し去った。
すると、その燻る畳から出る煙と、爆発で生じた煙とが合わさって、視界を覆った。
と同時に、忠長から、完全に聴覚が消えた。
綾音の〈能力〉の真骨頂。
忠長は、痛みを感じないくらいの怒りに震えつつも、冷静に煙の内部を注視していた。
その前方から煙を掻き分けて飛んで来る、三枚の手裏剣。
「無礼るな、若造がッ!!」
その声は、綾音の〈能力〉にかき消された。
しかし恐ろしい事に、この窮地において、忠長の〈能力〉は更に開花した。手裏剣を発見できたのは、顔面から五十センチ程の距離。だが、その手裏剣は、忠長に届く前に、一瞬で、無情にも、焼失しえたのだ。
煙が、晴れた。
忠長の目には、綾音と凜の姿が、鮮明に映った。
そして、口から血を吐いて、前のめりに倒れた。
彼の背中の心臓部分に、棒手裏剣が突き刺さっていた。
綾音は微笑んで、はあはあと肩で息をする凜の頭を撫でて、
「やったな」
と言った。凜は、声こそ出なかったが、荒げる息を必死に抑えながら、力強く頷いた。
綾音は最後の最後の武器・棒手裏剣を、リストバンドの内部に隠し持っていた。それを綾音は左手で投げ勢いをつけ、凜が〈能力〉でもって、忠長の死角から後ろに回り込ませ、心臓に突き刺したのである。
ここまでの過程を全て、一度目の爆発の、凜を庇う中で思い付き、それを彼にだけ聞こえるように〈能力〉で細工し、伝えたのである。
つまり、凜の〈能力〉を分析し、忠長の〈能力〉を分析し、生じる死角を計算し、思い付き、作戦を凜にだけ伝え、火薬玉に火を点け、死角を通るようバウンドさせ、それらの音を消す。
これを全て爆発後の煙のくすぶる短い間に考え、伝え、そして正確に実行したのである。
ばたん。
綾音も忠長同様、前のめりに倒れた。無理も無い。体力も知力も使い果たしたのだから。
「……ありがとう、お兄さん」
凜は綾音に頭を下げ、微笑んだ。……が、そうやってゆっくり出来そうもない。
忠長の体が、突然発火した。
それは始め、ごく弱いものであったが、次第に勢いを増し、そして急激に燃え盛り、畳を燃やし、天井を焦がし、部屋中を炎で埋め尽くさんとした。
「に、に、逃げなきゃ……」
凜は気を失った綾音を担ぎ上げるが、十二歳の体には思いの外、重い。小さい体で引きずりながら、必死に足を前へ前へと押し出す。しかし、火の巡りの方が遥かに速い。
部屋をなんとか抜け出しても、その先には階段があり、ただでさえ人を担いで進むのは難しいのに更に、天井が崩れ、火の粉が舞い、炎が道を塞ぐ。青ざめる凛。
絶体絶命。
自分一人なら逃げ出す事が出来るが、凜にとってそれは、二人で抜け出すよりも難しい。
「どうにかしなきゃ……どうにかしなきゃ……」
おろおろと辺りを見回すが、助けになるような品は何一つない。覚悟を決めて、階段をゆっくりと、恐る恐る綾音を降ろしたものの、その先は炎の溜まりで、四方八方を完全にふさいでいた。もう、逃げ道は潰えた。凜は唖然とし、膝をついた。
――僕が……僕が勝手な事をしたせいで……弱いせいで……僕だけじゃ無く、このお兄ちゃんまで死んじゃう……そうだ、いつもそうだ……僕がやったことで迷惑がかかるのは、いつも周りの人なんだ。しかも今日は、人の命を奪うことになる。――
ぼろぼろと涙を落とし綾音の顔を抱いて、
「ごめんね……ごめんね……」
と何度も何度も呟いた。もう彼は、脱出する事を諦めていた。
「ふん、謝るんだったら最初っから何もせずに受け入れていればよかったのよ」
突如頭上からもたらされた、女の声。
凜はびっくりして顔を上げると、『ざまあみろ』とでも言いたげな顔の美矢実が立っていた。
「ああ、あんたの兄は助けたわよ。あんまり頼りないんで安全な場所に置いてきたけど」
と言って、綾音の首根っこを掴んで持ち上げ、
「てい」
と言って平手で殴った。思いのほか強く、パチパチと燃え盛りズドンズドンといろいろ崩れ落ちる中でも、パンと乾いた音がしっかりと聞こえた。
「ええ!?」
あまりの驚きに一気に悲しみも涙も吹っ飛ぶ。
殴られた綾音は、すぐさま目を覚まし、目を丸くし、周りの状況を見て、ジト目の美矢実と目を合わせ、一も二も無く、凜を担ぎ上げ、二人、風のように走り去った。




