十四、『十三歳以下のファースト・キスはノーカンです』
――やった。
倒れた忠長の姿を見て、凜の心は歓喜にざわめいた。凜の投擲した懐刀は、確かに忠長の心臓に突き刺さっている。凜は破顔した。それ同時に、人を殺したことの後悔の念が、思いの外少ない事に気が付いた。確かに心臓の鼓動は速くなっている。額から汗が噴き出ている。
……しかし、罪悪感と言うものが頭のどこにもかしこにもまったく存在していない。
随分と呆気ないな……。
それが、忠長を殺した今の凜の気持ちである。
いや、何だっていい。これでよかったんだ。これで、皆救われたんだ。これで、皆堂々と道を歩くことが出来るんだ。もっと平和で豊かで、皆が笑って暮らせる街を、僕たちは手に入れたんだ。
――いや、僕が実現させたんだ。
喜びに拳をぐっと握った。街に帰ったら早速自慢してやろう。そう思いながら、興奮気味で堂々と胸を張って忠長に近付いた。
そして、忠長の姿を見て、血が殆ど出ていない事に、やっと気付いた。
「ばあ!」
忠長はおどけながら凜に飛びついた。凜はあまりにも驚いて、硬直し、一歩も動くことが出来ずに、そのまま後ろに転び畳に頭を打ち、忠長に手足を抑えつけられた。
そして忠長は、強引に凜の唇を貪るように奪った。
あまりの出来事に頭が真っ白になった。だが、蹂躙される自分の姿に気付くと、嫌悪が全身に走り、肌を粟立たせた。じたばたともがくも、忠長の力は予想以上に強く、がっちりと体を密着させられると、少しも体を動かす事が出来なくなった。
忠長の口が離される。口と口に唾液による橋が出来る。あまりの気持ち悪さに、凜はえずく。それを忠長は、にやにやと不快な笑みで見下している。
「ほほほほほほ、まさかこれほどまでうまくいくとはのう。儂を殺したのが、そんなに嬉しかったのかえ? 血の一滴も出ていなかったのを、不思議に思わんくらい興奮していたのかえ? ほほほほほほ、何とも間抜けで可愛い、愚かな童よのう」
凜は必死に体をゆすり動かしながら、何か手はないかと探す。凜が投げ忠長に当たった筈の懐刀が、その刃の先だけを溶かされて転がっている。
こんな手に引っ掛かるなんて。
悔しい思いをしながら、それを操る。が、一瞬でそれも焼失。
忠長は鼻息を荒くしながら、凜の着ている服を、肌を傷つけないよう丁寧に燃やす。
なすすべの一切無い凜は、涙を流し、恐怖に体をびくびくと震わせ、歯をカチカチと鳴らし、犬のような浅い呼吸で、ただただ忠長を受け入れるしか出来なかった。
「ほほほほほ、さっきまでの威勢はどうした。もう何も出来んか。可愛い顔で怯えよって。化粧が落ちてしまっておるぞ。まあ、儂はこっちの方が好きじゃがな。さあ、どうした。もっと抵抗してみぬか? せぬとあらば、こちらで好き勝手にやらせて――」
言葉の途中、忠長は急に凜から離れ、身軽に飛び退いた。凜にかぶさっていた忠長を目掛けた棒手裏剣が二本、床に突き刺さる。続けざまに手裏剣が四枚同時に、着地前の不安定な忠長に向かって高速で飛んできた。キッとひと睨みで、三枚の手裏剣は煙を上げてひとときに焼け消えたが、捉え損ねた一枚が、心臓をかばった左手に突き刺さる。
畳の上に、血が滴る。
忌々しげに頬をひきつらせ、手裏剣の飛んできた窓の方を見る。
雲が晴れ、三日月の明かりが外を暗く暗く照らし、その光を背に受けて、怒り狂った天使のような厳しい視線を向ける綾音が、黒装束にその身を包んだ、気高い悪魔のような姿で、窓枠の上で蹲踞していた。
忠長は手から手裏剣を引き抜き、忌々しげに燃やし、燃え滓をぎゅっと握り潰した。黒い燃え滓が、鮮血でどす黒い赤に変わる。
「ふん、いい所であったのに、邪魔をしよって。この代償は高くつくぞ?」
綾音は言葉を無視して、少し遅めに手裏剣を投げつける。忠長がキッと睨みつけると、いとも簡単に焼失。
――忠長の間合いは、大体五メートル。
「……ほう?」
綾音の意図に気付いたのか、忠長がにやりと笑う。
「お主は、それなりの専門家らしいの。こりゃどうやら、そこの坊主と違っててこずりそうだわい。旅のものか、それはそれで――」
「僕は地獄耳だ。十分聞いた。御託ァいい。死にな、下衆が」
綾音の怒りに満ちた声に、忠長の顔からふっと笑みが消えた。そして忠長は、
「……調子付くなよ? 若造が」
ドスを利かせた低い声を返した。そして、ふわりと身軽に体を浮かせ、綾音に跳びかかった。
前戯はここで終わり。今まさに、本番が始まろうとしていた。




