十三、『ヘンタイ領主』
領主・忠長は、凜を見て、始め驚いて、そして嬉しそうに笑った。
凜は、確かに可愛らしかった。真ん丸で大きな瞳、小動物のように低い鼻、絹を編んだような肌にはうっすらと化粧が施され、頬はぷにぷにと柔らかそうで、真っ先に触れてみたい。そしてその女の子の様な可愛らしい顔には男らしい凛とした眉が形作られていて、忠長はむしろその男の子然とした可愛らしさを気に入った。
そして何より忠長が気に入ったのは、――凜の体がびくびくと震えていることだった。
……そうじゃ、これじゃ。儂はこれが好きなのじゃ。小さな体が、唇が、嫌悪に震え、眉をひそめ、涙を流し、怨むような瞳で儂を見て、しかし、なすすべなく、全てを受け入れざるを得ず、唇を噛みながら、力に屈服する。
始めは皆そうじゃ。そして、何度もそれを繰り返し、施し、金をかけて面倒をみているうちに、やがてはどうでもよくなる。面倒になる。反抗する気も起きなくなる。ただ従順になる。
それはそれでいいものじゃが……やはり、屈服させる手間とその味は、格別なものじゃ。
しかし、この坊主も格別じゃ。これ程の稚児がまだこの街にいたとはな。何よりこの目……この儂を、心底怨んでいる目じゃ。大層気に入った。じっくりと時間をかけて手懐けようぞ。
忠長は凜ににっこりと微笑みかけ手招きをする。
「ほほほほ、どうした。緊張しているのかえ? 安心せい。儂は決して悪いようにはせん。今までよりも、ずっと質のいい暮らしを約束しようぞ。ほほほほ。……親に売られて来たらしいの。貧乏な生活をしてきたのであろう。雨風に晒されて生きて来たのであろう。寒さに体を震わせて生きて来たのであろう。苦しんでいたのであろう、それでも耐えて来たのであろう。
それも今日までじゃ。
お前の生活は、儂がちゃんと保障する。これからは、何の不便も無く生きていけるのじゃ。すぐにこの城下は寒くなる。しかし、お前は囲炉裏のある部屋で火に当たって、温かい飯を食い温かい布団で眠ることができる。儂が守ってやる。何も心配はいらぬのだ」
その言葉を受け、凜は、体の震えをぴたりと止めた。
おや? と首を傾げる忠長に向かって、凜は俯いて、一歩、また一歩と歩みを進めた。
じりじりゆっくりと、しかし確実に二人の距離が縮まる。忠長は喜びながらも、凜のその小さい歩幅に辛抱たまらずといった風に立ち上がり、トントンと足早に近付いた。
二人の距離は、五メートルにまで縮まった。凜は面を上げた。その顔を見て、忠長は一瞬で恐怖を覚えた。凜の目は怒りに尖り、対照的にその瞳の奥には冷たい炎が宿っていた。
「死ね」
凜は懐から包丁を引き出して、忠長目掛けて投げた。
忠長は咄嗟の判断で、斜め後ろに、身軽に飛び退いた。
この判断は幸運だった。ただ横に避けただけでは、空中で急激に方向を変えた包丁に反応できなかっただろう。しかし距離を取ったお陰で、その余裕ができた。忠長は、ギラリとした瞳で包丁を睨みつける。
すると、包丁は突然燃え盛り、空中で焼失した。
これこそが、忠長の〈能力〉・〈自然発火〉である。
ここに、お互いの〈能力〉が相まみえた。
「ほほう……坊主、〈神々の加護〉を授かった身だとはな……。恐れ入った」
「……〈加護〉? そんな事、心にも思っていないくせに」
忠長は、凜の未だ吊り上がった目を見て、嬉しげに口の端が上がるのを扇子で上品に隠す。
「ふふふ、〈能力〉があった所で、馬鹿は馬鹿じゃ。勝手な事をされては、それなりに厄介でな。ちょっとした鎖が必要なのじゃよ。ゴロツキを手懐けるには、なかなかどうして、宗教は馬鹿には出来ん」
「……お前は、そうやって心底他人を馬鹿にしているんだな。……そうやって、人他人がもがくのを笑って見ているんだな……ッ!! そうやって! 他人を見下す他人を! もっと高い位置から見下しているんだなッ!! ふざけるな、ふざけるなよ!! お前の中で僕や達兄や優香姉は、どれだけ馬鹿に見えるんだッ!!」
凜は力いっぱいに叫んだ。それを聞いて、忠長は戸惑った。
それは、凜の言葉に感化されたからでは、決してない。
ただ単に、達也や優香の事を、まるっきり忘れていたのである。
……ああ、そうか。達兄とやらは橘達也の事で、優香姉とやらは三田村優香の事じゃな。そうかそうか。……確か三田村優香は一人娘。橘達也の弟なのであろう。で、奴らにいろいろと仕掛けたことを怒って、忍び込んで儂を殺しに来たと。そう言うわけじゃな。そうかそうか。
……ふむ。これはどうして、なかなか面白い。ちょいとおちょくってやろうか。
忠長はじっと、怒れる凜の瞳を見つめた。
「おい、凜とやら、そう怒るでない。いや、怒るのも無理はない。あの橘達也の弟だったとはな。だが知らなかったのじゃよ。悪かった。儂の落ち度じゃ。あの弟がこれ程の〈能力者〉だったとはな。しかし、いきなり殺しに来るなぞ、物騒ではないか」
「ふざけるな!! 今までこちらの物言いを聞く事なんか無かったくせに!!」
「その機会を今、設けようというのじゃよ」
「……何?」
凜は眉をひそめた。決して心は許していないし、警戒は解いていない。忠長は続ける。
「いや、何、簡単な事じゃよ。お前、大人しく儂の許に来ぬか? そうすれば、達也も優香も助けてやろうぞ」
その言葉に、凜は唖然とした。そしてすぐに、歯をぐっと食い縛り、ドン! と畳に拳を打ちつけた。同時に二枚の畳が元気よく宙に浮いた。忠長は動じない。
「ふざけているのか!! そんな甘言に僕が乗ると思うのか!! それに、街の皆を見捨てろっていうのか!! 自分達だけが助かって、それでいいと、僕がそんな人間に見えるって言うのか!!」
「……凜、お前、な~んか勘違いしとりゃせんか?」
忠長は突然、素っ頓狂な声を出した。その声に凜は、つい拍子抜けしてしまう。
「お前、一体何を――」
「お前はな、自分を弱者の側だと思っとりゃせんか? その〈能力〉、十分すぎる程強力じゃ。お前はすぐにでも搾取する側にでもなれるというのじゃ」
「……お前、僕を無礼ているのか?」
凜の眼光が、更に鋭く尖り、ふよふよと宙を漂う畳が不気味に七色に変色した。
しかし、忠長の口から平然とした調子で、
「うーん、ちょーっと難しかったかのう? そーじゃなー、例えば、じゃ。……お前は自分の力をもってすれば、あの優香とかいう女を、簡単に自分のものに出来る、と言うわけじゃ」
と発せられると、急に凜の瞳に陰りが生じた。そんな自分に気付いてすぐに元の通りに睨みつけたが、それを見逃す忠長ではない。忠長の扇子の下には嘲笑が浮かんでいる。
「儂にはな、お前の本当の気持ちが分かるぞ? お前はな、搾取されていた事に怒っているのではない、搾取される側と一緒にされていたのが許せなかったのじゃ。
〈能力者〉たる自分、〈無能力者〉たる無力な他人、その違いを、ちゃんと理解しておったのじゃ。お前は、自分が搾取する側におれることを、ちゃーんと知っておったのじゃ。
つらかったじゃろう、苦しかったじゃろう、儂はちゃんと分かるぞ。
……しかし、な、お前はもう、苦しまなくっても済むのじゃ。それを、儂が保障しよう。あの加藤平太同様、お前も好き勝手に振舞うがよい。お前から物を取る奴なぞ、いなくなる。一生、我慢なんてしなくてもよくなるのじゃ。耐える事なんぞ、しなくてもいいのじゃ。
そして、三田村優香を、堂々と自分のものとするがよい」
凜の肩ががっくりと下がり、膝が折れて床の上についた。と同時に宙に浮いていた畳も、凜同様力が抜けたように地に落ちた。
外はとっぷりと陽が落ちて、ぶ厚い雲が月明かりを遮ってしまっている。
「ほほほほ、分かってくれたようじゃな。物わかりのいい子供で助かる」
忠長は大袈裟に頷いて、芝居がかった口調で肩をすくめた。
忠長は、恐ろしい事に、この短い会話の中で凜の生い立ち、気持ち、考えを見抜いて、それを利用するすべを考えて、ものの見事に実行したのだ。
……ただ、残念ながら彼の推理には穴があっが、それに彼自身は気付いていない。
「僕は……怖かったんだ。優香姉を取られて、いろんなものが自分の手から零れ落ちて。それ何も何にも出来なくって。取られていくのをずっと指をくわえて見ていなくちゃいけないのかって。これからこんな生活が、一生続くのかって。……それが、本当に怖かったんだ」
凜の目から涙が零れ落ちた。小さな肩が細かく震える。忠長は何度も頷く。
「うんうん。分かるぞ。そんな生活を想像するだけでも苦しかろう。すまなかったな。儂の落ち度だ。お前をすくい出す事が出来なんだ。でも、それも、今日までじゃ。お前は幸せになって、その達兄や優香姉をな、笑顔にしてやるのじゃ。お前にはな、それが出来る」
――ちょろい。
忠長は、込み上げてくる笑いを必死に抑えて、眉をひそめ同情した視線で凜を見る。
凜は、涙を拭いて、忠長を見つめ、キラキラとした子供っぽい笑顔を作る。そして、
「……領主様、僕ね、知っているんです」
「ほうほう、何をじゃ? 聞かせてくれぬか?」
忠長は笑顔で一歩二歩と近付く。そして、凜は笑顔のままで、
「無理矢理攫った所で、優香姉は笑ってくれない」
どすんと畳を叩いた。
畳が二枚、宙に浮かんで、猛スピードで忠長に向かった。忠長は呆気に取られ、動作に後れを取る。
しかも近い。
しかし何とか、二枚の畳を同時に焼失させる。だが熱い火の粉が忠長に降りかかる。それを直垂で遮り、顔を隠すと、視界も遮られてしまった。
軸回転しながら飛んで来る懐刀に気付くのは、忠長の腹に届く直前だった。後ろに飛び退いたものの、避けることは出来そうにない。
「死ね」
人殺しの目をした凛の口が、確かにそう呟いた。




