第5話 室長、それ本気で聞いてますか?
鈍感室長こと、レオンハルトサイドのストーリーです
レオンハルトは、自分は人を見る目に恵まれていると思っていた。
これまで多くの部下を見てきた。才能ある者も、努力家も、野心家もいた。だからこそ、人となりは会って間もなく分かる。
あの日、王都で偶然出会った少年を保安局へ連れてきたのも、半ば勘だった。
結果は正しかった。
エミルは、まさに拾い物だった。
仕事は早い。覚えもいい。命じられたことだけではなく、その先まで考えて動く。新人とは思えないほど優秀で、それでいて、自分の手柄を誇ろうともしない。
書類整理を頼めば索引まで付け、数字の誤りにも気付く。
現場へ出れば誰も見落としていた違和感を見つける。
――面白い青年を拾ったものだ。
自然と口元が緩んだ。
だからこそ、エミルには人より目を掛けているという自覚があった。
成長してほしい。
未来ある若者なのだから、と。
……その時は、本当にそう思っていた。はずだ。
◇◇◇
エミルが出勤して最初の昼休み。
ふと視線を向けると、彼は机へ向かったまま書類を書き続けていた。
「昼食は」
声を掛けると、顔を上げる。
「……あ」
忘れていたらしい。
その顔を見て、思わず苦笑が漏れる。
やはり似ている。
目の前の仕事へ夢中になり、食事まで忘れるところなど、昔の自分とそっくりだ。
「これを食べなさい」
昼食を半分差し出す。
エミルは目を丸くした。
「え……よろしいのですか」
「新人に倒れられると困る」
「ありがとうございます!」
花が咲いたような笑顔だった。
大切そうに受け取り、本当に美味しそうに頬張っている。
それを見ているだけで、こちらまで満たされたような気持ちになる。
……何を見ているんだ、私は。
レオンハルトは我に返り、小さく咳払いをした。
◇◇◇
それからというもの、妙なことに気付いた。
エミルは、よくこちらを見ている。
書類へ目を通している時。
部下へ指示を出している時。
誰かを褒めた時。
ふと顔を上げると、視線が合う。
そのたびにエミルは慌てて目を逸らした。
普通なら気になるはずだ。
だが、不思議と嫌ではなかった。
これまで数多の令嬢から向けられてきた視線とは違う。
家柄。爵位。魔力。
彼女たちは皆、レオンハルトの向こうにある肩書きや名声を見ていた。
じっとりとへばりつくような視線。
エミルの瞳には、それがない。
純粋に尊敬し、信頼している。
ただ、それだけ。
その真っ直ぐな眼差しは、不思議と心地よかった。
気付けば、自分もエミルを探している。
朝、調査室へ入れば、まず席を見る。
元気に挨拶をしてくる姿を見ると、何故か安心する。
新人なのだから当然だ。
上司として気に掛けているだけだ。
そう自分へ言い聞かせても、どこか落ち着かなかった。
◇◇◇
令嬢襲撃事件の現場検証の日。
魔導具の違和感へ最初に気付いたのはエミルだった。
術式のわずかな違いを見抜き、事件は一歩前へ進んだ。
よく見ている。
調査官としての素質も十分ある。
そう評価した。
だが、本当に心へ残ったのは、その後だった。
棚の陰で震える子どもへ真っ先に駆け寄る。
目線を合わせ、安心させるように笑いかける。
頭を優しく撫で、小さな手を引いて姉の元まで連れて行く。
事件を解決するだけではない。
傷付いた者へ寄り添うことを忘れない。
保安局へ入った頃の自分には、あんな余裕はなかった。
だからだろうか。
あの柔らかな笑顔が、妙に胸へ残った。
◇◇◇
その日の終わり。
ふと、エミルがこけそうになった。
考えるより先に体が動いた。
腕を掴み、そのまま胸元へ引き寄せる。
「大丈夫か」
「は、はい」
その感触に、レオンハルトは驚いた。
細い。
思っていた以上に華奢だった。
肩も腕も、外套越しに伝わる体温まで柔らかい。
思わず、鼓動が速くなった。
……柔らかい?
何を考えている。
部下だぞ、彼は。
レオンハルトは慌てて手を離した。
「足元に気を付けなさい」
そう言って歩き出したものの、胸の鼓動だけはなかなか静まらなかった。
どうかしている。
疲れているのだろうか。
そうでなければ説明がつかない。
レオンハルトは、自分がどこかおかしくなってしまったのかと疑った。
◇◇◇
次の日。
夜の執務室は静まりかえり、書類をめくる音だけが響いていた。
レオンハルトは報告書へ目を通しながら、ふと口を開く。
「ノア」
「はい」
部屋にはレオンハルトと副室長のほか誰もいない。
「一つ、聞きたいことがある」
「何でしょう」
レオンハルトは少し考えるように視線を落とした。
「例えばだ」
「はい」
「ある人物を見ていると安心する。その人が笑顔だと、自分まで心が温かくなる」
「…………」
「昼食を食べていないと心配になる。危険から守ってやりたいと思う」
「………………」
「こういう気持ちに、お前はなったことがあるか」
「………………」
ノアは静かに眼鏡を外した。
そして、こめかみをおさえた。
「室長、それ本気で聞いてますか」
「私は本気だ」
レオンハルトは真面目な顔でノアを見ている。
「こんなふうに思うのはなぜだと思う」
ノアは大きくため息をつくと、やれやれと言う目でレオンハルトを見た。
「室長」
「なんだ」
「それはご自分で考えになったほうがよろしいかと」
レオンハルトはぴたりと動きを止めた。
「……なぜだ」
ノアは再び、大きなため息をついた。
「それはご自身でお気づきになる問題だからですよ。でも、安心しました。私はてっきり室長はこのままご結婚も恋愛もされず、仕事にまい進されるのかと思っておりましたので」
「ノア、何の話だ」
レオンハルトにじろりと睨みつけられたノアは、その視線を物ともせずにっこりと笑った。
「『氷の魔侯爵』なんてあなたを呼んでいるやつらに聞かせてやりたいですね」
なぜだか分からないが、ノアは上機嫌らしい。
レオンハルトは、ノアの返答の意味が分からずしばらく黙っていた。
自分で考えろ、と言われても。
何をどうすればいいのか。
レオンハルトは、これまでの記憶を振り返った。
エミルの笑み。
こちらを見つめる輝く瞳。
「ありがとうございます」と嬉しそうに昼食を頬張る姿。
子どもへ向けた優しい笑顔。
そして、あのとき抱き止めた華奢な身体。
「室長」
そう呼ぶ声まで思い出してしまって、レオンハルトの胸が早鐘のように鳴り出した。
だが一体、これが何だというのか。
レオンハルトは、胸に手をじっとあてたまま、固まった。
「どうやら、先は長そうですね」
ノアのぼやきだけが、静かな執務室へ小さく響いた。




