第4話 室長、動悸が止まりません!
「大丈夫?」
クラリスは、泣いている少年の前へしゃがみ込み、できるだけ優しく声を掛けた。
少年はクラリスの顔を見上げ、唇を震わせた。大粒の涙がこぼれだす。
「姉上が……。姉上が連れていかれると思って……ぼく……」
クラリスはポケットからハンカチを取り出し、膝についた汚れをそっと拭う。
男装用の服に、レースのハンカチ。我ながら詰めが甘い。エミルは、ずいぶんと可愛らしい趣味をしていることになってしまった。
でも、今はそんなこと気にしている場合ではない。
「あなたがずっと、お姉様のそばにいてくれたんだね。よく頑張ったね」
「うん……」
少年は泣きながら、小さく頷いた。
頭を撫でると、ようやく表情が少し緩む。
クラリスはそのまま少年の手を引き、姉のところまで連れていった。
姉は弟を見つけると、駆け寄って抱きしめてお互い泣き出した。
クラリスは、その様子をまるで幼い頃の自分と兄のようだと思い、懐かしく切ない気持ちで眺めていた。
そんなクラリスを、離れた場所からレオンハルトが見つめていた。
エミルは仕事が早く、観察力もある。
初日の業務。あれはテストだった。
事務員として適性があるかどうかの。
エミルはそれを、いとも簡単にパスし、なおかつ中身への指摘もしてみせた。
それだけならば、有能な事務員として評価するだけだった。
けれど今、誰も気付かなかった子どもへ真っ先に駆け寄り、自分も慣れない現場で緊張しているはずなのに、慰め、勇気づけようとしている。
少年を見るエミルの表情は柔らかく、どこか眩しく見えた。
気づけば、レオンハルトは随分長くその姿を目で追っていた。
「室長?」
ノアに呼ばれ、レオンハルトはわずかに遅れて振り返った。
「どうかしましたか」
「……いや」
自分が何を見ていたのか分からず、レオンハルトは一度だけ目を伏せた。
ただ、胸の奥にこれまで覚えたことのない微かな温かさが残っていた。
◇◇◇
現場の確認を終えた頃には、すっかり日が傾いていた。
「エミル」
声を掛けられて振り向くと、レオンハルトがすぐ後ろに立っていた。
「今日は助かった」
「いえ、私は記録をしていただけで」
「魔導具の異変を見つけた。それに、あの子どもも」
レオンハルトは店の中へ視線を向けた。少年は姉の隣に座り、もう泣いてはいない。
「私たちは犯人を捕らえることばかりに意識が向きやすい。だが、守るべき者へ目を向けることも同じくらい大切だ」
クラリスは少し驚いて彼を見上げた。
「君がいてくれてよかった」
穏やかな碧い瞳が、真っ直ぐクラリスを映している。
胸が、大きく鳴った。
その言葉があまりにも嬉しくて、どう返事をすればいいのか分からない。
室長は、誰にでもこうなのかしら。
きっとそうだ。
部下をよく見て、頑張った者には惜しまず言葉を掛ける。それがレオンハルトという人なのだろう。
分かっているのに、胸の鼓動はなかなか静まってくれなかった。
「あ、ありがとうございます」
ようやくそれだけ答えると、レオンハルトは満足そうに頷いた。
その時、クラリスの足元にあった小石がぐらりと動いた。
「わっ」
体が傾く。
倒れると思った瞬間、腕を強く引かれた。
気付けばクラリスはレオンハルトの胸元へ引き寄せられていた。
「大丈夫か」
「は、はい」
近い。
近すぎるわ。
黒い外套の向こうから、彼の体温が伝わってくる。見上げれば、澄んだ碧い瞳がすぐそこにあった。
クラリスの頭の中が一瞬で真っ白になる。
「足元に気を付けなさい」
レオンハルトはそう言って、何事もなかったように手を離した。
「す、すみません」
クラリスは俯き、熱くなった頬を隠す。
室長は、ただ部下が転びそうになったから支えてくださっただけ。
それなのに、どうしてこんなにどきどきするのかしら。
レオンハルトはすでにノアと話を始めている。自分だけが意識しているようで、なんだか悔しい。
「なんだ、顔が赤いな。熱でもあるのか?」
レオンハルトが、視線に気づいたようにクラリスのほうを向く。
「いえ、大丈夫ですっ」
クラリスは、レオンハルトの視線から逃げるように、馬車のほうへと走って向かった。
「大丈夫です」と言ったものの、クラリスは大丈夫ではなかった。
どうしよう。
私、どうかしているわ。
室長といると、動悸が止まらない。
クラリスはその胸のどきどきを、自分が今走っているからだと思おうとした。
読んでいただきありがとうございます!
もし少しでも良いなと思われましたら
リアクション、ブックマークなどいただけると筆者小躍りして喜びます
クラリスは恋愛初心者の箱入り令嬢のため、自分にも他人の心にも鈍感です・・・




