第2話 新人事務員エミルです!
勤務初日です
こうしてクラリスは、事務員の「エミル」として王立魔導保安局特務調査室で働くことになった。
面接らしい面接はなかった。
能力や資格を問われることもなく、いくつかの質問に答えただけ。
これで一体何が分かるのだろうと思ったが、室長は「明日は9時にこちらへ」と言って終わった。
就職の面接って、こんなに簡単なものなの?
クラリスは、あっけにとられたまま、王都をあとにした。
◇◇◇
「エミル、この書類を年代ごとにまとめてくれ」
「はい!」
「こっちは事件別に」
「はい!」
「この報告書も頼む」
「はい!」
出勤初日。
机の上へ次々と積まれていく書類の山に、クラリスは思わずごくりと唾を飲み込んだ。
仕事が多い……思っていたよりも。
王立魔導保安局は、王族直下の組織で国家に関わる犯罪を調査する特務機関だ。クラリスの働く特務調査室は、そのなかでもとりわけ難事件を扱っているという。
つまり、ここでの仕事が国の平和につながっているわけで。
事務員とはいえ、責任重大よね。
クラリスは袖をまくると、早速書類を手に取った。
「……あれ?」
一枚目を開いた瞬間、違和感を覚える。
事件番号は十二番。
その次は七番。
さらに十九番。
「順番がばらばらだ……」
思わず口に出して呟いた。
なぜ、すべてわざとバラバラにしているのかしら。
クラリスは不思議に思いながら、書類を一つずつ開いては整理していった。
一時間後。
「終わりました」
その場にいた全員の手が止まる。
「もう?」
副室長らしき眼鏡の男性が書類をめくり始めた。
「年代順、事件別、担当者別……全部整理されてる」
「しかも索引まで付いてるぞ」
「これ、前より見やすいな」
口々に上がる感嘆の声に、クラリスは少し照れくさくなった。
「屋敷で帳簿の手伝いをしておりましたので」
クラリスは、社交界にも出させてもらえない『幻の令嬢』である。
時間を持て余していたため、幼少より兄エイドリアンの公務の手伝いをしてきた。
それがまさか、こんなところで活きるとは。
小さくごまかすと、レオンハルトが一冊の報告書を手に取った。
「……数字も修正してあるな」
「はい。このページだけ件数が一つ多かったので、おそらく書き写しの間違いかと」
レオンハルトは確認すると、静かに笑った。
「優秀だな」
褒めていただけた……!
胸がふわりと温かくなったそのとき。
「これなら正式採用で問題ありませんね」
ノアの言葉に、レオンハルトが小さく頷く。
え。
これ、試験だったの!?
クラリスの背筋がぞっと震えた。
そっか。そうよね。いくらなんでも、王立魔導保安局ともあろうところがあんな無試験で人を雇うわけないわよね。それにしても油断大敵だわ。恐るべし、王立魔導保安局。恐るべし、特務調査室。
◇◇◇
その後も調査室は慌ただしかった。
副室長のノアは苦労人らしく、次々と仕事を割り振っている。
陽気な調査員のルークは冗談ばかり言って周囲を笑わせ、鑑識担当のミレイユは無口だが、証拠品に触れた途端、人が変わったように饒舌になる。
皆さん、個性的だけれど、善い人ばかりだわ。
そしてなにより──
室長のレオンハルトは次々と上がる報告へ即座に判断を下してゆく。緊急性の高い案件でも常に冷静さを保ち、決して声を荒らげることなどない。
この人、怒ったりすることあるのかしら。
思わずまじまじと見つめていると、ルークがクラリスに耳打ちしてきた。
「室長、すごいだろ。王立魔導学院を首席で出て、二十二歳で特務調査室を任されたんだぜ」
「二十二歳で?」
「室長になる前は騎士団所属で、北部の魔獣災害を一人で食い止めたって話もある。まあ、本人は話したがらないけどな」
魔導学院首席で騎士団所属。そして今は特務調査室長。完璧な方だとは思ったけれど、想像以上だわ。魔力もきっと桁外れの“特級”に違いない。
「まぁ、他部署じゃ『氷の魔侯爵』なんて呼ばれてるけどな」
「氷の……?」
「無表情で隙がないから怖く見えるらしいぜ。ま、敵と見なした相手に容赦しないとこはあるけどな」
『氷の魔侯爵』か。確かに冷静沈着だけど、別に怖くはないような……。
自らも『幻の令嬢』と名付けられたことのあるクラリスは、噂ほどあてにならないものはない、とも思った。
◇◇◇
正午を知らせる青銅の魔導鈴が、調査室の隅で柔らかく鳴った。
「エミル」
「はい?」
顔を上げると、レオンハルトが紙袋を差し出していた。
「昼食は」
言われて初めて気づく。
忘れていた。
朝から緊張していて、用意することすら頭から抜け落ちていたのである。
「す、すみません」
「これを食べなさい」
「えっ?」
「初日に倒れられると困る」
そう言って、自分の昼食を半分差し出すと、レオンハルトは何事もなかったように仕事へ戻ってしまった。
クラリスはしばらく紙袋を見つめたまま固まる。
や、優しい……
なんて良い人なの。
あんなに仕事ができて、偉ぶらないで。
それでいて部下の食事の心配まで。
だれよ。『魔侯爵』なんて名前つけた人は。
クラリスの心は、じいんと温かくなった。
◇◇◇
日が暮れる頃、王都をあとにしてクラリスは何事もなかったような顔で屋敷へ戻った。
夕食を終え、自室へ入った瞬間、寝台へと倒れ込む。
「つ、疲れたぁ……」
腕も足も鉛のように重い。
机に向かっていただけなのに、働くというのはこんなにも体力を使うものなのだろうか。
けれど。
「……楽しかった」
自然と笑みがこぼれた。
兄に守られて過ごしてきた日々も幸せだった。
でも今日、自分の力で誰かの役に立てたことが、何より嬉しかった。
ベッドへ倒れ込んだクラリスは、目を閉じる。
明日も頑張ろう。
そんなことを考えながら、彼女はあっという間に眠りへ落ちていった。
◇◇◇
それから、ほんの少し後。
静かな廊下を歩いてきたエイドリアンが、クラリスの部屋の前で足を止めた。
「クラリス、起きているか」
控えめに扉を叩く。
「お前の婚約者に、一度会ってみないか。話してみれば、お前もきっと――」
返事はなかった。
エイドリアンはしばらく待ったが、室内から聞こえるのは規則正しい寝息だけだ。
「……寝てしまったか」
小さく息を吐き、扉へ手を添える。
「すまない。だが、全部、お前のためなんだ」
エイドリアンはそう言うと、そのまま静かに立ち去った。




