第11話 宮廷舞踏会
宮廷舞踏会当日。
クラリスは侍女に髪を整えられながら、鏡の中の自分をぼんやりと見つめていた。
「きっと、注目の的ですわ。ほんとにお綺麗ですもの」
侍女が嬉しそうに微笑む。
薄紫の髪は丁寧に結い上げられ、淡い蒼のドレスには小さな銀糸の刺繍が散りばめられている。以前の自分なら、少しは胸を躍らせていたかもしれない。
けれど今は、何も感じなかった。
「ありがとう」
小さく微笑む。
それだけで十分だった。
もう、自分の気持ちは胸の奥へしまうと決めたのだから。
「準備はできたか、クラリス」
部屋へ入ってきたエイドリアンは、一瞬だけ妹を見て目を細めた。
「よく似合っている」
「ありがとうございます」
「無理に笑わなくてもいい」
その一言に、クラリスは思わず顔を上げた。
「今日は挨拶だけ済ませればいい。具合が悪くなったらすぐ帰ろう」
やはり兄には分かってしまうらしい。
クラリスは小さく頷いた。
「大丈夫です」
今日は侯爵家の令嬢としての務めを果たす。
それだけを考えよう。
◇◇◇
王宮の大広間は、以前、潜入捜査で訪れた夜会よりもさらに華やかだった。
エイドリアンは相手の爵位や派閥に応じて言葉を変えながら、誰とも摩擦を起こさず会話を終えていく。妹の前では心配性の兄だが、侯爵としての彼が王宮で一目置かれている理由が、クラリスにも少し分かった。
「知り合いを見つけた。少し挨拶してくる」
エイドリアンがそう言って人混みへ消えていく。
「はい」
一人残されたクラリスは、静かに会場を見回した。
すると。
見覚えのある濃紫の髪が目に入った。
「……室長」
思わず声にならない声が漏れる。
黒ではなく濃紺の礼装。
侯爵家の紋章。
堂々とした立ち姿。
王宮の貴族たちと自然に言葉を交わす姿は、保安局で見る室長とは少し違って見えた。
見つけたくなかった。
クラリスの胸が、痛いほど締め付けられる。
忘れよう。
何度そう言い聞かせても、その姿を見つけるだけで心は簡単に揺れてしまう。
いけない。
見つかる前に離れなくちゃ。
クラリスは踵を返し、人混みの中へ紛れ込んだ。
◇◇◇
一方その頃。
レオンハルトは王宮警備隊長と短く言葉を交わしていた。
「保安局は東側を担当します」
「頼む」
レオンハルトたち特務調査室は、令嬢襲撃事件を引き続き追っていた。
今日ほど令嬢が集まる夜はない。
犯人が現れるなら、この舞踏会が最も可能性が高い。
だから今日は捜査のために来た。
それだけのはずだった。
「レオン」
貴族学院時代からの友人、エイドリアンだった。
捜査に集中したいのはやまやまだが、彼には大きな迷惑をかけた。無視するわけにもいかなかった。
「少しいいか」
「ああ」
レオンハルトはエイドリアンに連れられるまま、柱の陰へ移動した。
「例の件だが」
レオンハルトは静かに頷く。
「すまない、エイドリアン」
「謝る必要はない」
「レオンハルト。一度、妹に会ってやってくれないか」
「……会えば期待させるだけだ」
レオンハルトは少しだけ目を伏せた。
「それでも構わない」
「私は──」
エミルの笑顔が浮かぶ。
もう会えないはずの青年。
好きだと伝えることすらできなかった相手。
「他に想う相手がいる」
エイドリアンは驚いたように目を見開いた。
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
「それでも、一度だけ頼む。妹はこのところ塞ぎこんで。見ていられない。私以外の誰かと話せば、少しは気分転換になるだろう。君のような、魔力の持ち主ならなおさら安心だ」
親友としてではない。
兄としての願いだった。
レオンハルトは小さく息を吐く。
「……分かった」
「ありがとう」
エイドリアンは安心したように笑うと、会場の奥へ歩いていった。
レオンハルトも後を追おうとした、その時だった。
不思議な感覚が胸をよぎる。
誰かがいる。
振り返る。
広い会場の向こう。
幾人もの貴族たちの間に、淡い蒼のドレスが見えた。
なぜだろう。
見失う気がしなかった。
方向音痴のはずなのに、その姿だけは自然と目で追えてしまう。
気づけばレオンハルトは、人混みを縫うように歩き始めていた。
一歩。
また一歩。
まるで導かれるように。
その眩い光のもとへ。




