第95話:敵母船「ホワイト・ラボ」突入。――掃除を忘れた少年。
魔導戦艦ベヒモス・シャイニングの針路を塞ぐのは、もはや物理的な障害物ではなかった。
宇宙の虚無から、音もなく湧き出してきたのは、数万、数億という数の「白いリト」だった。
それは、敵母船『ホワイト・ラボ』が生み出した究極の防衛プログラム――『鏡面滅菌』。相手の能力、技術、思考、そして「優しさ」さえも完全にコピーし、それを「不純物」として反対側から打ち消す。掃除屋の天敵、つまり「自分という名の汚れ」の群れ。
無数の白い自分。何も言わず、無表情に、ただ「自分というノイズ」を消しに来る無機質な鏡像たち。
ベヒモスの艦橋で、アルテミスやルクレツィアが必死に迎撃を試みるが、白いリトたちは彼女たちの攻撃を「最も効率的な回避」でかわし、着実に艦体へと取り付いていく。
「リト様、いけません! こいつら、リト様の動きをすべて先読みしています! 攻撃が、まるで自分の影を斬っているようで……!」
ルクレツィアが焦燥を露わにする。だが、甲板に立つリトは、静かに自分の両手を見つめていた。
コピーされているのは、彼の「清掃技術」。磨き上げられた無駄のない所作。そして、汚れを効率よく落とすための理論。
「……僕の真似? いいよ。……でもね。……完璧な掃除なんて、僕も一度だってできたことないんだ」
リトは、ベヒモスのハッチを自ら開け、真空の宇宙へと身を投げ出した。
彼は、武器である雑巾を自ら手放し、両手を広げて「無防備な自分」をさらけ出す。
「君たちには真似できないよ。……この『泥臭さ』だけは。……【清掃奥義:自己・犠牲・浸透】!!!」
リトの肉体が、宇宙空間で眩い光を放ち始めた。
彼自身の細胞、彼自身の記憶、彼自身の「誰かを救いたいという、非論理的で強固な執着」。掃除屋としてではなく、一人の人間としての「エゴ」そのものを、宇宙に染み渡る『究極の洗剤』へと変質させたのだ。
白い人形たちがリトに触れた瞬間――。
コピー元の「無」が、リトの持つ「ドロドロとした、整理のつかない、人間臭い想い」に汚染され、次々と過負荷で爆発していった。
完璧な計算、完璧な白。それらは、リトという少年が抱える「未完成な愛」という不純物に耐えきれず、その論理回路を焼き切らせたのだ。
「……。……。……。……さあ、道は開いたよ。突撃だ!!」
リトは爆風の中に、自らの魂の一部を置いてきたかのような虚脱感を覚えながらも、母船『ホワイト・ラボ』の入り口を指差した。
ベヒモスが外壁を粉砕し、内部へと突入する。
そこは、これまでのどんな戦場よりも静かで、恐ろしい場所だった。
床も壁も天井も、すべてが鏡のように磨かれた白。音を完全に吸収する特殊な素材。
一歩踏み出すたびに、足元から「消毒の光」が放たれ、彼らの存在そのものを、まるで古くなったインクを消すかのように削り取ろうとする。
母船の最奥、巨大な「白の聖域」で、最高防疫官オメガが冷徹に指を鳴らした。
『……全次元滅菌シークエンス。最終フェーズ。……リト。お前の「熱」を、宇宙の均衡のために没収する』
その瞬間、リトの中で、何かが音を立てて消えた。
手に持っていた、ボロボロの布。
さっきまで、自分の命よりも、仲間よりも大切だと思っていたはずの、相棒。
「……ぞうきん?」
その名前を、うまく思い出せなかった。ただの、汚い、湿った布切れにしか見えない。
次に消えたのは、彼の「使命」。
「掃除……って、なんだっけ。……。……。……なぜ、僕は、これを磨かなきゃいけないの?」
心の中にあった「世界をピカピカにしたい」という情熱が、冷たい水で洗い流されたように消えていく。
埃、煤、油、汚れ。
かつては愛おしく、磨き甲斐のある「生命の鼓動」だと思っていたものが、今はただ、視界を汚すだけの不快なノイズにしか見えない。
リトの目から、光が消えた。
彼は、初めて――目の前にある「冷徹な白」に、深い安らぎを覚えてしまった。
「ああ……。そうか。全部、真っ白になれば……。……。……。……掃除なんて、しなくていいんだ。……。……。……苦しまなくて、いいんだ」
リトが、その場に膝をつく。
掃除屋の魂が死んだ。
彼は、初めて――「汚れ」のない虚無を、この世で最も美しいものだと思ってしまったのだ。
リトが「掃除」を忘れました。
宇宙最強の敵よりも、自分自身の「情熱の喪失」が一番の絶望でした。
あなたは、彼に何を思い出してほしいですか?
もしあなたが彼の隣にいたら、どんな言葉をかけてあげたいですか。
感想欄で、彼の記憶の欠片を繋ぎ止めてあげてください。
完結まで残り6話。物語は、愛の「磨き直し」へ。




