第88話:謎の「消毒天使」降臨。――「君の掃除は甘すぎるわ」。
天界の汚れを「根源の汚物」ごと洗い流し、世界に真の静寂が訪れたはずだった。リトの手によって再誕した数万の精霊たちが、感謝の光を放ちながら天界を舞い踊る。その光景は、誰が見ても「ハッピーエンド」そのものだった。
しかし、リトの鼻腔を突いたのは、そんな多幸感を一瞬で塗りつぶす、冷たく、刺すような「薬品の臭い」だった。
「……。……。……この臭い、知ってる。……。……強烈な『次亜塩素酸』と、高濃度の『アルコール』。……。……。……それも、この世界のどこにも存在しないはずの、異常に純度の高いやつだ」
リトが空を見上げると、虹色の空がまるで「ハサミで切り取られた」かのように、直線的な亀裂を走らせた。そこから溢れ出したのは、光ではなく、不気味なほどに無機質な「真っ白な霧」。
その霧の中から、カツン、カツンと、硬いヒールの音を響かせて一人の女性が姿を現した。
彼女は、これまでの天使たちのような羽を持ってはいなかった。代わりに、背中には医療機器のような複雑な機械の四肢を背負い、全身を「防護服」のような白く光沢のある、一分の隙もない衣装に包んでいる。その瞳は、感情を一切排したアイスブルー。
「……対象世界:第851層。……。……『根源の汚物』の活性化を確認。……。……。……掃討プログラムを開始……。……。……あら?」
女性は、リトたちがいる天界を見渡し、わずかに小首をかしげた。
「……汚物が、消えている。……。……いえ、中和されている? ……。……。……非効率ね。……不潔なものは『消去』すれば済む話なのに。……。……あなたが、ここの暫定清掃員?」
「……。……。……暫定じゃないよ。……。……僕はリト。ただの掃除屋だ。……。……君こそ、誰? ……。……土足で天界に上がってこないでくれるかな。今、ワックスを塗ったばかりなんだ」
リトの静かな警告に、女性――宇宙規模の防疫組織から派遣された「消毒天使」のアルファは、感情のない微笑を浮かべた。
「掃除屋? ……。……。……笑わせないで。あなたのやっていることは、ただの『表面的な化粧』に過ぎない。……。……汚れを精霊に戻す? ……。……バカげているわ。有機物はいつかまた腐り、汚れを再生産する。……。……真の清潔とは、すべての不確定要素を消し去り、無機質な『完全滅菌』の状態にすることよ」
彼女が背中のアームを動かすと、そこから巨大な「霧吹き」のようなノズルが伸び、リトが今さっき救ったばかりの小さな精霊たちに向けられた。
「……。……不潔な残留思念(精霊)は、すべて消毒・消去します。……。……【宇宙防疫:プラネタリー・ブリーチ(惑星漂白)】」
「……。……。……っ、やめろ!!」
リトが叫ぶより早く、ノズルから高濃度の「消毒光線」が放たれた。光に触れた精霊たちが、悲鳴を上げる間もなく「白く乾燥した砂」のような無機物へと変わり、崩れ落ちていく。
「な、なんてことを……! リト様が、あんなに一生懸命に洗った精霊さんたちを……!」
エルナが悲鳴を上げ、アルテミスが怒りに顔を染めて聖剣を抜く。しかし、アルファは冷徹に言い放った。
「……汚れを『活かす』掃除なんて、甘すぎるわ。……。……。……私は、この世界ごと『消毒』しに来たの。……不潔な生命の営みを、すべて真っ白な静寂に変えるためにね」
リトの目の前で、彼が守り抜いた「清潔」が、さらに残酷な「無菌」という名の暴力に塗りつぶされようとしていた。リトの手の中で、雑巾がミシリと音を立てる。掃除屋としてのプライドが、今、かつてない激しい怒りとなって燃え上がった。
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