第64話:四天王の紅一点『黄ばみのルクレツィア』。リトの「概念・煮洗い」に沈む。
魔王城の換気扇が回り、淀んでいた空気が入れ替わったのも束の間。リト一行が城の二階、かつては豪華絢爛であったはずの客室へと足を踏み入れた瞬間、そこには視覚的な「不快感」が充満していた。
「……うわぁ。これは、手強いね。ただの汚れじゃない」
リトが足を止めたその部屋は、壁紙からカーテン、ソファの刺繍に至るまで、すべてが「数十年放置された枕カバー」のような、どろりと重たい黄金色の黄ばみに支配されていた。それは単なる埃や煤ではない。執念深く、粘りつき、見る者の精神をじわじわと蝕むような、不潔な魔力の沈殿だった。
「クスクス……。気づいてしまったのね、お掃除坊や。ここは私の『愛』が染み付いた、聖域なのよ」
部屋の奥、黄ばんだシルクのソファに横たわっていたのは、毒々しい紫色のドレスを着た美女――魔王軍四天王の一人、『黄ばみのルクレツィア』であった。彼女が細い指先をパチンと鳴らすと、室内の黄ばみが一斉に脈動を始め、部屋全体が「湿った古布の臭い」と「酸化した脂の臭い」の混じり合った、吐き気を催すような異臭に包まれる。
「私の魔力は『執着』。一度染み付いたら、どんな聖水を持ってきても二度と落ちない、魂の黄ばみよ。あなたのその真っ白で生意気なエプロンも、私のドロドロとした情愛で染め上げて、二度と立ち直れなくしてあげる……!」
ルクレツィアが放ったのは、物理的な汚れを遥かに超えた精神汚染魔法【エンドレス・ステイン】。
放たれた黄色の霧がアルテミスの聖剣に触れた瞬間、神聖な刃は瞬時に茶色く曇り、まるでサビ付いたナタのように切れ味を失っていく。
「リ、リト様……身体が重いです……! 心の中に、なんだか『もう今日は掃除しなくていいかな』『明日やればいいや』っていう、怠慢な汚れがこびり付いて……っ!」
アルテミスが膝をつく。強固な意志を持つ彼女ですら、ルクレツィアの放つ「人生の諦め(汚れ)」には抗いきれない。しかし、リトはその霧の中を、事も無げに歩いていった。
「……なるほどね。黄ばみの正体は、酸化した皮脂とタンパク質の複合汚れ。それが魔法的な『未練』と結びついて固着してるんだ。……でも、ルクレツィアさん。君が『二度と落ちない』って自信満々なのは、ただ『正しい落とし方』を知らないからだよ」
リトは腰のポーチから、自ら魔導窯で精製した特製粉末――『神聖・過炭酸ナトリウム』を取り出した。
「タンパク質汚れにはアルカリ、そして酸化した脂には……『熱』。……掃除の基本、煮洗いを教えてあげるよ」
リトが魔法を指先に込めると、空間全体の湿度が急上昇した。散布された粉末が空気中の水分と反応し、ルクレツィアの「執着の霧」を真っ白な泡へと変えていく。
「な、何!? 私の『永遠の未練』が、シュワシュワと音を立てて分解されていく……!? バカな、愛は……愛は消えないはずよ!」
「愛は消えないかもしれないけど、汚れは消えるんだ。……【清掃奥義:概念・煮洗い(ホーリー・ボイル)】!!」
リトが手をかざすと、部屋全体の温度が「汚れが最もよく落ちる」摂氏六十度に固定された。煮沸されるような熱気。しかし、それは不快な熱ではなく、まるで温泉に浸かっているような、不思議な開放感を伴っていた。
ルクレツィアのドレスが、ソファが、カーテンが――数千年の黄ばみを泡と共に吐き出し、本来の純白、本来の色彩を取り戻していく。
「あ、あああああ……っ!? 剥がれる! 私を縛っていた、重たくて暗い感情が……根こそぎ剥がれていくぅぅぅっ!!」
四天王の絶叫が響く中、リトは優しく、しかし容赦なく、部屋の隅々まで「煮洗い」を徹底していく。それは戦いというより、一人の女性の心を、長年の垢から解き放つ救済であった。
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