第57話:世界の「窓」が曇っている。リト、次元の隙間に手を伸ばす。
「見て、あの空の端っこ。……鏡を拭き残したときみたいな、『拭き跡』が見えるでしょ?」
リトが指差した先。そこは、本来なら美しい夕焼けが広がるはずの水平線だった。しかし、リトの「清掃眼」には、そこだけが油膜を張ったような虹色の濁りに覆われ、空間そのものが「黄ばんでいる」のが見えていた。
「リト殿……流石にそれは、夕焼けの屈折ではないのですか?」
人魚の王が、困惑気味に尋ねる。しかし、リトの表情は真剣そのものだった。
「違うよ。あれは、地上から立ち上った『欲望の煤』と、天界から漏れ出してきた『管理不足の埃』が、世界の境界線で混ざり合って固着した、いわば【次元の換気扇フィルター】の詰まりだ。あれを放置すると、世界の『換気』が止まって、この海もまたすぐに淀んでしまう」
リトは、ベヒモスのマストの最先端に立ち、特製の『次元用・アルカリ電解水』を霧吹きに充填した。
「アルテミスさん、クラちゃん。……僕を、あの空の『汚れの芯』まで届けて。……あそこは実体がないから、物理的な足場が必要なんだ」
「仰せのままに! 私がこの聖剣を足場とし、リト様を天へと導きましょう!」
アルテミスが空中に飛び出し、魔力で固定した剣を階段のように並べていく。
「俺も行くぜ! この足で、空ごとリト様を支えてやる!」
クラーケンの触手が天高く伸び、リトを雲の上のさらに上――世界を包む「次元の膜」の直前まで押し上げた。
そこは、通常の人間なら呼吸すら困難な真空に近い領域。しかし、リトが『精霊水の結界』を張ることで、そこは完璧に除菌・加湿された「クリーンルーム」と化した。
「……うわぁ、近くで見るともっとひどいな。……これは、何万年分の『掃除サボり』だね」
リトの目の前には、巨大な「ガラス」のような空間の壁があり、そこには真っ黒な、こびり付いた『時空の垢』が堆積していた。リトは迷わず、その壁に電解水を吹きかけた。
シュワァァァァァッ!!
汚れが浮き上がる音。しかし、その瞬間、汚れの奥から「意志」を持った叫びが聞こえてきた。
「……何奴だ……。……我らが神に代わって捨てた『廃棄物(罪科)』を、勝手にかき回す不届き者は……!」
汚れの隙間から、黒い翼を持った巨人が這い出してきた。それは、天界の掃除を放棄し、汚れを次元の隙間に押し込み続けてきた「堕ちた管理天使」だった。
「……あ。汚れの主だ。……ねぇ、天使さん。君、この汚れ、わざと隠してたでしょ? ……これじゃあ、下が迷惑するんだよ」
リトは、怒るよりも先に、汚いものを放置した者への「呆れ」を露わにした。その手には、次元をも削り取る『高密度・マイクロファイバー雑巾』が握られていた。




