11話―② 魔物の王の、
料理をしたことがあるのかという問いに対して、シャルロッテは、微笑んで自分の胸に手を当てた。自信に満ちあふれた声で。
「任せて。いつも、クライドがやっているのを見ているもの」
「つまり、自分では無い――?」
包丁を手にしたセオドアは、この凶器を渡していいものか本気で悩んだ。
しかし、お腹が空きすぎている状態の時にダメだなんて言ったら、シャルロッテがしょんぼりしてしまいかねない。彼は、柄の部分をそっと差し向けて
「気をつけてくださいね……。あと、それ、イカもどきなので吸盤にトゲあります」
と、控えめに進言した。
テーブルに置いたボウルの中で、シャルロッテが吸盤に付いたリング状のトゲをごしごし洗う。そのかたわらで、セオドアはなんとも言えない気持ちになりながら辺りを警戒していた。シャルロッテの唇の感触を思い出しながら。
――ああ、とんでもないことを……せめて頬にするべきだった……じゃなくて。こんなことしてていいのかな……。
そわそわしてしまうが、今のところ異変はない。
――まあ、まだ何も仕掛けてこないけど。ダンジョンの術式に介入し直すのに手間取ってるのか……兄さんが、古代エルフの下位互換程度と言ってたのは間違いじゃなさそう。……それにしても、
シャルロッテが、いよいよ、まな板に置いた巨大ゲソに包丁を入れようとしている。
――兄さんの、見様見真似ってことだよね……。あ。ああっ、これは……!
シャルロッテが、自分の指を切りそうな角度でズンッと包丁を入れる。
――アーッ! 兄さんの包丁さばきが速すぎるから! 何も得られてない!
普段色々説明しているくせに、並の人間では視認すらできない速度で切ったりするから。
セオドアは叫んだ。
「待って! 待って! 刃先に手を置かないで! 猫の手にして!」
「あら――なるほど。それにしても、んっ……大きくて硬いわね。切るのが大変」
「あの、オレじゃダメなんですか」
セオドアは真顔になった。
シャルロッテは、ゆるく首を横に振る。
「さっきまで、ドライアドと対峙していたんだから休んでいて。辺りも警戒してほしいし」
「それは……はい、お気遣いありがとうございます」
大人しく、クナイを握ってなにか異変がないか辺りを見回す。耳はシャルロッテの方に傾けながら。
「ええと、とりあえずこのくらいでいいかしら……。次は、油を熱して、イカ(?)を醤油につけて――砂糖も入れようかしら。あ、これはガーリックパウダーね」
「あの、シャルロッテ。一応色々出しましたけど、全部入れなくていいですからね……?」
「ええ、大丈夫よ。それから、小麦粉も混ぜて――片栗粉を表面にぽんぽん」
「ンッ」
ぽんぽんが可愛くて変な声が出た。
セオドアが、咳払いしながら考える。
――あれ、そういえば、イカって揚げる時になにか……あったような……?
なにせ両親から聞いたのが昔のことなので、よく覚えていない。
そうこうしている内に、シャルロッテが沸き立つ油にイカゲソ(※魔物の王)を投入した。
「――よしっ、あとは待つだけね。油が飛ぶから、のぞき込まないようにして……。ふふ、クライドが作っていたフライドサラマンダーを参考にしてみたの。上手く行くかしら」
「――あっ、そうだ!」
セオドアが思い出した直後、高温に熱せられたゲソがパァンと爆発した。
跳ねるゲソ。飛び散る油。火傷必至のそれからシャルロッテを庇うため、セオドアがとっさに彼女へ飛びついた。
結果として押し倒してしまい――彼は、自分の下で目を瞬くシャルロッテの頭の下になんとか手を差し入れられたことに安堵する暇もなく
「もっ――申し訳ございませんッ!! こんな! そんなつもりじゃ!」
密着していた体をバッと離す。
シャルロッテは、こてんと首を傾げて微笑んだ。
「いいのよ、このくらい。庇ってくれてありがとう。イカって爆発するのね……」
「アッ、水分が……身と皮の間に……。あの、それと、すみません……さっきも、その、ドライアドの気を引くために……」
無許可で唇を奪った。
シャルロッテは、また平然と微笑む。
「いいのよ、そのくらい」
「あ……りがとう、ございます……」
――そこは、ちょっとくらい意識してほしかったな……。いや待てよ、オレだから許されてる可能性があるオレだから。
「あっ、そろそろ揚がったかしら」
シャルロッテの視線は、パッとゲソへ向かった。
揚げたてのゲソをふーふー冷ましながら、彼女は首をかしげる。
「これは、ええと、何になるのかしら?」
「魔物の王……の、からあげ?」
「フライド魔物の王じゃないのね」
「オレにもよくわからないです」
いよいよシャルロッテがそれを口に運ぼうとした時、頭の中に、今から食べられる当事者の声が響いた。
『――あっ。あっ!?』
「あっ。いただきます」
律儀に一言添えてから、シャルロッテが香ばしく揚がったゲソを口に入れてもぐもぐする。
「ん。うん……! 美味しい。ぷりぷりしてるわね」
セオドアから心配と困惑の目を向けられながら、もうひとつ。
「ふふ、ちょっと醤油を入れすぎたかしら。味が濃い目だけど……でも、なんだかちょうどいいわ。そういえば、クライドが、こういう味は酒のつまみに良いって言ってたわね」
どんどん食べられていく自身の一部を、魔物の王はダンジョンの監視機能越しに見ながら『裁定者……裁定者……』と他になす術なく呼びかける。ものすごい体験すぎて完全に駄目になっている。
シャルロッテは、ひとまず作った分を食べ終えて満足そうにすると、神妙な面持ちになって言った。
「それじゃあ、お話します。私が、人類を、どうするべきだと思うのか」
それを聞いて、セオドアは、今さらのように思った。
――ああ。はじめから、オレたちが気にかけるべきは、魔物の王じゃなくて……彼女、だったんだ。
その思考を操ることができていないのは、干渉する側の技量の問題ではなく、機能上そういったものを受け付けないように造られているのではないか?
話を聞くだけ。情報を受け取るだけ。
最終的な決定権は――絶対的な決定権は、裁定者に、ある。
セオドアが息をのむそばで、シャルロッテは、静かに語り始めた。
「まず、私は、たしかに世界から争いがなくなればいいのにと思うわ。みんなに笑顔でいてほしい。人間の感情が瘴気を生み出して、魔物を苦しめているのも良くない。人の欲望は、たしかに色んなものを傷付ける」
『ならば――』
「でも。それでも、消してしまうには惜しいの。生きるために必要だから、人は、何かを強く求めるのだと思う」
彼女は、満たされた自分のお腹をさする。
「食べたい、とか、美味しい、と感じるのは、エネルギーや栄養を摂取するために必要な感覚。たしかに、空腹から食料の奪い合いになることもあるけれど……それをなんとか、知恵と協力で乗り越えようと思う人間の営みを、私は美しいと思う」
教会が完全に救うことのできなかった、村の人々を思い出す。傷つけ合おうとして、けれど、決してそれで終わりではない。
世界のどこかで聞いている魔物の王に向かって、丁寧に言葉を紡いでいく。
「今より良くあろうと欲する、その望みすらなくなってしまってはいけない。今満たされている人には温かな場所かもしれないけれど、人類は停滞してはいけない」
『……それは、』
返される言葉は、もっともなものだった。
『それは、そちら側の都合だ。瘴気で苦しむ魔物はどうなる? 巻き込まれた人間はどうなる? 浄化だけでは救えぬだろう』
「……そうね。どれだけ繰り返しても、終わりは見えてこない」
『いま、争いで苦しむ人間は? 見捨てるのか?』
シャルロッテの瞳が、悲しげに伏せられる。結局、自分たちには、世界の全てを平和にすることなどできないのだ。
しかし、その金色のまつげが、下を向き続けることはなかった。
「そうね。取りこぼすの。人間は、大切なものをたくさん取りこぼしながら、それでも命を繋いで未来を目指すの」
きっと、自分一人だったら、誰かを置き去りにした事実に罪悪感を抱いていた。迷い、立ち止まっていた。
けれど、自分も守られるべき存在なのだと示してくれる人がいたから、罪悪感で傷を作ることなく前を向いて言い切れる。
「今までそうして来たように、これからも、貪欲に幸せを求め続けるの。自分たちを一番に、そして他の種族も忘れぬように」
彼女は告げる。自身の選択を。
「私は、人類を、そういうものだと判断します。現時点での不干渉を決定します。障害になるのであれば――あなたの欲望は、私の一存で消去します」
魔物の王に付与された、腕に浮かぶ呪文の輪。彼女はそれに触れ、そのまま、胸の前で腕を組んで祈る。
セオドアは、目を見張った。
――ああ。遠隔浄化の応用。
今まで和解を提案していた魔物の王は、ついに本性を現した。
『待て! 下等生物など滅んでも――!』
「――神のお導きを」
清廉な声。やわらかな光が、シャルロッテの周りにあふれる。手段さえ選んでいれば尊い願いだったはずの欲望を、跡形もなく漂白していく。
それから、パタリと、魔物の王の声はしなくなった。
彼女は、手をほどき、セオドアを見て淡い苦笑を浮かべる。
「少し、可哀想ね。私たちを探して、同じ言葉で話して、仲間のためにがんばっていたのに。与えられた術式をそのまま使ったから、たぶん今ごろ、その気力もなくなっていると思う」
「え……いや、まあ、方法が過激すぎたので……仕方ないかと……」
「そうね。――うん。裁定者としては不干渉だけれど、私は、聖女として人と魔物の両方を守らないと」
悲しみを心の奥底にきちんとしまって、前を向いた、明るい表情。
セオドアは、ようやく肩の力を抜いて笑った。
「――はい。お供します」
そこへ、彼の頭の中にも声が響く。数時間前に聞いた、たおやかなエルフのものだった。
『あっ、ただいま戻りましたぁ。えっと、なんだか術式に介入していた生物がいるので、ダンジョンの外に出しておきますね』
その直後。宣言通りダンジョンの外へ強制転移させられた魔物の王は、背後に黒ずくめの男が立っているのを目にした。
その男は、凄まじい威圧感を漂わせながら剣を握っていて――視認できたのは、そこまでだった。一瞬で、辺りを消し飛ばす勢いで魔力を散らしながら斬りかかって来たから。
◇◇◇
後片付けをしたシャルロッテたちがダンジョンの外へ出たとき、森がなくなったのかと思った。地面まで抉れているのを背景に、こちらを向いたクライドが剣を取り落として駆けてくる。
「……!」
シャルロッテとセオドアは、目を丸くした。クライドが、二人を、黙って一緒に抱きしめたから。
掠れた声で「……よかった」と聞こえる。
彼が不手際を謝る前に、シャルロッテはその背中に手を添えて笑った。
「ああ、あなたにも食べさせたかった。私が作った、魔物の王のからあげ」
「……なん……あ……? なにがあったんだ」
「お腹が空いていたから。大切なことを決める前に、なにか食べようと思ったの」
怪訝な顔で見つめてくるクライドに、彼女はおかしそうに肩を揺らす。
「ふふ、そんなに驚くこと? あなたが言っていたことでしょう」
「――ああ、」
ほとんど吐息のような声を漏らしたクライドは、その意味を正確に理解するまでに少し時間がかかった。




