11話―① 本当はずっと
返ってきたその声は、温かな未来を語る。
『憎み合うことも、奪い合うこともない。誰一人として。その世界を作る力を、裁定者に授けよう』
「……それは、どんな力?」
魔物の王は、こう告げた。
『あらゆる欲望を、永遠に消去する』
「――それは、」
シャルロッテは口をつぐむ。
――確かに、奪い合いなんて起こらない。なにかを渇望することなく、安寧の中に身を沈められる。
彼女の思考に合わせて、光で呪文を綴った輪が右腕に出現する。
『裁定者よ。そこの人間から遺伝子情報を得て、世界中の人類を対象に力を使え』
ドライアドの根の先が、セオドアの頬を軽く切る。赤い血液が、うっすらと頬に滲んだ。
それにびくりと肩を震わせたシャルロッテを見て、セオドアは歯を食いしばる。
――これだけで動揺してる。今のシャルロッテは、ひどく危うい……。
彼が受けた印象のままだった。彼女は、不安で胸が押し潰されそうで――そこに、魔物の王が追い打ちをかける。
『お前は、この惨劇を、未来永劫止められる』
その声と共に、頭の中に映像が流れ込んできた。荒廃した大地を進む、誰かの視点。鞘から抜いた剣には、見覚えがある。
――これは……クライドの、記憶……?
彼が最前線へ向かうまでの間に、地面に積み重なっているのは、命を落とした人々や今まさに苦悶の声を漏らしている負傷者たちだった。
「っ……」
映像は続く。悲鳴と怒号が聞こえる。助けてくれと乞い願う声が、耳に届く。
青ざめ、口を手で覆って、小さく震える彼女を目にしたセオドアは理性が途切れそうだった。
「……彼女に、なにをした」
低く冷たい声。挑発してはならないという、一欠片の抑制しか残っていない。自分がここで殺されては、彼女の心が本当に壊れてしまう。
セオドアの、手足の拘束が強まる。その瞬間、シャルロッテはなにかから解放されたように、乱れた息で自分の右腕をつかんだ。
彼は、わずかに残った理性で、いつもなら見落としてしまいそうな可能性に思い至る。
――これは……ドライアドの操作と、他の干渉を同時にできていない……?
巻き付いた木の根は硬く、力を入れても振り払えない。
――ドライアドに明確な意思が戻れば、木の主導権を取り返せるかもしれない……。
しかし、そこまで考えたところで、シャルロッテがふらりと彼の前まできた。迷子になってしまった、子どものような表情。その瞳には、涙がにじんでいる。
「シャルロッテ……」
「セオドア……私、みんなを……助けたくて……」
細かな内容は把握できていない。しかし、彼女の腕に出現している呪文を見ても、何かしらの力を使わされるのは明白だった。
セオドアは、返す言葉を選ぶのにも迷う。
――それは、人間としての気持ち? それとも、裁定者として? 俺は……どちらに、どう語りかければいい……?
戸惑って、けれど、自分が知っている彼女はだだ一人だと――伝えたいものは、元からひとつだと思い立って息を吐き出す。ゆっくりと、微笑んで。
「ねえ、もっと近くに来てください」
間近で、見つめ合って、なるべく優しく語りかける。自分の手元にある木の根を、とある法則でトントンと叩きながら。
「シャルロッテ。一体、何十億人を相手にするつもりなんですか? あなたが壊れてしまいませんか? みんなって――自分のことは、その中に入っていますか?」
シャルロッテが、ゆっくりと目を瞬く。
魔物の王は、彼の優しさを模した声を発した。
『案ずることはない。今のお前になら、全人類を救うことが――』
セオドアは、ひときわ強く、指でドライアドへメッセージを送った。
――「起きて。見せたいものがある」!
そして、そのまま、
――ああ、なんでこんなタイミングで。
と嘆きつつ、思いきり身を乗り出して――目の前のシャルロッテと、唇を重ねた。
「ん……!?」
『ん……!?』
シャルロッテと魔物の王が、驚きの声を漏らす。
『――!!!!!!』
ドライアドは沸いた。ようやく動いた瞳をこれでもかと見開いた。
セオドアは、唇を離すと、ダメ押しでシャルロッテに伝える。
「愛しています。オレは、知らない誰かより、あなたを守りたい」
彼女は、目に涙を溜めたまま茫然としていた。ドライアドの方が、嬉しそうに甲高い鳴き声を上げながら木の根を引いてセオドアを解放する。
魔物の王は、ドライアドへの介入ができなくなったことに動揺し古代語でなにかをまくし立てていた。しばらく後に、シャルロッテの意識が向く先を奪い返そうとする。
『裁定者よ――黄金の実の力を得た今なら、一人も取りこぼすことなく救うことができる。その身を損なうことすらない。今なら、全てが、叶うのだ』
彼女は、フラッシュバックする戦場の光景に顔を歪めてから、自分のこめかみを押さえる。
「でも……。でも、こういう時、あの人は何か言っていた気がするの」
悲しい。色んなことが、どうしようもなく。
それでも、思い出す。
クライドが、追い詰められた誰かに話していた言葉を。
――覚えているはず。だって、私にかけてくれた言葉も全部覚えてる。いつの間にか、彼が気遣ってくれるのが当たり前になっていたけれど……ちゃんと、覚えているから。
そんな、彼の言葉。
たとえ自分宛てでなくとも、残っているはずだ。
――「とりあえず食って、余裕が出来てからどうするべきか考えろ」
そう。それを、自分は、彼のそばで聞いていた。
とても近くで聞いていた。
「あの、私――」
彼女は、大真面目な顔で申告する。
「今とってもお腹が空いているから、とりあえず食べてから考えるわね」
『?????』
よくわからない切り返しをされて困惑する魔物の王を、シャルロッテは意に介さない。
「ねえ、セオドア、あのイカの足みたいなものって入ってる?」
「えっ!? ――いや、まあ、入ってますけど……」
空間魔法から取り出したのは、紛れもなく、魔物の王の一部。
「ちょっと、シャルロッテ、まさか」
「揚げてみるわ」
『!!!?????』
衝撃的すぎて集中力を切らしたのか、術式介入を失敗した魔物の王は古代語を色々言いながらプツリとシャルロッテの脳内から消えた。
イカゲソを受け取った彼女が、反対側の手をセオドアに伸ばす。
「包丁とまな板、出してくれる?」
「……!」
セオドアは、戦々恐々として尋ねた。
「シャルロッテ……料理、したことあるんですか?」




