10話―② 甘いささやき
ポポが教会の鳩舎に帰ってきた頃には、もう夕暮れ時で、待ち構えていたセラが大声で叫んだ。
「あっ、やっと帰ってきたぁ! 一体どこで寄り道してたのよ!」
手すりに止まって首をかしげるポポに、セラが詰め寄る。
「まったくもう、黙ってたって許さないんだからね。はいっ、次の仕事仕事! ちょっと宿に行って、セオドアちゃんの様子を見てきてくれない? 今日、契約書を提出に来るはずだったのに音沙汰がないのよ」
『ポ……ポ』
「……なに? なんで挙動不審なの? ねえ、あなた――昨日の夜に帰って来るはずだったのに、一体、どこで何をしていたの?」
ポポはしゃべらない。しきりに首をかしげている。
セラは真顔になった。
「……ポポ? 言いなさい」
『ポ……?』
「言いなさい。焼き鳥にするわよ」
『ッポ!!!!???』
ポポは白状した。昨日の夜にあったことと、その顛末を。
◇◇◇
任務中のとある聖女一行に手紙を届け終えた時、もう辺りは真っ暗になっていた。
ポポが、森の適当な木の枝にとまって一休みをする。
――ふう、まったく、こんな時間まで働かせるなんて非常識っポ。それにしても、なんだか気味が悪い……変な音まで聞こえてきて……。
ずるり、ずるり。何かが這いずるような音。
『ポ……!?』
突然、吸盤がついた大きな触腕に体を絡め取られた。ポポが、その本体――魔物の王の前まで、なすすべなく連れて行かれる。
『ポーッ!? なんだっポ! 食べても美味しくないっポ!』
『――、――――』
聞こえてくる、現代では失われた言葉の並び。
『古代語? 裁定者をおびき出せ? ムリムリムリっポ! なんでそんなこと――あーっ食べないで! やるやるやるっポ! ポポは人間の味方じゃないっポ! 裁定者が機能すればなんでもいいっポ! たしかにそっちの言い分も聞くべきだと思うっポゥ!』
ということで、魔物の王に脅され、シャルロッテたちに嘘をついてドライアドの庭まで連れて行った。
今ごろ、クライドと分断されてしばらくが経っていることだろう。
話を聞いたセラが「はぁん!?」と物凄い声量で凄んでくる。
「それでシャルたちを閉じ込めたの!? どうするのよ、ダンジョンなんて利用されたら外からじゃ助けられないわ!」
『ポ……でも、シャルロッテが知ってるのは人間のことだけっポ……。他の生き物の実情とか、真面目に教えてないのは良くないっポ。裁定者はもっと視野を広くもつべき――』
「あなたねえ、洗脳や偏った知識を植え付けられたらどうしようもないじゃない。ああもう、ほら、さっさと行く。古代エルフの隠れ里、神の使いなら知ってるんじゃない? ダンジョン作成者に、不正利用者を追い出してって言うのよ」
『……あそこ、めちゃくちゃ結界張ってあって入るの大変……』
「よく聞こえなかったわね」
『……行ってくるっポ』
ポポが再び、空へ羽ばたいて行く。
それを見送り、大きなため息をついてから、セラはこの世界のどこかにいるシャルロッテのことを考えた。
――シャル……あなた、自分が人間を害したなんてことになれば、耐えられないでしょうに……。ああ、ダメね、甘やかしすぎた。もっと早くに対処するべきだった……なんて、言ってもしょうがないか。
今はこちらで、できることをするしかない。
――ふふ、あの兄弟をそばにつけたことの意味、しっかり見せてもらおうじゃない。
好戦的な笑みを浮かべて、彼女は鳩舎を後にした。
◇◇◇
白磁の温室の壁に魔力を流して、セオドアは首を横に振る。
「ここも駄目ですね。もしかしたら、ドライアドを笑わせないと外に出られないのかもしれません」
「でも……さっきからずっと、動かないままだし」
シャルロッテが見やった先では、先ほどと同じドライアドが、微動だにせず虚空を見つめている。
セオドアは肩を落とした。
「兄さんが気配を察知できなかったことを考えても、オレたちを引き込んだのは、あの木の根でしょうし。死んでるってことはないと思いますけど……」
「ええ、でも、エルフの声も聞こえないわね。なんだか、お出かけする、みたいな雰囲気だったから」
「そもそもエルフには、こんなことをする理由がない。でも代わりにダンジョンを動かせるような存在なんて……と考えると、やっぱり、これって……」
未だ目にしていない敵が、彼の思考に上がる。
「もしも、魔物の王が、ダンジョンの機能を乗っ取っているんだとしたら……」
――オレたちに、抵抗する術なんて、ない。
沈痛な面持ちの彼だったが、シャルロッテが不安げな表情をしているのを見てハッと笑顔を作る。
「ああ、でも、さすがに兄さんも気付いてるだろうし、なんとかしてくれるかも。魔物の王がすぐには仕掛けてこないのも、術式の介入に手間取ってるからかもしれないし。案外このまま、何事もなく帰れるかもしれませんよ」
「……ええ、そうね。今できることと言ったら……ご飯、どうしようかしら」
きゅるるるぅ、と音を立てるお腹をシャルロッテが押さえる。
セオドアは、空間魔法をごそごそしながら眉尻を下げた。
「すみません、いま、まともな食料を入れてなくて……。黄金リンゴは全部食べてもらったし、あとは、蜂蜜にマーガリン、小麦粉、片栗粉……それから……。うーん、こんなことなら、道中もっと食べ物を買っておけばよかったですね」
「駅で食べたサンドイッチ、美味しかったわ」
「はい。また、帰りに買いましょう」
状況は芳しくないが、それでも微笑み合う。
途端、木が軋む音がした。
「……!」
セオドアがとっさに空間魔法からクナイを手にして、迫っていた木の根を振り向きざまに弾く。
「っく……!」
かなりの勢いで突っ込んできたそれに、衝撃を受けた腕が痛む。それでもシャルロッテを背後にかばい、確認すると、ドライアドは変わらず反応を見せなかったが、無数の根が生き物のように地面から出てうごめいていた。
『 裁 定 者 よ 』
頭の中に響く、低くて遅い、くぐもった声。
シャルロッテが、自分のこめかみを押さえる。
「これが、魔物の王……?」
セオドアが、息をのんで眉を寄せる。
――こちらには聞こえない。人類の殲滅でも指示するつもりか……?
「シャルロッテ。そいつのことは考えないでください。オレに集中して」
彼は、脳内の声をかき消すために語りかける。
「ドライアドから離れて。アレも操られてる」『瘴気が、魔物を苦しめている』
「なにを言われても、それはあちら側の都合です……!」『人間が、瘴気を生み出している』
「あなたは、ずっと人間を愛してきたでしょう……!?」『瘴気を消す方法が――人間を、負の感情から救う術がある』
「……え?」
頭に響く声の方が、大きい。
「なに……を、言っているの?」
虚空に問い返すシャルロッテを見て、焦りを浮かべたセオドアを絡め取ろうと木の根が伸びる。その数は多く、いくら応戦しても瞬く間に体の自由を奪われる。
「っ……」
「セオドア……!」
ともすれば、拘束された手足を力づくで操られてしまう。そばでうろたえるシャルロッテを間違っても傷付けないように、セオドアは握っていたクナイを手離した。
彼女は、戸惑い、顔を曇らせてすがるように唇を震わせた。
「お願い、もうやめて……大切な人なの」
『敵対しなければ、命を奪うことはない。我は、争いを望まない』
「……セオドア」
うかがうように、ねだるように視線を向けられて、セオドアは逡巡の後にわずかにうなずくことで了承の意を示す。
――ここまで、何もできないなんて。
それでも、諦めることはできなくて、静かに彼女の動向を見守った。
シャルロッテは、魔物の王が言っていたことを繰り返す。
「人間を、負の感情から救うことが……。世界中から、争いをなくすことも、できる?」
頭の片隅には、かつて戦場にいたクライドの姿があって。
――彼が行かなくても、多くの人が……。みんなが、救われる未来が、ある……?
その可能性を、夢物語だと切り捨てることができずにいた。




