8話―① 人間と魔物
朝、セオドアは、廊下の窓から遠くの海を眺めていた。陽の光が水面にキラキラと反射して、相変わらず底の見えない海だけれど、昨日までのことが嘘のように落ち着いた気持ちで見ることができる。
そこへ、客間に泊まっていたシャルロッテが部屋から出てきて通りかかった。
「あら、おはよう、セオドア」
「あ――おはようございます。あの、」
彼は、自分の胸に手を当てて、すっと腰を折る。
「昨日は、本当にありがとうございました。このご恩は、必ずお返しします」
いつになく畏まった様子の彼に、シャルロッテは、少し目を瞬いてから微笑む。
「それじゃあ、ひとつだけ、お願いを聞いてもらおうかしら」
「……? はい、なんでしょう」
「ご両親が戻られたいま、もう一度、このまま教会付きの騎士になってもいいか考えてほしいの。クライドが強いからあまり意識していなかったけれど、護衛は本来危険な仕事だもの」
彼女の静かな眼差しは、より穏やかな未来をセオドアに提示していた。両親と一緒に家業を営むとか、そうでなくても、家族が一人も欠けることのない平和な日々に今なら戻れる。
セオドアは、それを想像して、なんて幸せなんだろうと頬を緩めて――
昨晩、遅くまで、両親に十一年分の話をして満たされた心で答える。
「それでも、オレはあなたのおかげで、ようやく両親の元から巣立てそうなんです。このまま、連れて行っていただけませんか?」
今度こそ、明確な意思で、両親と自分の心を救ってくれた彼女にこの身を捧げたい――そう、強く思った。
シャルロッテはそれを、少し、くすぐったそうに受け入れる。
「あなたが望んでくれるのなら、喜んで」
見つめ合う二人。そこに、窓ガラスがコツコツと叩かれる音がした。
「あら、ポポ」
白地に黒いハート模様の鳩が、窓をくちばしでつついている。
窓を開けてやりながら、セオドアは
――この鳩、なんで人の家がわかるんだ……? 実は魔物のたぐいだったりして。
と胡乱な目を向けていたが、ポポは首をかしげて、ただの可愛い鳩アピールをしていた。
ポポの足に付いている筒から、シャルロッテが手紙を取り出す。
「セラさんからだわ――。この近くで魔物が暴れてるから、現地の聖女の加勢に行ってって」
二人は顔を見合わせると、クライドに声をかけて記載されていた村まで急いだ。
村に着いたら、もうすでに事態は鎮静化していた。現地の聖女一行が、シャルロッテたちに会釈して去っていく。
クライドが「まあ、そうだよな」と伝書鳩によるタイムラグを思ってつぶやいた。
シャルロッテはクライドに抱えられて来たが、自力で走ったセオドアが息を切らしながら言う。
「帰り、ますか……?」
しかし、遠くに集まっている村人たちの様子がおかしかった。うつむき気味だったり、額を押さえて首を横に振っていたり。
「待って、話を聞いてみましょう」
シャルロッテが、村人の元へ歩み寄る。
「あの、どうされたんですか?」
「あ――ああ、これは、聖女様。それが、今年は魔物による被害が多くて……何度も教会に助けていただきましたが、すでに畑が壊滅状態でして……」
「そんなことが……」
言われた通り、そこに広がる畑は作物が踏み荒らされていて、ろくに収穫ができる状態ではなくなっていた。
セオドアが、そういえばと思い出す。
「ああ、近くの大きな街で、工場開発に反対したデモが起きたとかで……情勢が悪くなってるのと、風向きのせいでこちらまで瘴気が流れてきてるのかもしれません」
難しい問題だった。シャルロッテが、口元に手を当てて考え込む。
――瘴気は、人間の負の感情と、空気中の魔素が反応して出来たもの。何度浄化しても、根本的な問題を解決しない限り魔物の凶暴化はなくならない……。
すると、村人の一人が声を震わせ始めた。
「ひもじい……もう貯蔵庫も空じゃないか……。このままじゃ、みんな飢え死にだ……! もう、隣村を襲うしかない!」
「えっ」
シャルロッテがびっくりして声をあげる。
そうはならんだろ、と動揺する仲間たちを振り切って、村人はそこら辺に落ちていたクワを持って走り出してしまった。
「ク――クライド、止めて……!」
シャルロッテに言われてようやく、彼は面倒くさそうにそれを追いかけた。
首根っこをつかまれ、すぐさま連れ戻された村人は、仲間により寄ってたかって簀巻きにされ始めた。セオドアは「うわぁ……」という目で放置し、シャルロッテは止めるべきかどうか迷う。
「ああ、なにもそこまでしなくても……。皆にも瘴気の影響が……?」
おろおろする彼女の隣で、クライドがため息をついた。
「まあ、気は立ってんだろうな。追い詰められた人間なんてあんなモンだよ」
言ったそばから、ポポの発言を思い出す。
『彼女は人類の裁定者っポ』
さっきのは人類の心証が悪かったなと、なんとなく訂正した。
「いや、人によるな。アレは駄目な部類」
「そんな急に辛辣な……」
でも、と、シャルロッテは淡い苦笑を浮かべた。
「少し、わかる気がするわ。私も、お腹が空きすぎると悲しくなる時があるもの」
セオドアが、ものすごく真剣な顔で彼女を見る。
「朝、食べずに来ましたけど――」
「ええ、でも、このまま帰るわけにもいかないし……」
「兄さん、そこら辺に食材います」
茂みでごそごそしていたツノウサギが、殺気を感じて逃げた。
クライドが、ものすごく真剣な顔で剣を抜く。
「腹いっぱいにしてやろうな」
シャルロッテを無意味に落ち込ませることなど、あってはならない――。
彼女が人類の裁定者であることなど関係なく/知らないが、二人の総意で森へ狩りに行った。




