土曜日のデート 1
土曜日の朝の金沢駅。
「鼓門」へと続くコンコースは、朝から凄まじい熱気に包まれていた。北陸新幹線が開業して以来、金沢駅はもはや単なる移動の拠点ではなく、世界中から人々が押し寄せる巨大なステージへと変貌した。 凪は改札口の近く、少し柱の陰に身を隠すようにして立っていた。地元民として、自分の住む街がこれほどまでに賞賛されるのは誇らしい。けれど、色とりどりの言語と、キャリーケースが床を叩く不規則な騒音に、凪の精神は少しだけ悲鳴を上げそうだった。
(……人酔いしそう。なんだか落ち着かない。)
手元のスマホに目を落とし、昨日のトーク画面を無意識に開く。「用事がある」という昨日の言葉から、了解のスタンプ以降の情報は更新されていない。 その時、人混みの向こうから、周囲の喧騒を軽やかに切り裂いてくる「光」が見えた。
「凪ちゃーーん!」
大きく手を振りながら駆け寄ってきたのは、美央だ。 凪は思わず、その姿に視線を釘付けにされた。 美央が着ているのは、透け感のあるシアー素材のトップスに、見たこともないカッティングのデニムのサロペット。肩にかけた小さなレザーのバッグも、地元のショッピングモールではまず見かけない、洗練されたデザインのものだった。
(……すごい。やっぱり都会の子なんだ。)
素敵だ、と純粋に思う。けれどそれと同時に、自分の中にある「石川の田舎女子」という自意識が、ちくりと胸を刺した。お気に入りのカットソーを選んできたはずなのに、美央の隣に立つと、急に自分がひどく色褪せて見えてしまう。その圧倒的な「華」に、凪は無意識のうちに一歩、後ずさっていた。
「おはよ! やったぁ、今日は二人きりのデートだね!」
美央は凪の目の前でぴたっと止まり、顔を覗き込んできた。太陽のような眩しい笑顔。 凪は少しだけ気圧されながらも、なんとかいつもの冷静さを取り繕って声を出す。
「……おはよ。っていうか、デートじゃないでしょ。ただの観光案内。」
「えー! 女の子二人きりでお出かけなら、それは立派なデートだよ! わたし、超楽しみにしてたんだから!」
美央はそう言って、凪の腕に自分の腕を絡めてきた。至近距離から漂う、甘く爽やかな香水の匂い。凪の心臓が、戸惑いと気恥ずかしさで少しだけ速く脈打つ。
「……いいから、行くよ。ほら、変な目で見られるし。」
「あはは、凪ちゃん照れてる! で、どこから行くんですかっ? リーダー!」
美央の底抜けの明るさに、凪はさっき引っかかっていた胸の奥のトゲが少しずつ、気恥ずかしさという温かい感情に溶けていくのを感じていた。
「んー。……まずは、兼六園っしょ。金沢って、ほぼそこしかないから。」
「兼六園! 教科書で見たやつだ! 行こう行こう!」
美央に手を引かれるようにして、凪は待ち合わせ場所から一歩踏み出した。
「うわあ、見て凪ちゃん!どれも美味しそうなのばっかり……!」
金沢駅の百番街に入った途端、美央の瞳は万華鏡でも覗いているかのように輝き出した。和菓子の繊細な色彩、金箔をあしらった小物。美央は次から次へとウィンドウに張り付き、そのたびに「かわいい!」「これ、絶対欲しい!」「見て!金ぴか!」とはしゃぎ回る。ようやく人気のコーヒーショップに落ち着いた時には、二人の手元にはたっぷりの生クリームの載ったフローズンドリンクがあった。
「うまッ!これ金沢限定?飲んだことないかも。」
「限定じゃないと思うけど。……って、おい! 全然兼六園に行く気配がないんだけど。駅だけで一日終わっちゃうよ?」
「あはは、ごめん! いろんなのがありすぎて、つい(笑)」
「時間なくなっちゃうから、これ飲んだら行くよ? 観光客、午後からもっと増えるんだから。」
「OKOK、わかってるって! すぐ行こう。バスで行くんだよね?」
美央はストローで勢いよくフローズンを吸い込み、頭がキーンとなったのか「あいたた……」と額を押さえている。その様子があまりに無邪気で、凪は呆れながらも、いつものように一人で過ごすはずだった土曜日が、これほどまでに騒がしく賑やかなものになったことで不思議と心のどこかで安心していた。
ようやく駅の外に出ると、五月の風が、鼓門の隙間を吹き抜けていった。 玲のいない寂しさと、美央という強烈な光。凪の代わり映えしない日常は、金沢の街並みと共に、かつてないほど鮮やかな色彩を帯び始めていた。バスの時間を見て少し時間があることを確認して、鼓門の下まで歩いていく。「うわぁ」と美央は大きな朱色の門を見上げながら、スマホのカメラを向ける。凪はそんな美央の姿を見て微笑んでしまう。
「口。空いてるよ。」
急いで口を閉じる美央が、今度は凪に近づき、スマホのレンズをインカメラに切り替えて、ツーショットを取ろうとする。
「はい、ピースして。」
凪は、こうして写真を撮るのも久しぶりだった。カメラになれた様子の美央と比べて、ぎこちない笑顔になってしまう自分が恥ずかしくなる。
「初ツーショットうれしい! 写真、後でちゃんと送るね。」
美央は全身から楽しいがあふれている。シャッターを切ったスマホの画面をすっと見せてくれる。映った写真もモデルさんみたいな最高の笑顔だ。
「ありがとう。それにしても美央はかわいいな。」
「えー!わたしより凪ちゃんの方が美人じゃん!」
「そんなことないよ!」
凪は恥ずかしい気持ちがなかなか静まらない。美央の言動は、どうしようもなく凪を振り回す。でもそれは、凪にとっては不思議と心地よいものだった。
「あ、バス来たよ!」
美央のスマホ画面をまじまじと見ていた凪は、バスの到着に気づけず、美央に連れていかれるようにして出発場所に向かう。
二人はようやくバスに乗り込み、兼六園に向けて移動を始めた。やがて最寄りのバス停を降りて兼六園にたどり着く。しかし、園内に入ってからも「誘惑」は終わらなかった。入り口付近の出店から漂うソフトクリームの甘い香りに、二人の足が同時に止まる。
「……金箔ソフトだって。凪ちゃん、これ食べていい?」
「……だめ。さっき甘いもの飲んだでしょ。今はこの先に進む!」
「うう、リーダー……。」
美央は泣きっ面で名残惜しそうに店を振り返りながらも先に進み、ようやく兼六園の絶景と向き合った。ことじ灯籠の前で、美央のスマホが何度もシャッター音を響かせる。凪も記憶にも残っていないくらいに久しぶりにその景色を見つめ、こんなにも緑が青々しい絶景だったかと目を奪われていた。
「石川って、本当に『水』が綺麗だね……。池の底まで吸い込まれそう。」
美央の視線はついに足元にまで動き、水面をじっと見つめる美央の横顔に、凪は一瞬、彼女が自己紹介の時に見せた「遠くを見る目」を感じて、ドキリとした。
「次のお客さん待ってるから、行こ。」
そのまま気の向くままに歩き、金沢城跡を横目に、美しく整った公園を突き抜けて尾山神社へ歩いていく。ステンドグラスをあしらった神門をくぐり、二人は揃ってお参りをした。「せーのっ」で引いたおみくじは、二人とも、驚いたことに「大吉」。
「やったぁ! 凪ちゃん、私たち最強じゃない!?」
「うん!やばいね!結んでこ!」
「えー!大吉は持ち帰るんじゃないの!?」
「えっ!そうなの!?」
「そうだよ!よかった時は、持ち帰ってお守りにするんだよ!」
凪は、はじめておみくじを持ち帰ることになり、また新鮮な気持ちになった。大吉を引くなんて、自分らしくないとも思っていたし、二人で引き当てたことにとても驚いた。境内の隅で、結ばれていたたくさんの白いおみくじが風に揺れているのを横目に、凪は自分の手の中にそのお守りをそっと折りたたんだ。
「持ち帰るなんて初めて。じゃあ、なくさないようにしないとね。」
そう言って、凪は財布の奥に丁寧にしまい込んだ。美央はそれをみて満足そうに笑い、「今年はいいことありそう」と跳ねるように凪の前を進んでいった。はしゃぐ美央の後ろを引きずられるようにして尾山神社を後にした頃には、お腹はすっかり空っぽになっていた。ソフトクリームを我慢した反動が、近江町市場で一気に爆発する。 コロッケ、串焼きの魚、そしてカットフルーツ。「美味しい!」「これも食べていい!?」「ここ最高っ!楽しすぎ!」食べ歩き欲を完全に解放した美央は、止まることを知らなかった。凪も抑えるどころか、一緒になって食べ歩きを楽しんでいく。二人は、気づけば膨れ上がったお腹を抱えて、夕暮れ時の大通りを駅へと向かっていた。
「……食べ過ぎた〜。」
「くってばっかだったね〜。私、今日夕飯もういらないや(笑)」
「わかるー。お腹パンパン……。調子乗ったー。」
笑い合いながら、西日に照らされはじめた駅への道を腹ごなしにとぼとぼと歩いていく。 その時、不意に、美央の足が止まった。
「……あれ、なんだろう?」
美央の声が、いつになく真剣な響きを帯びている。 彼女が見つめているのは、駅へと続く大通りから一本外れた、人目につきにくい細い路地の奥だった。
建物の影に、隠れるようにして佇んでいたのは、周囲の現代的な建物とは明らかに毛色の違う、古びた三角屋根の木造建築。年季の入った木の質感が、そこだけ時間の流れを止めているような不思議な圧を放っている。凪は美央とその木造建築と視線を交互に配る。 美央は何かに吸い寄せられるように、ゆっくりとその路地の方へと一歩を踏み出した。大通りの喧騒から切り離されたその空間には、微かに、不思議な空気が漂ってきていて、凪は出遅れて美央の後ろをついていった。




