海へのパスポート 4
合宿二日目の朝は、家で迎える朝とはまるで違っていた。差し込む朝日に目を細めながら起き上がると、凪は携帯のアラームが鳴る前に止め、そのまま布団を丁寧に畳み始める。
昨日までは、どこか「夏休みにみんなで遊びに来ている」という気分があったのかもしれない。けれど、美央の姿を見て、自分のことは自分でやろうという意識が芽生えていた。
意識が変われば、行動も変わる。
自分は今、ダイビングのライセンスを取るためにここへ来ている。そして、そのためにインストラクターの瑞稀をはじめ、多くの人が貴重な時間を使って支えてくれている。
(甘えてばかりじゃいられない――)
胸の奥に、小さな責任感が芽吹いていた。いつまでも子供のままではいられない。まして、「お客様」の気分でいては、本当の意味で海の世界に受け入れてもらえない気がした。
海は大自然だ。そこは、常に誰かが守ってくれる世界ではない。だからこそ、自分の安全は自分で守るという自立した心構えが必要なのだ。
それに、今、玲も、自分たちと同じ世界へ踏み出そうとしている。玲が来てくれたとき、胸を張って迎えられる自分でありたい。決して恥ずかしくない先輩ダイバーでありたい。そんな想いもまた、凪の背中を強く押していた。
朝食を済ませると、一行は宿からショップへ向かった。
凪はウェットスーツに着替えると、昨日教わった通りに器材を運ぶ。ずっしりと重いシリンダーも、今日はもう驚くほどではなかった。
プールサイドで準備が進み、講習二日目が始まる。
「よし、じゃあまずは昨日の復習からね。自分で器材を組んでみよう!」
瑞稀の明るい声が響く。
凪は目の前に置かれた重器材を見つめた。
昨日、あれほど複雑に見えた器材も、少しずつ見慣れてきた。まだ瑞稀の細かな指示やアドバイスは欠かせない。それでも、シリンダーベルトをバックルに通す指先の感触は、少しずつ手順を思い出し始めていた。目で見る形が「これで合っている」と脳に伝える。残圧計の向き、BCジャケットへの固定。そしてバルブをそっと開いた瞬間に聞こえる「シューッ」という空気の音と、勢いよく跳ね上がるゲージの針。
昨日はただ覚えるのに必死だった作業が、今日は意味のある動きとして繋がり始めている。一つひとつの手順を丁寧に終えるたびに、「できた」という小さな自信が胸の中に増えていく。その感覚が、凪には少しだけ誇らしかった。
「うんうん、ちゃんと器材組めたね。じゃぁ、今日の最初は、マスククリアからやっていきまーす!」
(うっ……!)
凪の胸の奥が、きゅっと縮こまる。
マスククリア。マスクの中に入った水を、鼻から息を吐いて外へ追い出すスキルだ。言葉にしてしまえば、それだけのこと。昨日も問題なくできていた。けれど、凪はこれが少し苦手だった。
マスクの中の水を抜いても、まつ毛や目の周りにはどうしても水滴が残る。水中では当たり前のことなのだが、それが凪には妙に気持ち悪かった。
肌が濡れるのは平気だ。プールに入っているのだから当然である。しかし、目の周りにまとわりつく水滴だけは別だった。ゴシゴシと手で拭ってしまいたい。そんな衝動が込み上げてくる。それを我慢しなければならないのが、凪にはどうにも苦手だった。
しかし、瑞稀の口から飛び出した次の言葉は、凪の予想をはるかに超えるハードなものだった。
「今日のマスククリアはね、水中でマスクを完全に外します。そのあと、水中でしっかり目を開けてね。私が目の前で数字を指で示すから、それと同じ数字をジェスチャーで私に見せて。それができたら、マスクをもう一度水中で付け直して、マスククリアをします」
(水中で……マスクを外す?)
一瞬、聞き間違いかと思った。マスクを外すだけではない。その状態で目を開け、瑞稀の指を見て、数字を確認しなければならないという。
想像しただけで胸がざわつく。
もし鼻に水が入ったら。
もし目を開けられなかったら。
もし慌ててしまったら。
次々と浮かぶ不安に、心臓が早鐘を打ち始める。
水中で目を開けるなんて、いつ以来だろう。小学校の水泳の授業で無理やり挑戦させられた記憶が、嫌な感触とともによみがえった。
そしてこのマスククリアは、凪だけではなく、他の二人もあまり得意そうではなかった。
動揺する3人の空気を察して、瑞稀が落ち着いたトーンで諭すように言った。
「大丈夫。口でレギュレーターをしっかり咥えてさえいれば、呼吸は絶対に保てるから。マスクは万が一外れてしまった時でも、冷静に落ち着いて対処するスキルなので、念入りにやります。」
マスクは、ダイビング中に外れてしまう可能性が十分にある器材だ。エントリーの衝撃でずれたり、誰かのフィンが当たったり、ストラップが切れたり――理由はいくらでもある。もし海の中でマスクを失ったとき、慌てて浮上しようとすれば重大な事故に繋がりかねない。だからこそ、視界が悪くなっても落ち着いて呼吸を続け、自力で対処する技術が必要なのだ。
理論は分かる。必要性も痛いほど理解できる。しかし、感情がそれに追いつかない。
「げぇ……スパルター……」
隣でみどりが顔をしかめた。その一言に、凪は心の中で全力で同意した。美央もいつもより少し口元が緊張で強張っているように見える。
そんな3人の様子を見て、瑞稀はフッと不敵な笑みを浮かべた。
「ふふん。三人とも、マスククリア苦手でしょ?顔に書いてあるよー。だからー、たくさんやります!全員が完璧になるまで、何回でもやるからねー」
どうやら、三人が抱える不安など、瑞稀には最初からお見通しだったらしい。
苦手なこと、命に関わる重要なことは、徹底的に繰り返す。普段は優しくて頼れるお姉さんのような瑞稀だが、安全に関わる場面では決して妥協しない。
それでも彼女の容赦のない特訓に、三人は真剣に食らいついた。その分だけ上達も実感できた。それはまるでRPGで実績を1つずつ解除していくような感覚で、できることが増えるたびに、ダイバーとしての力が確かに積み上がっていくのが分かり、凪は心地よい充実感を覚えていた。
やがて瑞稀が三人をプールサイドに集める。
「よし。それじゃあ、プール講習の締めだよ。一から全部、通してやってみようか。」
瑞稀は引き締まった表情で説明を始めた。
「自分で器材を組み立てて、そのあとバディチェック。問題なければプールに入って五メートル下まで潜降します。全員が着底したら中性浮力の練習をして、そのまま浮上します。いいですか?」
三人がうなずく。
「じゃあ――はじめ!」
合図とともに器材のセッティングが始まった。
仕上げにふさわしく、瑞稀は一切口を出さない。
凪は一瞬だけ緊張したが、すぐにその不安は消えた。何度も繰り返した練習のおかげで、体が手順を覚えている。
シリンダーにBCジャケットを固定し、ファーストステージを正しい向きで取り付ける。中圧ホースをインフレーターへ接続し、バルブを開いて残圧を確認する。
初日のような戸惑いは、もうなかった。
全ての器材を身に着けると、ずっしりとした重量が全身にのしかかる。
凪のバディは美央だ。二人は向かい合い、ダイビングで最も重要とされる「バディチェック」を始めた。
一方のみどりは、瑞稀とバディチェックを済ませると、先にプールへ入っていった。
「マスクよし! レギュレーターよし! 残圧よし! 各種ホースの絡み、なし!」
声を掛け合いながら、お互いの器材を指さし確認していく。陸上でのこの徹底した点呼を行っていると、凪は自分がさながら「海軍」にでも入隊したかのような、独特の気の引き締まる思いがした。命を預け合うバディとしての責任、そして絶対にミスは許されないという心地よい緊張感が、背筋をピンと伸ばさせる。
レギュレーターを咥えたまま、マスク越しに美央と目を合わせる。
(凪ちゃん、準備OK?)
(OK!大丈夫そうだね。いこう!)
お互いに力強く「OK」のハンドサインを出し合う。それを見届けた瑞稀の号令とともに、二人はプールへと入水した。
たかだか5メートル下といえど、水面から見下ろすと話は別だった。底に広がるコンクリートの床は、はるか遠くにあるように見える。
太陽の光を受けた水は爽やかな青色に輝いている。しかし一般的なプールのような開放感はなく、そこは無機質なコンクリートの壁に囲まれた人工の空間だった。その壁際には、水面から底へ向かって一本の銀色のポールが真っ直ぐ伸びている。
水面で待機していた瑞稀が声を張り上げた。
「じゃぁ順番に。銀色のポールを掴んで、一人ずつ降りて行こうか。できそうなら、ポール無しでもいいよ!ゆっくり!耳抜きね!行きまーす!」
一人ずつ、瑞稀が付き添いながら潜降を行う。
そして、凪の番が来た。
BCのインフレーターボタンを押し、中の空気を抜く。プシューという音とともに、身体が沈み始めた。予想よりも速く体が沈み、思わず銀色のポールを掴む。水中へ入った瞬間、世界から雑音が消えた。耳の届くのは、自分の呼吸音だけ。レギュレーターを通して繰り返される規則正しい呼吸が、静かな水中に響いている。
瑞稀はすぐ近くで見守っているが、手を貸す気配はない。
凪はポールを伝いながら、ゆっくりと身体を沈めていった。1メートル、2メートルと深くなるにつれて、耳の奥にツンとした圧迫感が走る。すぐに鼻をつまみ、軽く息を吹き込み、耳抜きを行う。クチッという音がして圧力が抜けるのを確認し、また数十センチ降りる。
たかだか5メートルの深さ。陸上であれば、走れば一瞬で通り過ぎてしまう距離だ。それなのに、水中ではまるで別世界への階段を一段ずつ降りていくように感じられる。下に降りるにつれて、水面から差し込む光は少しずつ弱くなる。ウェットスーツ越しに伝わる水も、どこか冷たく感じた。そして何より、身体全体を包む水圧の存在がはっきりと分かる。
これが、水の中の世界。
陸の常識が通用しない場所。
自分はいま、その入り口に立っている。そんな小さな感動と畏怖が、胸の奥に静かに広がっていった。
三人が無事に5メートルの水底へとたどり着いた。
コンクリートの床に膝をつき、全員が落ち着いたのを確認した瑞稀が、次のスキルのハンドシグナルを送る。
(フィンピボットの姿勢で中性浮力をはじめます。)
水中での目標は、いわゆる「無重力状態」を作り出すこと。沈みもせず、浮きもせず、宇宙空間に漂うように水中でピタリと静止する状態、それが「中性浮力」だ。
今回はその基礎として、フィンのつま先だけを水底の地面に着けた状態を支点にして、息を吸うと身体がふわりと浮き上がり、息を吐くとゆっくりと沈む、という感覚を掴む練習を行う。
ここまで数々のスキルを練習し、学んできた。しかし、凪にとって、そして多くの初心者ダイバーにとって、この「中性浮力」こそが文字通り一番の難関だった。
「スー……ハー……」
瑞稀のジェスチャーに合わせて、呼吸のタイミングを計る。
吸って……吐いて……吸って……吐いて。
慎重に呼吸をくり返し、姿勢をコントロールしようとするが、まったく思い通りにならない。
息を吸っても一向に身体が浮かないと思ったら、焦ってさらに吸い込みすぎて、今度は身体がロケットのように水面に向かって浮き上がりそうになり、慌てて両手で水をかき水底に留まろうとしてしまう。だが、その反動で今度は息を吐きすぎてしまい、今度は水底にドスンと重く沈み込んでしまう。
まるでシーソーのようだった。うまくいったと思えば行き過ぎる。修正しようとすると、今度は反対へ振れ過ぎる。
凪にとって何より難しかったのは、自分が今どの状態にいるのか、それすら分からないことだった。
どれくらい吸えば正解で、どれくらい吐けば正解なのか。どこが中性浮力なのか。
その答えは人によって違う。だからこそ、自分自身の感覚で見つけるしかない。
ところが、その感覚が凪にはまだ掴めていなかった。
それなのに、目の前の瑞稀は時折「OK」のサインを出してくる。
(えっ? 今ので合ってるの!?)
凪は戸惑ってしまう。
自分の中には、「これだ」という確信がまるでない。だからこそ、凪の頭脳はフル回転を始めてしまう。
しかし、これが完全に裏目に出た。
頭で考えれば考えるほど、緊張と焦りで心拍数が上がり、呼吸が荒くなってしまう。
当然、姿勢のコントロールもさらに乱れた。
しかも浅く速い呼吸は、ダイビングにおいて命綱とも言える「シリンダーのエア」を余計に消費してしまう。
瑞稀に残圧を伝える時、ゲージの針が、想像していたよりも早いペースで減っていたことに気づく。
(もうこんなに使ったの……?)
焦れば焦るほど、また呼吸が乱れ、さらに空気を消費するという悪循環。
エアの消費が激しければ激しいほど、それだけ水中にいられる時間は短くなってしまう。せっかく潜れるようになっても、すぐに浮上しなければならない。そんな焦燥感に追い立てられながらも、凪は必死に呼吸を整え、中性浮力の練習を続けた。
そして制限時間いっぱいまで格闘した末に、最後の潜降訓練は終了した。
うまくできたとは言い難い。
それでも、凪は確かに5メートルの水中世界を自分の力で経験し、その一歩を踏み出していた。
プールでの基礎講習を終え、重い器材を降ろしたとき、凪は心地よい疲労感とともに、中性浮力に対する強いモヤモヤ感を抱えていた。
どうしても上手く感覚が掴めなかった悔しさから、凪はタオルで髪を拭きながら、瑞稀のもとへと歩み寄った。
「瑞稀先生、すみません……。中性浮力、全然感覚が分からなくて。呼吸も荒くなっちゃって、エアの消費がすごく早かった気がします」
落ち込む凪を見て、瑞稀はいつもの優しい、包み込むような笑顔を向けた。
「うふふ、凪ちゃん、すごくよかったよ!」
戸惑う凪に、瑞稀はまっすぐ向き直り、優しく説明を始めた。
「まずね、とにかく『落ち着くこと』。これが一番大事」
「落ち着くこと……」
「うん。緊張して呼吸が早くなると、肺が膨らんで、それだけで浮いちゃうからね。それから、BCには、そんなに空気を入れないことね。初心者の人は沈むのが怖くて、つい多めに空気を入れちゃうんだけど、そうすると今度は浮きすぎてコントロールできなくなっちゃうの」
「はい……」
凪は素直にうなずいた。
「中性浮力って、最終的には身体の感覚で覚えるものだから難しいんだよね。でも大丈夫。あとは凪ちゃんに合ったウエイトの量が分かれば、もっと楽にできるようになると思うよ」
「ウエイトの量?」
「うん。今は講習だから、みんな少し重めにしてるの。だから余計に難しく感じたのかもしれないね」
「ああ、なるほど」
凪が納得したようにうなずくと、横からみどりも口を挟んだ。
「ウエイトかぁ。確かに中性浮力、私も難しいわ」
どうやら同じことを感じていたらしい。
「でも、みんな全然上手だよ! 本当に大丈夫!」
瑞稀はそう言って、にっこり笑った。その笑顔に、凪の肩からふっと力が抜ける。
瑞稀はいつも優しく導いてくれる。できないことを責めるのではなく、できるようになる道筋を示してくれる。
だから凪は、ダイビングを学ぶ時間が楽しかった。
上手くできないのは才能がないからではない。まだコツを掴めていないだけ。まだ自分に合ったセッティングを見つけられていないだけ。
そう思わせてくれる人がいることは、とても心強かった。
瑞稀の言葉に背中を押され、三人は顔を見合わせる。そして、自然と笑みがこぼれた。
長く、そして濃密だった2日間のプール講習が幕を閉じた。
使い込んだ重器材を真水で丁寧に洗い流し、水分を拭き取って所定の場所へと片付ける。ウェットスーツを脱いで私服に着替えると、締め付けられていた身体がふわりと軽くなるのを感じた。
時計に目をやると、外はまだ高い位置に太陽が留まっており、夏真っ盛りの強い日差しが窓の向こうで揺れている。
だが、まだ気を抜くわけにはいかない。
昨日、瑞稀から予告されていた1つの関門――筆記テストが残っているからだ。
ショップの奥にある、外光が心地よく差し込む白いテーブル。
凪、美央、みどりの3人は、自然とそこに並んで腰を下ろした。少しの緊張感が張り詰める中、奥の部屋から瑞稀が3枚のテスト用紙を小脇に抱えて現れた。
「はい、お疲れ様! それじゃあ約束通り、学科テストをやっちゃいましょうか」
そう言って、三人の前にテスト用紙を配り始めた。
凪は目の前に置かれたテスト用紙を見つめながら、自分の鼓動が少し速くなっているのを感じていた。
とはいえ、学校の定期テストのような胃が痛くなる緊張感はない。
みんなで同じテーブルを囲み、自分のペースで解いていく。雰囲気は試験というより、少し難しいクイズ大会に近かった。
「それじゃ、始めて!」
瑞稀の合図とともに、一斉にペンが走り始める。問題用紙をめくった凪は、思わず肩の力を抜いた。
そこに並んでいたのは、教科書の内容を丸暗記していなければ解けないような問題ではない。この二日間で何度も教わり、実際にプールの中で繰り返し練習してきたことばかりだった。
どれも、ただ文字として覚えた知識ではない。自分の身体で体験した内容だった。問題を読むたびに答えが自然と頭に浮かび、ペン先は迷うことなく解答欄を埋めていく。気づけば最後の問題までたどり着いていた。
「できた……!」
凪が顔を上げる。
すると、ほぼ同時に美央とみどりもペンを置いていた。三人は顔を見合わせ、小さく笑い合う。
解答用紙を受け取った瑞稀は目を丸くした。
「もうできたの? はーい。じゃあ、ちょっと待っててね」
そう言って用紙をまとめると、オフィスの奥へ姿を消す。
残された三人の間に、妙な静けさが流れた。
手応えはあった。それでも結果が出るまでは落ち着かない。数分がやけに長く感じられる。
やがて、赤ペンを片手にした瑞稀が戻ってきた。その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
三人は思わず背筋を伸ばした。
「はい、三人とも、見事に合格です! おめでとう!」
「やったー!」
歓声が上がる。
瑞稀は笑いながら、それぞれの前に答案用紙を返していった。そこには大きな赤丸が並び、合格を祝福するように躍っていた。
「美央ちゃんは1問間違い、凪ちゃんとみどりちゃんは2問間違い。」
「よ、よがっだぁ〜〜〜!!」
その瞬間、みどりが盛大に脱力した。
まるで全身の骨が抜けてしまったかのように、白い机の上へぐにゃりと突っ伏す。
「めちゃくちゃ難しかったらどうしようって思ってたんだから……」
机に頬を押しつけたまま、恨めしそうな視線を瑞稀へ向ける。
そんなみどりを見て、瑞稀はいたずらっぽく笑った。
「ふふん、最初にちょっと脅しておいた方が、みんな真剣に勉強するでしょう?」
(ああ、なるほど)
凪は心の中で苦笑する。
(これも瑞稀先生の作戦だったんだ)
厳しく教えるところは徹底的に厳しく。でも、不安を抱えたままにはさせない。
この二日間で、凪は少しずつ瑞稀の指導の仕方が分かってきた気がしていた。
だからこそ、その笑顔を見ていると不思議と安心できる。胸の奥に、じんわりと温かいものが広がった。
その後は、間違えた問題も含めて、瑞稀が一問ずつ丁寧に解説していく。ただ丸付けをして終わりではない。
どこで勘違いしやすいのか。
なぜその答えになるのか。
海へ出たときに迷わないよう、一つひとつ確認していった。
そして最後に、瑞稀が満足そうにうなずく。
「とにかく、これで三人とも無事に合格だね。本当によくできました!」
三人の顔に笑みが広がる。
「明日からの海洋実習、この調子で思いっきり楽しんで、がんばろ!」
「はい!」
三人の返事がきれいに重なった。
次の瞬間、美央が勢いよく手を差し出す。
「やったー! 合格!」
「いえーい!」
「やったね!」
パシン、と乾いたハイタッチの音が響く。
笑顔と歓声が重なり、ショップの中は達成感に満ちた明るい空気に包まれていた。




