05
女子高生の朝は早い。僕も女子高生だ。僕の朝は遅い。
というより、早く起きるんだけど、寝起きが悪くて二時間はぼーっとする時間が必要だから、家を出る時間は遅くなってしまう。
実際、そろそろ布団を引っ剥がして支度を始めなくちゃいけない頃合いだけど、無理だった。お布団がぬくぬくで気持ちがいいからだ。
『とっとと動け』のアラームが鳴って、もぞもぞとベッドから這い出る。
カーテンを開ける。顔を洗う。歯も磨く。牛乳を注いでシリアルを食べる。
淹れた紅茶を飲む。砂糖をたっぷり入れると、だいぶ目が覚めた。
制服に着替え、洗面台の前で自分の寝ぼけ面をまじまじ確認する。
間抜け面だ。
時間はすっかり遅かった。家を出て鍵を閉め、駅まで歩く。
「…………」
太閤口からさらに地下鉄のホームまで人の群れを突き進み、乗る。
ガタン、ガタンと電車は揺られていって、国際センター、丸の内――久屋大通で多くの社会人学生が乗り換えで降りていき、そして過ぎていく。
次でちょうど半分。目的地までは、もう十分揺られる。
空いた隅っこの席に座り、ぼぉっとしていると、高岳でまた止まる。
ドアが開いて。疎らに人が入ってきて。
面倒な奴が、目の前の吊り革で立ち止まる。
「……おはよ」
「お久しぶりです。13時間22分ぶりですね」
数えるな。四六時中考えないと出てこない発言を自然な流れに紛れ込ませるな。
しかし、マズイなぁ。目の前に立たれると逃げられない。
――――まぁ、逃げる気はないんだけど。
この女を自由にしては、ろくなことにならない。
昨日一日を振り返っても明白だ。
縛れる距離を保ちながら、付かず離れず。綾乃をコントロールできる状態を目指す。
その過程で少しずつ幻滅されれば上出来だ。
平穏無事に過ごすにはそれが一番。夜遅くまで考えて、そう結論づけた。
――黒川湊を愛しています?
僕のことをよく知って、はたしてそんなこと言えるかな?
とにかく、首根っこ掴んでチョーカーをプレゼントしてやる。
なんたって綾乃はもう、僕の可愛いかわいい後輩なのだから。
「…………」
けれども。
「…………」
そんな綾乃は、逃げられない僕に何かするでもなかった。特に行動は起こさず、喋りさえしない。黙って前に立って、僕の顔をじーっと眺めていた。
「ど、どうしたの? 昨日はあんなにうるさかったのに」
あまりに落差が激しかったから聞くと、綾乃は少し顔を寄せ、小声で話す。
「車内ですので……」
マトモか! 常識はあるのかよ! あって昨日アレだったの!?
心の中で叫びつつ、電車が目的地に着くまで、お互い公共のルールを遵守する。
到着して降りる。改札を抜けてようやく、綾乃は僕の手をむんずと掴み取った。
「覚悟の準備はできましたか?」
「監禁の件、近いうちに訴えていい?」
「……やっぱり、嫌でした?」
綾乃は困った目つきで言う。
……嫌だったか?
はっきり言ってやる。
「――嫌じゃないよ」
彼女には、幻滅される必要がある。
そのためには、本音をぶつけるのが最も効果的だと、僕は判断した。
本音はいつだって他人を傷付ける。
とりわけ僕の本心はそうだ。爆発させてしまう。
例えば――誕生日にもらったプレゼントは手作りの栞だった。孝宏くんからだ。「どう、頑張って作ったんだ」栞には自作のイラストが描かれていたけど、著しく下手くそだった。こんな栞を使っていると僕の品性が疑われそうだし、もうクローバーの栞を持っていた。そもそも孝宏くんとはあまり話さない程度の仲だった。「だっさ。頑張った甲斐、ないよ」
翌日、僕の下履きにはダンゴムシのプレゼントが入っていた。栞よりはマシな贈り物だ。
孝宏くんは絵も下手で、性根もダンゴムシ並だったけれど、足が速かったから、女子に人気があった。「あんな酷い奴、好きになる方がどうかしてるよ」景子ちゃんは僕をかばってそう言った。「湊ちゃんもそう思うよね」僕は他人の悪口を言う奴と同意を求めてくる奴が死ぬほど嫌いだった。「全然。ってか景子、先週好きって言ってたじゃん」
次の朝、僕の机の上には花瓶が置かれた。孝宏くんと景子ちゃんは付き合ったらしい。
何が悪かったのか――つまり、僕は性格が悪いらしい。
自覚して。けれど人は変わらない。変われない。
僕はあの頃から何一つ、変わっちゃいない。
ガキのままだ。
「楽しかったよ。適度にスリリングで」
「…………しょ、正気ですか?」
なんでやった側が驚いてんだよ。正気の沙汰でない自覚があるならやるなよ。
「先輩は結構、変わった人ですね。あ、愛してます」
「ついでに愛すな」
僕らは並んで学校まで歩く。本当は三歩後ろを歩かせたいが、手を握られている関係上、横に並んでテクテクする方が疲れなかった。
「……そういえば、先輩にプレゼントがあるんです」
「なに記念?」
「出会えた記念です。これを……」
そう言って、綾乃は繋いでないもう片方の手で器用にリュックを開けて、綺麗にラッピングされた小包を手渡す。
「なにこれ?」
「我が家の鍵です」
「家の場所も知らねぇよ!!」
「橦木町のあたりです。山吹谷公園の近くで……来ればすぐ分かります」
「別に聞いたわけじゃないぞ。ほら、返す」
というか橦木町って、確か高級住宅街じゃん。
だろうとは思っていたけど、こいつ本物の資産家か……やはりもらっとく?
などと考えている合間に、我が旭陽高校に辿り着く。
「それじゃ、また」
玄関口でそう別れを告げる。
告げたのに、綾乃はなぜか、繋いだ手を一向に離そうとしない。
ほどこうとすると、握る手を強めて、代わりと言わんばかりに柔らかく微笑む。
「私をおいて、先輩はどこへ行こうと言うのですか?」
「教室だろ」
「私より勉強の方が大事だと言いたいんですか!?」
そりゃ……そうでもない! 別にどっちも大事じゃない!!
「どうしたら離す?」
「とりあえず、このまま先輩の教室に行きましょう」
「はいはい」
教室に行けるなら願ったり叶ったりなので、手を繋いだまま階段を上り、廊下を歩く。
特に何も考えず歩いていたが、すれ違う生徒諸君の暖かな眼差しに、気付く。
……あれ、これ、もしかして既成事実が作られつつある?
教室に足を踏み入れ、千早希や奈緒が二度見したあたりで、自らの認識不足を理解する。
「おはようございます! 私は、湊先輩とお付き合いしました梶原綾乃です! 証拠は……見れば、お分かりですね? ではでは、名前だけでも覚えて帰ってください!」
もしかしてじゃ、ないな。
「それじゃ先輩、また後で」
綾乃は外堀を埋めると、手早く踵を返し去っていく。
残された僕は、やれやれとため息を吐きながら、大きな声で叫ぶ。
「事実無根です!!!!」
冤罪の訴えは無事棄却された。高校裁判の容疑者として壇上に引きずり出され、ありとあらゆる尋問を受けた。
「やったんだろ、なぁ、本当はヤッたんだろう?」
「弁護士を呼べ!」
「静粛に、静粛に……エッチなのはよくないと思います」
「ヘブンかヘル好きな方選べや!」
「やれやれ、私は密やかながら推していましたよ」
「中川ぁ! お前は地獄に堕とすからな!!」
「裁判官。被告人には証言能力が皆無のように思われます」
「うむ、証人を連れてこよう。金髪美少女を法廷に連れ戻せ!」
「民事不介入だぁーーーー!!」
結局、担任の滝沢先生が「朝っぱらからうるさいぞー」と蜘蛛の子を散らし、ホームルームが始まったことで、この弾劾裁判はお流れになる。
昼に綾乃が顔を出して「先輩! お弁当作ってきました!」と言い出すまでは。
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