あなたに首ったけ
『先輩になら、首絞められてもいいなぁって、思ったんですけど。気持ち悪いですか?』
「……うん、そうだね」
お互い、気持ち悪いね。
僕はそう小さく呟く。自室のベッドにごろんと寝転がって、スマホを軽く握り直す。汗でべったり滲んでいた。
「大体、首なんて絞められて、なにが楽しいの?」
枕元には人形がある。ちっちゃな手の部分をいじりながら、目を見ながら、僕はそう呟く。
『楽しくはないですよ。ただ、そうなれば、私の全部が湊先輩の手のひらにあるんだって思うと、そういうのも悪くないなぁって。どれだけ私ごと先輩に届けたくても、言葉だけじゃ伝わらないし。行動に移しても、やっぱり全部は伝わらないと思うんです』
「……それで首絞めたら、綾乃の全部が手に入るの?」
僕はやっぱり小さく呟く。呟きだけが部屋に響いていた。
「僕が、キュっとし続けたら、綾乃、死んじゃうんだよ?」
『私の全部なんてそれくらいです。これまでと、これからを、先輩にあげます』
「……やっぱり。気持ち悪いや」
そういうのも、悪くないなって思ってしまう僕は、どうしようもなく気持ち悪い。
「僕にはちょっぴり重すぎるよ。自分を抱えるだけで精一杯なのに、綾乃の全部も手のひらに収めるなんて。重くて辛くて……苦しいよ」
『……駄目、ですか?』
「…………じゃあさ」
『はい』
ちょっぴり裏返った。声。
「手を繋ぐだけじゃ、駄目、かな。僕は、その……はんぶんこしたいよ。お互いさ、嫌なこととか苦しいことも、楽しいことも嬉しいことも、繋いだ手に半分ずつして。一人じゃ重たいことも、二人だったら、多分、手のひらに載せられるんじゃないかなって。僕は……」
言葉を続けようとして、けれど、続かない。
『……ずっと繋いだままじゃ、いられないじゃないですか。いつかは……手を離さないといけない時が訪れてしまいます。私は、それが嫌で、辛くて、耐えられないんです!』
「でも……」
僕には綾乃のあの細い首を絞めるなんて、あぁ、できるわけがない。
僕には無理だ。たとえそれが本当に綾乃の望みだとしても、僕には……できない。
僕が考え込んで黙ったせいで、しばらくの間、部屋には静寂が舞い降りていた。重たく居心地の悪い沈黙の裏を流れる、抑えがたい感情に、押し出されるよう僕は呟く。
「……僕ね、綾乃のこと、好きだよ。嘘じゃないの……好き」
人形は、表情を変えない。よく分からない多分笑顔のまま、僕を見ていた。
「綾乃が僕に全部あげたいって思うのと同じくらい、いやきっと僕の方がずっとずっと、ずっと強く思ってる。綾乃に、僕の全部をあげられたらなぁ、って」
『湊先輩……』
「綾乃は……僕の首、絞めてくれる?」
『私は…………私は、先輩が望むなら、なんでも』
綾乃ならそう言うに決まってる。言うに決まってるんだ。
でも。
『――そう思ってるのに、ど、どうしてなんでしょうね。今は……できそうにありません』
「綾乃は、僕の全部、欲しくないの?」
あぁ、駄目だ。やめろ。これ以上言葉を続けるな。
『先輩は、私の手にすっぽり入りそうには、ないですからね』
……違うよ、違う。
『手を、握りましょう。指を絡めて、離さないように、はんぶこずつの、約束です』
綾乃はそんなこと、言わない。
「あぁああああああああ!! 駄目、駄目、ダメダメだぁ!!」
僕は枕元の人形――『とっても可愛い僕だけの綾乃ちゃん人形Version3』を放り投げて、耳に貼り付けたスマホを柔軟性豊かなベッドに叩きつける。
スマホが反発して軽く宙を舞った瞬間、ブルルと通知で震える。
転がるスマホを拾い上げ、見ると、綾乃がツイッターで呟いていた。
【先輩の個人情報を全世界に晒そうのコーナーその23!
先輩はこの上なくクールに見えますが実は結構、ひとりごとが多い!!!!】
「…………はぁ」
やっぱり実在の綾乃は違うなぁ。可愛い。なんて可愛いんだろう。
どうすれば綾乃のぱんてぃを合法的に覗くことができるんだろうか。
見せてと言えば見せてくれそうな気もするけど、くれなそうな気もする。
……綾乃に、首、絞められたいなぁ。
言ったら、絞めてくれるかな。それとも、気持ち悪いって、言われちゃうかな。
「ひとりごとでなら……いくらでも言えるのになぁ」
最近の僕の日課だ。
綾乃ちゃん人形を本物の綾乃に見立てて、理想的な妄想を綾乃に言わせる。
そういうひとりごとを、僕はここ一週間ずっと、続けている。
今日の妄想はちょっぴり捻って、電話越しの設定だ。舞台的には、ある程度僕が綾乃に対する好意を見せるようになり、綾乃も薄々は気付きながらも、関係性の破綻を恐れ決定的な事はお互い言えず、けれども緩やかに潮が引くように気付けば既に、戻れないところまで踏み込んでしまっていた僕らはついに……という、筋書きだった。
だったのに! 興奮で声も裏返っちゃうし、汗で体中べったべただし、そもそも綾乃エミュが全くといっていいほど完璧じゃない! 綾乃はもっと、もっと、もっと――――
「――綾乃は、綾乃だけは……違うよね」
……お風呂、入るか。
そう思い、手に持ったスマホを机に置こうとしたとき、また震えた。
着信だった。綾乃からだった。
「………………」
1コール、2コール、3コール……4コール目の途中で手に取り出る。
「あ、湊先輩! 鳴ったらすぐ出てくださいよ、寂しいじゃないですか」
「僕は綾乃と違って忙しいの。出るだけ感謝したまえ」
「むぅ~……」
「……で、こんな夜遅くに掛けてきて、どうかしたの?」
僕がそう言うと、電話越しの本物の綾乃は嬉しそうに話す。
「いえ、さっきまで寝てたんですけど、夢を見て起きちゃって、つい」
「悪夢にうなされたくらいで、真夜中に掛けてこないの。僕じゃなかったら寝てるよ」
「先輩二時まではいつも起きてるじゃないですか。それに、悪夢じゃなくって」
「なに」
「……先輩に、その、首を絞められる夢を、み、見ましてね」
「………………へぇ」
「それでですね。まぁ夢の中とはいえ、先輩に首絞められて、もちろんビックリしたんですけど、その、ちょっぴり嬉しかったりもしまして。いえ、夢ですよ、夢ですけど……」
「…………ねぇ綾乃」
僕は言葉を続けようと、けれどやっぱり、素直じゃない唇は動かない。
「こんなこと、深夜に突然電話してきて、ごめんなさい。気が動転してるんです。や、やっぱり気持ち悪い……ですよねごめんなさい!」
「綾乃!」
「は、はい」
僕はできるだけ明るく元気に、笑って呟く。
「……めっちゃ気持ち悪いね。おやすみ。今度は、いい夢見なよ」
通話終了のボタンをポチッと押してから、ひとりごと。
お互いにね、と。




