・とある王妃の夫
泣かないで欲しいとは言わない。
忘れてくれとも願わない。
何故なら私の想いはそんな生易しいモノじゃないからだ。
でも、そんな私もやはり最期の最期は、この世の誰よりも愛しく可愛らしい君の笑顔がで旅立ちたいと願ってしまう。
グレイス・フォン・ミュラゼル公爵令嬢。
それが私が生涯唯一とは言わないが、命の限り愛し、死した後も愛し続ける最愛の女性の名前。
彼女と私の出会いは、彼女が生まれた直後辺りまで遡る事が可能だ。
私こと、デュリアス・エレジナ・オフナートは、生まれは貧乏な子爵家の庶子となってはいるが、実のところ私の父は彼女の婚約者であった男の父親の弟と言う生まれだった。
が、わたしを腹に身籠った女の身分が低く、また父である王の関心も一介の侍女などに向く訳も無く、女は私を身籠ったまま泣く泣く故郷に帰り、家族や親族に白い目で見られながらも、私をこの世に産み落とした。
きっと、その女はくだらない夢を見ては抱いていたのだろう。
今は迎えに来てはくれないが、いつかきっと自分を迎えに来てくれるのだと。
だから女は私に常に王子らしく在れ、この国の真の世継たれと言い聞かせ、教育を施していた。
そんな女の姿に次第に毒されたのか、最初こそ白い目で見ていた女の家族や親族も、愚かな夢を見始めた時には嗤いを禁じえなかった。
そんなくだらない夢を見ている人間に囲まれていた俺の生活はある日一変する事になる。
その日は俺を産んだ女と女の家族らが無理してあちこちからかき集め、借りた金を使い、盛大な(と言ってもせいぜい金持ちな商人クラスだが)夜会を開いていた。
その夜会の招待客の中には、何故か切れ者と知られている公爵と、その当時は生まれたばかりの君を胸に大切そうに抱いていた公爵の年の離れた従妹姫がいた。
そして、その従妹姫の横にいたのは、幼き日の彼女の兄のグリンデルだった。
彼は私と視線が合うなりふっと、私を鼻で嗤った。
それは明らかな嘲笑であり、私に対しての挑戦状だった。
私はあろうことか彼のその判りやすい挑発に易々と乗ってしまい、気が付いた時には大人げなく剣を小さな彼に対し向けていた。
なれど、それこそが当の公爵が仕掛けていた罠だと知ったのはその少し後のことで。
「――子爵、貴方はご自分の孫の教育もまともに出来ないのですか。これは私の後継ぎたる存在。その息子に怪我を負わせる様なモノを預けているとは・・・。」
感心しませんね、と、恐ろしく低く冷たい声で女の父親を脅していた。更にはどうやって謝罪の意を表すのかと追及していた。
「まさか子供のやった事だから見逃してくれなどとふざけた事は仰いますまい?貴殿は一人の祖父である前に、一人の貴族であるはず。」
「し、しかし、この子は恐れ多くも陛下のご落胤で、」
その時私は確かに見た。
公爵が子爵のその言質を取った瞬間、にたり、と、微笑んだ事を。
そして同時に悟りもした。最初から公爵(後の義理の父)である男が、その瞬間を待っていたのだと。
その後は公爵の独壇場だった。
真に謝罪の意があるのならば「私」を公爵家に差しだし、それ相応の賠償金を払えなど、とても一介の貧乏な子爵家には無理な要求を次々と当てつけていた。
当然、子爵や俺を産んだ女がそんな要求を飲む訳も無く・・・。
ジャキンッッと、金属が掠れ合う音が聞こえた直後、それは既に始まっていた。
私はそのある種異様な光景を瞳にしながら、朧ながらに一つの噂を思い出していた。
この国には王家の闇を王家に代わりに静粛する家があり、その家はいついかなる時も自然とそこにいて、決して逃げる事は叶わない。
公爵家側には一人も私兵がいないのにも拘らず、次々と子爵家が急遽金にモノを言わせ雇った傭兵崩れの男達が倒れて行く。
その中で特に驚いたのが、生まれたばかりの君を胸に抱きながら短剣を振るってい公爵の従兄妹姫の姿だった。
彼女は君を守りながらも、血を厭わず戦っていた。
きっと君は憶えてないだろうね。
君の母親が君の父親の従兄妹姫様であることを。
いや、憶えてないというよりも、敢えて知らされていないのだろう。
君の母親は一人の女である前に、侯爵の騎士として生きていたようだから。
それはどんなに辛い事だっただろうか。
君とこうして夫婦になる事が出来、別れが迫ってきてる今私が願うのは、私を忘れることなく、生涯私だけを思い続けてくれること。
そして君が本当の母親を母と呼ぶ事が叶う事。
グレイス、私の愛する女性。
君は誠実で優しい人だから、私が死した後は私の甥に嫁ぐだろう。
私は悔しいがそれを食い止める事は出来ない。
けれど、君の心に生き続ける事は出来る。
「グレイス、君の甘い口付けが欲しいな。」
病に侵され、すっかり細く青白くなってしまった手で彼女の髪を掬えば、彼女は必死に笑おうとして、失敗していた。
グレイス、君は知らないだろうね。
私が本当はそんなに穏やかで優しい人間ではないという事を。
けれどそれで良い。
だからこそ君は私を選んでくれたのだから。
三日後、私は泣き縋る最愛の人と我が子を残し、静に息を引き取った。




