旦那様は譲れません。なぜなら……
※ハロウィン短編です。
「奥様は"離れ"に移ってちょうだい」
トーマス・ヒルデン男爵が連れ込んだ愛人は、勝ち誇った笑みを浮かべて本妻に宣言した。
「不満なら、出て行ってもいいんだぞ。お前とは、父が勝手に決めた縁談だった。愛などない」
夫トーマスはソファにふんぞり返り、不遜な愛人を咎めもせずに後押しする。
彼の隣には愛人が座り、その豊満な肢体で寄りかかっている状態だ。
細身の妻とは正反対の、派手な化粧に露出の高いドレスを纏った美人。名はネリアと名乗った。
トーマスの妻ヴァレリアは、黙って相手を観察している。
その沈黙をどう受け取ったのか。
「俺は男爵だからな。後継ぎが必要なんだ。お前相手だとまるで食指が動かなかったが、彼女は違う。この屋敷で暮らし、俺の子を産んで貰うつもりだ」
トーマスは臆面なくそう言い放つ。
ヴァレリアとトーマスの間に、閨の時間はなかった。
ヴァレリアはカタチだけの妻として、彼の代わりに領地や屋敷の一切を切り盛りしている。
"便利だから置いてやっているに過ぎない"。
トーマスは日頃から、そう公言して憚らない。
ヴァレリアは没落貴族の娘で、男爵家を追い出されたら行く宛てはないと聞いている。
「離れ、でございますか……」
ヴァレリアが呟く。
トーマスの傍らに座すネリアが、彼女の言葉尻を引き取り、愉快そうに捕捉した。
「敷地隅にある別館よ。木立の中に立つ瀟洒な館。静かで良いと思うわ」
別館とは名ばかり。
敷地の隅にあるのは、ほったて小屋だ。
ヒルデン男爵家はそう大きくない。
本館から出てそこに移り住めと、彼と彼女は屋敷の女主人に指示をした。
本館を、誰憚ることなく愛の巣にするために。
しばしの沈黙のあと、ヴァレリアが頷いた。
「それが旦那様のご意向なら。承りました」
「今夜からだ。直ちに移るように」
本妻は頭を下げて主人に従う。
細い月がかろうじて、空に爪痕を見せる夜だった。
そして日が経ち、今夜は。
その目に収めよとばかりに、大きな満月が夜空を抉る。
地上には煌々と月明かりが降り注ぎ、まるで昼間のように明るい真夜中。
「くっ……は、っつ、あぁっ……!」
本館の部屋では、喘ぐ声が続いている。
「ぐっ……」
それは、男の声。
「たすけて、くれ……」
声の主は蒼白だった。
壁際に追い詰められたトーマスの腹と足から、ドクドクと止めどなく血が流れている。
対するは、刃物を手にした彼の愛人ネリア。
憎しみを湛えた目で、彼女は言う。
「ずっとこの時を待っていたわ」
「っく、よくも俺を騙したな! 誰か──」
「無駄よ。誰も来ないわ。忘れたの? 今夜は私と貴方、二人きり」
この二週間で屋敷は無人になっていた。
ネリアは召使い達に「気に入らない」と次々に暇を出し、あるいは里帰りを促して、人々を追い払った結果。二人だけの夜が成り立っていたのだ。
「罪のない私の弟を殺した報いを、受けるが良い!」
ネリアが刃物を振り上げた時──。
ギィと軋む音がして、彼女の背後で扉が開いた。
「これはどういうことでしょうか?」
来訪者が静かに問う。
「! 奥様、なぜここに!」
「ヴァレリア! 良かった、すぐに! すぐに憲兵を呼べ! この女は人殺しだ。俺は殺されそうになった。早く助けろ」
必死の形相を作るトーマスの声に被さるように、ネリアが吠えた。
「邪魔しないで、奥様! 私はこの日のためにずっと耐えてきたのよ! この男は私の大切な弟を殺した! 復讐のためだけに、私はここに来たの!」
絶叫ともいえるネリアの言葉に、トーマスが唸る。
「くっ、ネリア、貴様! そんな理由で俺に近づいたのか!」
「そんな理由? 二人きりの家族で、かけがえのない弟だったわ。その弟をお前は! 馬車の車輪が泥濘みにはまった腹いせに、ステッキで打ち殺した! 弟がただその場に居合わせただけで!」
"車輪のことは、弟のせいではないのに"と、ネリアが震えながら言う。
姉弟が親を失った原因の流行り病も、領主ヒルデン男爵の対策不足で蔓延したと知れば、彼女はさらに激高したことだろう。
ネリアの言葉にトーマスは、青筋浮かべて唾を飛ばす。
「そんな些末な事、覚えておらん。が! 領民の命をどうしようと、領主である俺の自由だ! 何してる、ヴァレリア。こいつは犯罪者だ! 早く──」
緊迫したふたりをよそに、酷くゆったりとヴァレリアは呟いた。
「血の匂いがしたから来てみれば……」
そしておもむろに、部屋の中に一歩踏み出す。
「旦那様は私のものです。貴女には譲れません」
「お、おお。さすがは我が妻! だがお前では俺を助けられんだろう。出血が酷いんだ。今は人を呼びに行け」
「どいて、奥様。私はあなたまで害すつもりはないの。だから離れに移って貰ったのに」
ネリアが顔を曇らせた。
元は善良な人柄なのだろう。
そんなネリアの様子を伺いつつ、ヴァレリアが言う。
「──私はこの人の父親から、彼を好きにして良いと言われているの。困るわ」
「は?」
トーマスが間抜けな声を出した。
好きにして良い? どういう意味だ。
ヴァレリアがなおも言う。
「私が先約よ。控えてくれないかしら? 使役魔にするため仕込んでいるところなの」
「何を? 使役魔?」
初めて聞く唐突な単語に、トーマスどころかネリアも戸惑う。
そんな彼らを気にも留めず、ヴァレリアは続けた。
「薄汚れた魂を数多罪で黒く染め上げ、仕上げに呪をかければ、こんな風に──」
パチン!とヴァレリアが指を鳴らすと突如、彼女の後ろに三体の異形が出現した。
猿に似た醜い生き物たち。
それぞれコウモリの如く黒い翼と、先の尖った細く長い尻尾を持っている。異形たちは地上に降りるなり、恭しくヴァレリアに傅した。
「きゃあああ!」
「ななななな、なんだ、この化け物! どこから現れた! 貴様は悪魔か? 本物のヴァレリアは? 俺の妻をどこにやった!?」
「どこも、何も。私が最初からヴァレリアで、私以外にヴァレリアはいない」
「何っ?」
ヴァレリアがゆっくりと目を閉じ、口調を変えた。
急激に室温が下がり、地を這うような冷気がトーマスに届く。
「トーマス・ヒルデン。私は昔、我が森に迷い込んで祠を壊した、お前の父親を見逃してやった。その代償としてヤツは、息子を差し出すと約束した。いずれ私の使役魔にして良いと、前男爵はお前を売ったのだ」
「祠? 祠とはなんだ?」
「魔界とこの世を繋ぐ門。我はその門を管理する役目を負い、祠に居たのだが……。ヤツが壊してくれたおかげで、居場所と仕事を失った。だから私はこの屋敷を訪れた。"身寄りのない没落貴族の娘"、"恩人だから息子の妻に"。前男爵が話したこれらは全て、作り話」
「魔界? 作り話? 父上が、俺を売った?」
「そうだ。そして私は、祠を再建する使役魔を増やすため、お前に魔物の種を植え付けた」
がらりと変わったヴァレリアの雰囲気に、トーマスが目を疑う。
長年連れ添ったが、こんな妻は知らない。
話も、突拍子のない内容。
これは夢なのではないか。
いま腹から流れ出るあたたかな血も、反してどんどんと冷えてくる体も、すべてが悪い夢で、自分は今ベッドの中にいるのではないかと──考え始めたトーマスに、ヴァレリアが告げた。
まったく感情のない声で。
「傲慢、強欲、憤怒に色欲。怠惰も。お前が犯す罪は多く、待ち時間もあと僅かというところで、まさか勝手に死にかけるとは」
指折り数えてヴァレリアが言う。
「妻の私に食指が動かなかった? 当然。触れられたくないから、私がお前の意識を弄っていただけ」
ヴァレリアが、並ぶ異形たちを指さした。
「お前はもう少しで、アレになる。──そこの女。私の所有物を奪おうというのなら、それ相応の対価を払って貰うことになるが、どうする?」
いつの間にか変化したのか。ヴァレリアの瞳は、凶悪な金色に変わっている。煮えたぎる溶岩のように猛々しく、その瞳孔は猫のように縦長い。
人間ならざる目に、ネリアの身は竦んだ。
「たい、か?」
「お前のように気概ある人間は面白くて好きだ。私は長く退屈していたから、そうだな。お前が我が伴侶となるなら、アレを譲ってやっても良い」
「はんりょ……」
あまりの驚きで、おうむ返しにヴァレリアの言葉をなぞるネリアを、息も絶え絶え、トーマスが遮った。
「耳を貸すな、ネリア! そんなことより俺を助けろ。二人でこの悪魔から逃げ出そう」
先ほどそのネリアに刺されたにも関わらず、焦る顔で提案するトーマスを見て、ヴァレリアは嘲笑った。
「アハハハ。逃げられると思っているなら、めでたい頭だ。最も、その頭の弱さが使役魔向きだが……。いや、馬鹿過ぎても困るか」
後半の言葉は外には出さず、己に小さく問うている。
気丈にも先に気を取り直したネリアが、ヴァレリアを見据えて確認した。
「私が奥様の伴侶になれば、この男は譲って貰えるのね」
自分でトーマスの息の根を止めたい。強い決意を漲らせて、ネリアが言う。
「っ、馬鹿なことを! 女同士で番えるはずがない。そんな人生はつまらぬものになるぞ。お前は男である俺が好きなはずだ。なあネリア!」
厚かましいトーマスを、キッとネリアが睨んだ。
「好きなものか! お前を篭絡するため、嫌々演技したに過ぎないわ!」
「──な」
絶句するトーマスの横で、ヴァレリアが愉快そうに目を細める。
「くくっ。とんだ道化だな、トーマス。さて。肉体の概念など私たちには無意味だが、望むなら姿はいくらでも変えてやる。男が良いなら、ほら──」
ヴァレリアの姿が闇に掠れて変容する。
粛々としたドレス姿の貴婦人は消え去り、礼装を纏う上品な貴公子が現れた。
「こんなものか? ふむ。髪の色や長さ、何でも希望を聞いてやるぞ? お前はその男の命を絶ちたいようだが、我が妻となって、こいつを未来永劫使役するのも楽しいと思うがな」
声まで低い男性に変わったヴァレリアが、ネリアに提案する。
「……あ……」
ネリアの声がこぼれたのは、一時か永遠か。
トーマスの断罪方法に心が揺れたのだろう。
そんな彼女を見透かして、ヴァレリアが笑みを見せる。見惚れるほど妖艶に。
「早く決めないと、ほら。人としての血が流れ出たせいで、変化が始まっている」
「え?」
「は? ──うわああああああああ!!」
トーマスが悲鳴をあげた。
服からのぞく両手が真っ黒な剛毛に覆われ、爪先は長く鋭く、魔物のごとく変わっている。違和感に振り向くと、長い尻尾がシュルリと動いた。
「ひぃぃぃ! ヴァ、ヴァレリア、早くこの変化を止めろ!! 俺はお前に良くしてやったじゃないか」
「良く? 勤勉な妻を常に罵倒し、酷使し、あげく愛人を連れ込むことが? 面白い言葉の使い方をする」
長身のヴァレリアが、トーマスを見下ろした。その冷たい目に交渉の余地がないことを見て取ると。
「くそ! 助けてくれ、ネリア!! 化け物にはなりたくないっ! いま手当すれば命だってきっと助かる──」
「……どの口が。私の弟も、お前に助けを願ったのに!」
吐き捨てるようにネリアが応えた。
「心を決めたわ、奥様。あなたにこの男を返すから、永遠に使い倒してくれたらいいわ」
そしてきっぱり宣言した。
「だから私はあなたの伴侶にはならない。私に"永遠は不要"だもの」
「賢明だ」
青年は満足そうに頷くと、先ほどとは違う笑顔でネリアを見つめた。
「気が向いたら、いつでも我が森に来るが良い。お前の仇を取り上げた埋め合わせをしよう」
あなたの森ってどこよ。そうネリアが思うなり、脳裏に地図が浮かぶ。
「いいいい、行かないわ!」
「ふっ。良き生を送れ、ネリア。──さて、お前はこっちだ」
「ギャギャギャギャ……!」
もはや人語が喋れなくなったトーマスの首根を片手で掴み、ヴァレリアが踵を返す。そのまま闇に溶け消えて、窓から差し込む月明かりは、ぽつり。ネリアの影だけを作っていた。
後日。ヒルデン男爵家に戻って来た使用人たちは、館の中に妙な生き物の足跡と大量の血痕を見つけ、自分たちが不在の間に魔物が主人や夫人、そして愛人を連れ去ったのだと震えあがった。
"魔物の餌場"。
噂は瞬く間に広がり、ヒルデン男爵家からは人が消え、惨劇があった館はいつしか大きな森の一部と化した。
その後、旅人が森の奥で小さな祠らしき石組みを見つけたと話していたが、やがてそれもひっそりと──草に埋もれて見つからなくなったという──。
お読みいただき有難うございました!
毎年恒例、ハロウィン時期にダークなお話。ジャンルはホラーかも知れない。
(なろう内検索「by.みこと。 ハロウィン」なんかで出てきます(笑))
何とかネリアをヴァレリアとカップルにしたかったのですが、百合にしても、異性にしても無理でした。ネリア、復讐に人生を捧げたのに、そこは頑なでしっかりしてて(;´∀`)
この先彼と彼女が再びあいまみえる時は来るのでしょうか…?
そしていつかやってみたかった「祠を壊した」ネタです。
トーマスのパパ(前男爵)も息子と同じく「自分さえ良ければ」タイプだったので、息子を売っちゃたのですね。酷いな!
ところで昨日10月8日は「永遠の日」でした。投稿間に合いませんでした。
今日は「熟成肉の日」で「マカロンの日」らしいです。
秋の気配に美味しいものが食べたくなりつつ。
素敵なハロウィンをお過ごしください。Trick or treat!




