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旦那様は譲れません。なぜなら……

掲載日:2026/10/09

※ハロウィン短編です。

「奥様は"離れ"に移ってちょうだい」


 トーマス・ヒルデン男爵が連れ込んだ愛人は、勝ち誇った笑みを浮かべて本妻に宣言した。

 

「不満なら、出て行ってもいいんだぞ。お前とは、父が勝手に決めた縁談だった。愛などない」


 夫トーマスはソファにふんぞり返り、不遜な愛人を咎(とが)めもせずに後押しする。


 彼の隣には愛人が座り、その豊満な肢体で寄りかかっている状態だ。

 細身の妻とは正反対の、派手な化粧に露出の高いドレスを纏った美人。名はネリアと名乗った。


 トーマスの妻ヴァレリアは、黙って相手を観察している。

 その沈黙をどう受け取ったのか。


「俺は男爵だからな。後継ぎが必要なんだ。お前相手だとまるで食指が動かなかったが、彼女は違う。この屋敷で暮らし、俺の子を産んで貰うつもりだ」


 トーマスは臆面なくそう言い放つ。

 

 ヴァレリアとトーマスの間に、閨の時間はなかった。


 ヴァレリアはカタチだけの妻として、彼の代わりに領地や屋敷の一切を切り盛りしている。


 "便利だから置いてやっているに過ぎない"。

 トーマスは日頃から、そう公言して憚(はばか)らない。

 ヴァレリアは没落貴族の娘で、男爵家を追い出されたら行く宛(あ)てはないと聞いている。


「離れ、でございますか……」


 ヴァレリアが呟く。

 トーマスの傍(かたわ)らに座すネリアが、彼女の言葉尻を引き取り、愉快そうに捕捉した。


「敷地隅にある別館よ。木立の中に立つ瀟洒な館。静かで良いと思うわ」


 別館とは名ばかり。

 敷地の隅にあるのは、ほったて小屋だ。

 ヒルデン男爵家はそう大きくない。


 本館から出てそこに移り住めと、彼と彼女は屋敷の女主人に指示をした。

 本館を、誰憚(だれはばか)ることなく愛の巣にするために。


 しばしの沈黙のあと、ヴァレリアが頷いた。


「それが旦那様のご意向なら。承りました」

「今夜からだ。直ちに移るように」


 本妻は頭を下げて主人に従う。


 細い月がかろうじて、空に爪痕を見せる夜だった。




 そして日が経ち、今夜は。


 その目に収めよとばかりに、大きな満月が夜空を抉(えぐ)る。

 地上には煌々と月明かりが降り注ぎ、まるで昼間のように明るい真夜中。


「くっ……は、っつ、あぁっ……!」 


 本館の部屋では、喘(あえ)ぐ声が続いている。


「ぐっ……」


 それは、男の声。


「たすけて、くれ……」


 声の主(ぬし)は蒼白だった。



 壁際に追い詰められたトーマスの腹と足から、ドクドクと止めどなく血が流れている。

 対するは、刃物を手にした彼の愛人ネリア。

 憎しみを湛えた目で、彼女は言う。


「ずっとこの時を待っていたわ」


「っく、よくも俺を騙したな! 誰か──」

「無駄よ。誰も来ないわ。忘れたの? 今夜は私と貴方、二人きり」


 この二週間で屋敷は無人になっていた。

 ネリアは召使い達に「気に入らない」と次々に暇を出し、あるいは里帰りを促して、人々を追い払った結果。二人だけの夜が成り立っていたのだ。


「罪のない私の弟を殺した報いを、受けるが良い!」


 ネリアが刃物を振り上げた時──。

 ギィと軋む音がして、彼女の背後で扉が開いた。


「これはどういうことでしょうか?」


 来訪者が静かに問う。


「! 奥様、なぜここに!」

「ヴァレリア! 良かった、すぐに! すぐに憲兵を呼べ! この女は人殺しだ。俺は殺されそうになった。早く助けろ」


 必死の形相を作るトーマスの声に被さるように、ネリアが吠えた。


「邪魔しないで、奥様! 私はこの日のためにずっと耐えてきたのよ! この男は私の大切な弟を殺した! 復讐のためだけに、私はここに来たの!」


 絶叫ともいえるネリアの言葉に、トーマスが唸る。


「くっ、ネリア、貴様! そんな理由で俺に近づいたのか!」


「そんな理由? 二人きりの家族で、かけがえのない弟だったわ。その弟をお前は! 馬車の車輪が泥濘(ぬかる)みにはまった腹いせに、ステッキで打ち殺した! 弟がただその場に居合わせただけで!」


 "車輪のことは、弟のせいではないのに"と、ネリアが震えながら言う。

 姉弟が親を失った原因の流行り病も、領主ヒルデン男爵の対策不足で蔓延したと知れば、彼女はさらに激高したことだろう。


 ネリアの言葉にトーマスは、青筋浮かべて唾(つば)を飛ばす。


「そんな些末(さまつ)な事、覚えておらん。が! 領民の命をどうしようと、領主である俺の自由だ! 何してる、ヴァレリア。こいつは犯罪者だ! 早く──」


 緊迫したふたりをよそに、酷くゆったりとヴァレリアは呟いた。


「血の匂いがしたから来てみれば……」


 そしておもむろに、部屋の中に一歩踏み出す。


「旦那様は私のものです。貴女(あなた)には譲れません」


「お、おお。さすがは我が妻! だがお前では俺を助けられんだろう。出血が酷いんだ。今は人を呼びに行け」


「どいて、奥様。私はあなたまで害すつもりはないの。だから離れに移って貰ったのに」


 ネリアが顔を曇らせた。

 元は善良な人柄なのだろう。

 そんなネリアの様子を伺いつつ、ヴァレリアが言う。


「──私はこの人の父親から、彼を好きにして良いと言われているの。困るわ」


「は?」


 トーマスが間抜けな声を出した。

 好きにして良い? どういう意味だ。


 ヴァレリアがなおも言う。


「私が先約よ。控えてくれないかしら? 使(・)役(・)魔(・)に(・)す(・)る(・)た(・)め(・)仕込んでいるところなの」


「何を? 使役魔?」


 初めて聞く唐突な単語に、トーマスどころかネリアも戸惑う。

 そんな彼らを気にも留めず、ヴァレリアは続けた。


「薄(・)汚(・)れ(・)た(・)魂(・)を数多(あまた)罪で黒く染め上げ、仕上げに呪をかければ、こんな風に──」


 パチン!とヴァレリアが指を鳴らすと突如、彼女の後ろに三体の異形が出現した。


 猿に似た醜い生き物たち。

 それぞれコウモリの如く黒い翼と、先の尖った細く長い尻尾を持っている。異形たちは地上に降りるなり、恭(うやうや)しくヴァレリアに傅(かしず)した。


「きゃあああ!」

「ななななな、なんだ、この化け物! どこから現れた! 貴様は悪魔か? 本物のヴァレリアは? 俺の妻をどこにやった!?」


「どこも、何も。私が最初からヴァレリアで、私以外にヴァレリアはいない」

「何っ?」


 ヴァレリアがゆっくりと目を閉じ、口調を変えた。

 急激に室温が下がり、地を這うような冷気がトーマスに届く。


「トーマス・ヒルデン。私は昔、我が森に迷い込んで祠を壊した、お前の父親を見逃してやった。その代償としてヤツは、息子を差し出すと約束した。いずれ私の使役魔にして良いと、前男爵はお前を売ったのだ」


「祠? 祠とはなんだ?」


「魔界とこの世を繋ぐ門。我はその門を管理する役目を負い、祠に居たのだが……。ヤツが壊してくれたおかげで、居場所と仕事を失った。だから私はこの屋敷を訪れた。"身寄りのない没落貴族の娘"、"恩人だから息子の妻に"。前男爵が話したこれらは全て、作り話」


「魔界? 作り話? 父上が、俺を売った?」

「そうだ。そして私は、祠を再建する使役魔を増やすため、お前に魔物の種を植え付けた」


 がらりと変わったヴァレリアの雰囲気に、トーマスが目を疑う。


 長年連れ添ったが、こんな妻は知らない。

 話も、突拍子のない内容。


 これは夢なのではないか。

 いま腹から流れ出るあたたかな血も、反してどんどんと冷えてくる体も、すべてが悪い夢で、自分は今ベッドの中にいるのではないかと──考え始めたトーマスに、ヴァレリアが告げた。

 まったく感情のない声で。


「傲慢、強欲、憤怒に色欲。怠惰も。お前が犯す罪は多く、待ち時間もあと僅かというところで、まさか勝手に死にかけるとは」


 指折り数えてヴァレリアが言う。


「妻の私に食指が動かなかった? 当然。触れられたくないから、私がお前の意識を弄(いじ)っていただけ」


 ヴァレリアが、並ぶ異形たちを指さした。


「お前はもう少しで、アレ(・・)になる。──そこの女。私の所有物を奪おうというのなら、それ相応の対価を払って貰うことになるが、どうする?」


 いつの間にか変化したのか。ヴァレリアの瞳は、凶悪な金色に変わっている。煮えたぎる溶岩のように猛々しく、その瞳孔は猫のように縦長い。

 人間(ひと)ならざる目に、ネリアの身は竦(すく)んだ。


「たい、か?」

「お前のように気概ある人間は面白くて好きだ。私は長く退屈していたから、そうだな。お前が我が伴侶となるなら、アレ(・・)を譲ってやっても良い」

「はんりょ……」


 あまりの驚きで、おうむ返しにヴァレリアの言葉をなぞるネリアを、息も絶え絶え、トーマスが遮(さえぎ)った。


「耳を貸すな、ネリア! そんなことより俺を助けろ。二人でこの悪魔から逃げ出そう」


 先ほどそのネリアに刺されたにも関わらず、焦る顔で提案するトーマスを見て、ヴァレリアは嘲笑(わら)った。


「アハハハ。逃げられると思っているなら、めでたい頭だ。最も、その頭の弱さが使役魔向きだが……。いや、馬鹿過ぎても困るか」


 後半の言葉は外には出さず、己に小さく問うている。

 気丈にも先に気を取り直したネリアが、ヴァレリアを見据えて確認した。


「私が奥様の伴侶になれば、この男は譲って貰えるのね」


 自分でトーマスの息の根を止めたい。強い決意を漲(みなぎ)らせて、ネリアが言う。


「っ、馬鹿なことを! 女同士で番(つが)えるはずがない。そんな人生はつまらぬものになるぞ。お前は男である俺が好きなはずだ。なあネリア!」


 厚かましいトーマスを、キッとネリアが睨んだ。


「好きなものか! お前を篭絡するため、嫌々演技したに過ぎないわ!」

「──な」


 絶句するトーマスの横で、ヴァレリアが愉快そうに目を細める。


「くくっ。とんだ道化だな、トーマス。さて。肉体の概念など私(・)た(・)ち(・)には無意味だが、望むなら姿はいくらでも変えてやる。男が良いなら、ほら──」


 ヴァレリアの姿が闇に掠(かす)れて変容する。

 粛々としたドレス姿の貴婦人は消え去り、礼装を纏う上品な貴公子が現れた。


「こんなものか? ふむ。髪の色や長さ、何でも希望を聞いてやるぞ? お前はその男の命を絶ちたいようだが、我が妻となって、こいつを未来永劫使役するのも楽しいと思うがな」


 声まで低い男性に変わったヴァレリアが、ネリアに提案する。


「……あ……」


 ネリアの声がこぼれたのは、一時か永遠か。

 トーマスの断罪方法に心が揺れたのだろう。

 そんな彼女を見透かして、ヴァレリアが笑みを見せる。見惚れるほど妖艶に。


「早く決めないと、ほら。人としての血(いのち)が流れ出たせいで、変化が始まっている」


「え?」

「は? ──うわああああああああ!!」


 トーマスが悲鳴をあげた。

 服からのぞく両手が真っ黒な剛毛に覆われ、爪先は長く鋭く、魔物のごとく変わっている。違和感に振り向くと、長い尻尾がシュルリと動いた。


「ひぃぃぃ! ヴァ、ヴァレリア、早くこの変化を止めろ!! 俺はお前に良くしてやったじゃないか」


「良く? 勤勉な妻を常に罵倒し、酷使し、あげく愛人を連れ込むことが? 面白い言葉の使い方をする」


 長身のヴァレリアが、トーマスを見下ろした。その冷たい目に交渉の余地がないことを見て取ると。


「くそ! 助けてくれ、ネリア!! 化け物にはなりたくないっ! いま手当すれば命だってきっと助かる──」

「……どの口が。私の弟も、お前に助けを願ったのに!」


 吐き捨てるようにネリアが応えた。


「心を決めたわ、奥様。あなたにこの男を返すから、永遠に使い倒してくれたらいいわ」


 そしてきっぱり宣言した。


「だから私はあなたの伴侶にはならない。私に"永遠は不要"だもの」


「賢明だ」


 青年は満足そうに頷くと、先ほどとは違う笑顔でネリアを見つめた。

「気が向いたら、いつでも我が森に来るが良い。お前の仇を取り上げた埋め合わせをしよう」


 あなたの森ってどこよ。そうネリアが思うなり、脳裏に地図が浮かぶ。

「いいいい、行かないわ!」


「ふっ。良き生を送れ、ネリア。──さて、お前はこっちだ」

「ギャギャギャギャ……!」


 もはや人語が喋れなくなったトーマスの首根を片手で掴み、ヴァレリアが踵を返す。そのまま闇に溶け消えて、窓から差し込む月明かりは、ぽつり。ネリアの影だけを作っていた。




 後日。ヒルデン男爵家に戻って来た使用人たちは、館の中に妙な生き物の足跡と大量の血痕を見つけ、自分たちが不在の間に魔物が主人や夫人、そして愛人を連れ去ったのだと震えあがった。


 "魔物の餌(エサ)場"。


 噂は瞬く間に広がり、ヒルデン男爵家からは人が消え、惨劇があった館はいつしか大きな森の一部と化した。


 その後、旅人が森の奥で小さな祠らしき石組みを見つけたと話していたが、やがてそれもひっそりと──草に埋もれて見つからなくなったという──。





 お読みいただき有難うございました!

 毎年恒例、ハロウィン時期にダークなお話。ジャンルはホラーかも知れない。

(なろう内検索「by.みこと。 ハロウィン」なんかで出てきます(笑))


 何とかネリアをヴァレリアとカップルにしたかったのですが、百合にしても、異性にしても無理でした。ネリア、復讐に人生を捧げたのに、そこは頑なでしっかりしてて(;´∀`)

 この先彼と彼女が再びあいまみえる時は来るのでしょうか…?


 そしていつかやってみたかった「祠を壊した」ネタです。

 トーマスのパパ(前男爵)も息子と同じく「自分さえ良ければ」タイプだったので、息子を売っちゃたのですね。酷いな!


 ところで昨日10月8日は「永遠(とわ)の日」でした。投稿間に合いませんでした。

 今日は「熟成肉の日」で「マカロンの日」らしいです。


 秋の気配に美味しいものが食べたくなりつつ。

 素敵なハロウィンをお過ごしください。Trick or treat!

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みこと。作品リンク

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【今年のイセコイ話】
『余命一日。婚約破棄なら、ご勝手に!』

『ハズレ王女の婿探し』
― 新着の感想 ―
途中から、「お? GLか? GL来るのかコレは!?」と思ってたら、ネリアがまっとうな人だったー!! 野球で言ったら、打った瞬間ホームランか!?てなった球が、ギリギリ切れてファウルになったような心地も若…
拝読させていただきました。 これは秀逸なホラーです。 人間を超える者ヴァレリアのキャラも魅力的ですが、 ネリアの人として真っ当に生きる生き様も魅力的です。
ネリアかっこええ…その心意気があればどんなことでもやって生き延びてみせることができるはず。頑張れ〜!!
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