3、青き鹿 ドラスロール
8年前、一人の少女が死んだ「憤怒の森」に今、一匹の魔獣が駆け回っていた。
白く伸びたその脚は、病的で陶器そのもののような白さを湛えたまま、素足で大地を駆け抜ける。
黒く燃える森の魔力がそのまま、濃縮されたような黒髪は、飛び跳ねる彼女の動きに付き従って艶やかに広がる。そこに元のリリーの金髪の片鱗は、もうない。
エメラルドのようだった美しい碧眼は赤く染まり、人の知性が剥がれ落ちた先の、魔獣としての野生の感情のままに踊っている。
口に咥えた野うさぎの頸椎を、ゆっくりと噛み砕き、その口腔いっぱいに暖かい血液の飛沫を受ける。
朽ちたドレスの残骸を纏った魔獣は、幸せのままに喉を鳴らし、血潮を飲み干す。
「まるで獣……という資格は俺にはないが、このままではただの魔獣だな」
声が聞こえるまで、気配がかけらもなかった。人のカタチをした魔獣は後ろを振り返る。そこには、青い紙をした人のようなものがいた。
魔獣の一度は朽ちた脳でも、その形がヒトのものだと知っていたが、魔獣の直感はそれがヒトではないと感じていた。
首がごっそりと食いちぎられた野うさぎが、魔獣の口もとから落ちる。
魔獣は本能に従って、その四肢で地面を掴み、殺意を目の前の青髪の女に叩きつける。
「その殺意悪かないけど、知恵のない獣の牙じゃ俺には届かないかな」
爆発のような勢い、暴力の嵐で女を襲う。
それから、目が覚めて6年。初めての経験が魔獣を襲った。
大樹を裂く爪が、大地を割る脚がこの青髪には当たらない。かわりに魔獣が叩きつけられ、吹き飛ばされる。
「そうだ悩め、少しは頭をつかえ」
「憤怒の森」に満ち満ちた呪いをその身に詰め込んだ魔獣は、内側にこびりついた、リリーの魂を侵食。戦闘に使うために、その形をみるみる復元させていく。
力任せに振るう腕は、魔力の鉤爪を纏い、直線的に動いていた脚は、黒い魔力の力場を跳ね、単調な動きから、より細かい軌道修正を可能にしていた。
「そう、そうだ、この森の愛し子、アン・イル。お前はそうだったのだろう。お前の形状を思い出していけ」
「ウウウーーーッ!!!」
暴力が交差すること数度。
魔獣は、脳の復元され出した機能によって、戦闘思考をまわしつつ、疑問を挟む余裕が出始めていた。
(ドウシテ)(ナンデ)(コイツ…ハ……)
「オマッ…オマエは、なにっ!?」
「俺はドラスロール。愛し子を助ける青の四つ鹿。ドラスロールだ。」
「てき?」
どこかから取り出した黒槍で、あたしの爪を防ぎながら涼しい顔でドラ……えっと、なんだっけ。ドラス?は答えた。
「いいや。仲間だよ。言っての通りお助け道具だ。お嬢ちゃんの前世のように言うなら、執事みたいなもんだと思えばいい」
「ドラス、なかま」
「そう、そうだ。ドラスでいい。俺、仲間。お前、自分の名前は?」
あたし、あたしは……
今まで8年間、一度も使用していなかった記憶領域に、閃光が走る。
「あたし、あたしの名前はリリー……」
「記憶はどうだ?」
「おもいだした……あたし、殺されて。おとーさまも!あの、まとぅ・こるひかむに!」
そう、そうだ。17の夜に。ちょっと初めての結婚に期待なんかしていた、あの婚儀の日の夜に。
割と緊張と興奮に胸を膨らませたりなんかして……
胸?胸……あれ、
「むね、へってる?」
「ハハッ、胸だけじゃない。お前、一回り小さくなってんだぜ気づいたか?」
本当だ。
よく見たら腕も足も一回り小さくなっている。
泉に走り寄って水面を覗くと、そこに反射する顔も……幼い。そして、相変わらず美形だ。むかしの日本の記憶はだいぶ朧げだけど、この私、東洋人の血では不可能なんじゃないかってレベルで顔がいい。アイドル顔負けだ。ありがとうパパ、ママ。
そういえば、泉がとても綺麗だ。なんでか赤く光ってるけど、「憤怒の森」の黒焔のような焼け付く呪いの禍々しさがない。
「落ち着いてきたみたいだな、リリー。森は綺麗に見えるだろう。それは呪いが消えたからじゃないぜ?呪いがお前に成ったからだ。今じゃ母体……いや、実家のような?安心感ってやつに感じるだろ」
「ん、ほんとだ。そういえば水もにおいしい」
手のひらに掬った水は、呪いが満ちているのに、とても澄んでいて美味しい。ボトル一本いくらの水というよりは、実家の麦茶の美味しさだ。
「普通の人間には、猛毒もいいところだから気をつけろよ?」
「わかった」
水を飲むあたしを後ろから覗き込んでいたドラスは、気が済んだのか、さっきの戦闘で地面が抉れた辺りに戻って、槍を構え出した。
「もうたたかい、いらないでしょ?」
「魔力感知だけじゃなくて、こっちに目線を向けろ、リリー。頭の機能が戻っただけじゃ、外には出れねえ。少なくともその垂れ流しの魔力を制御できるようにならねぇと、お前はただの迷惑だ。何、勝手に殺す気で攻めてやる。まともになるまで死ぬ気で生きろ」
こうして、ドラスが仲間?になった私は、彼女のおかげでヒトとしての意識を取り戻した。
テンプレみたいな復讐もいいけど、とりあえずは、ドラスから生き延びるよう頑張ろうと思う。




