2、森の泉で息たえて
前世2/2
呼吸が浅くなってきた。
乗馬だけなら一日だって続けられるけど、全力の魔力補助では私の体力だってきつい。おかげに今日の晩餐会で盛られたであろう毒。正直、もう前を見据えていることだってしんどい。
ピトス領の端、禁足地「憤怒の森」、入った時にはそこまでではなかった。
正直、馬に体重を預けて目を瞑っていても、周囲の魔力がひどく荒々しい呪いのようなものになっているのはわかる。けど、それだけ。
前世の知識では、有毒ガスの充満する活火山とか聞いたことがあったから、あんな感じで最悪死ぬかと思ったけど、魔力さえ弾けば空気も美味しいし、その魔力だってヒリヒリするけど、今のとこ、強めの温泉ぐらいの効能だ。
「あとは、馬のこの子が、頑張ってくれてるうちに、ビビって追っ手が逃げてくれれば……」
この世界の住人たちは、基本的にわたしより信心深い。
お父様だってこの禁足地のことを、ことあるごとに入るな、入るなと言ってきた。
冷静に考えれば、ここが数十年前に放棄されて道が危ないのと、その原因の呪いってやつのせいなのだろう。けどその呪いだって、そこまでの魔力じゃない。貴族育ちで十分な魔力量があればこうして、今の私のように弾けば十分だ。
もう山も中腹。暗視強化した視界が、緩やかなカーブの途中にちょうど馬がギリギリ通れそうな獣道を見つけたので、そこにはいって追っ手をやりすごそう。あいつらもここでは夜に捜索するほど、長居はしたくないはずだ。
それから数分、息がようやく整う頃、私がこっそり身を隠す木々の前に、その追っ手たちは現れた。
相変わらず……どころかより荒々しい蹄鉄の音。もはや常軌を逸したそれを響かせて。
「ガアアアアアアアアアッアアアアアア 「ドッ」
二人の追跡者のうち、一人目は勢いをそのままカーブを直進し馬もろとも肉の塊になった。
「おい、止まれヨォっ!!ド、ドマッテグレヨ”オオオ」
もう一人は、口と目から(おそらくは赤い)汁を流しながらカーブを突き進み、私の視界から見えなくなってすぐ、一人目と同じ轟音を響かせて、静かになった。
は?
アイツらのドーピングのせい?いや、流石に任務中に二人とも狂死っていうのはおかしい。ってことは……心当たりしかないもう一つの原因に気づいて、口元を押さえた。
ヌルり。
あまり馴染みのない触感。
毒で鈍くなっている手の感覚を信じられず、粘性の感じるそれを手で広げる。匂うのは鉄分の香り。
暗視魔法越しで色は定かではないが、十中八九は赤色だろう。きっとそれは目の前の馬と人だった肉塊と同じで色で。
咄嗟に、歩き始める。
さっき選んだ獣道を、まるで何かに導かれたみたいに。
毒のせいか、繊細な操作のできなくなっている魔力を、せめてもの抵抗に全開に放ちながら、歩く。
やけに冷静な思考は、魔力についてもちゃんとした教育をされている自分を恨む。おそらく、この「憤怒の森」の呪いは本物だったのだ。前世では、吸引を避けても肌から吸収される毒ガスがあるという。この呪いも同じような理屈なのだろう。
魔力によるレジストでは太刀打ちできない、凶悪な種類の呪い。
けれども一縷の希望を捨て切れず、歩く。逃げる。
「パパ……ママ。みんな……」
ピトス家のみんなの顔を思い出す。メイドたちは無事なのだろうか。まともに視力なんて残ってない目から、熱い何かが溢れる。拭いてる暇はない。
逃げなきゃ。もっと。逃げなきゃ。
それからどれほど経ったか。数分か、数時間か、数秒か。
私がまだ生きているのは、一般人な追跡者と私との、魔力の総量の問題だろう。人間が体外へ魔術で放出できる魔力は全体の半分にも満たない、その残りの分が侵食されるまでのタイムリミットが、きっとこの森での寿命の差なのだ。
不幸中の幸い、目が見えなくなっても、魔力を感じるセンスが生きてる限り、周りの木々を汚染して、大地に焼けついている濃密な魔力があるおかげで、獣道の存在がなんとなくわかる。
「……ウ”ッ」
生理の一番きつい時みたいな吐き気。
暖かい流体がボタボタと口漏れていく。こういう時は、吐き気に逆らわないようにするのがリリー流対処術だ。
……正直。歩き出してから、もう三度目。婚儀の晩餐会で食べたものなど、最初の一回で全部吐き出したんじゃないだろうか。後の2回は重さと一緒に命まで軽くなったような感覚があった。
歩くのが少し楽になった、と、脳が勝手に都合よく感情を組み直す。
わかる。正直、もう絶望している余裕などない。逃げないと。もっと、もっと……
ふわっと、唐突な浮遊感
泥に足を取られた。激しい水音と痛みを伴う。……どうやら転んだみたいだ。
とうに暗視も切れて、機能を消失した眼球は、私に何も教えてくれないけど、獣道を辿った私は、泉に辿り着いた……らしい。
足は無事だけど、お腹の辺りまでは浅く泉に浸かっている。
温度が、命が、泉へと静かに溶け出していく。そして、情け容赦のない速度で、泉に染み込んだ森の呪いが、私の身体へ侵食していくのを感じる。
こんな場所で死ねば、マトゥの捜索の手も及ばないだろう。いもしない私に恐怖を感じながら生きてい区がいい。マトゥ。あの赤毛のワカメ髪。
ピトス領のみんなには、もう無事を祈るしかない。パパと娘。二代してあんな奴の陰謀に殺されたっぽくて、本当に申し訳ない限りだ。もう婚儀が住んでるから、すぐ、じゃなくてもピトウ領はマトゥが占有することになるだろう。誰か、私の代わりに、アイツを暗殺して欲しい。
私は……流石にもうダメだろう。
前世プラスこの17年。両方家庭環境には恵まれたけど、どっちも長生きはできなかった。挙句にこんな森の中で泥まみれで死ぬってのは想定外だけど、一回生まれ変わるだけでもとんでもな奇跡なのだ。
もう一回ってのは、贅沢なお願いだ。
お父さん、お母さん。そしてこっちのパパ。ちょっと早いけど私もそっちに……
享年17歳。リリー・ピトスは「憤怒の森」の泉のほとりで、誰に知られることもなく静かに事切れた。
その後、三年間にわたってマトゥ・コルヒカムによる懸命な探索が行われたが、見つかることはなかった。のちに、ピトス親子の殺人・誘拐事件は、マトゥが仕立て上げた死体が犯人ということにされ、コルヒカム辺境領、ピトス区史に数行の記録として残されることとなった。
ようやく、前座が終わりました。
お待たせいたしました。




