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第9話 怯える奴隷

 舟が近づくにつれ、船乗りたちが足音を立てて、右舷へと集まっていく。


 モモ、クロウ、シキの三人は、海の男たちの邪魔にならないよう甲板の隅へと移り、息をひそめてその様子を見守った。


 周囲は夕闇と、急速に立ちこめてきた濃霧におおわれている。

 白くくもった視界のなかで、怒号が飛びかった。


 身軽な男が縄ばしごを伝って漂流舟へと飛び移り、ぐったりと動かない男を担ぎ上げる。


 縄ばしごが引き上げられると、舟に乗っていた男が、甲板へと転がされた。


 衣服は裂け、砂と潮をかぶったその身体は、痛々しいほどに弱りきっている。


 うつ伏せに倒れたその姿は、モモたちよりも少し年上の、線の細い若者のようだった。


 その頭髪は、夕闇の霧のなかでもひときわ目を引く、まじり気のない純白だ。


 背は低いが、鍛え上げられた肉体の男が、若者の身体を乱暴にあお向けへとひっくり返した。


 泥と潮に汚れた白い髪の下から、整った顔立ちがあらわになる。


 それを見たモモは、思わず息をのんだ。


 間違いない。

 トウヤだ。


 全身に墨を入れた半裸の男が、若者の胸ぐらをつかみ上げ、その顔をのぞきこむ。


「おい、生きてるか。どこのどいつだ、お前は。どこから流れてきた」


 手荒に揺さぶられると、白髪の若者は苦しげに眉をひそめ、まぶたを持ち上げた。


 霧のなかに、薄い紫色の瞳が揺れる。


 若者は、自分を取り囲む荒っぽい男たちの姿にひどくおびえるように視線をさまよわせ、かすれた声を絞り出した。


「ここは……。貴方たちは……僕は、助かったのですか……?」


「質問に答えろと言ってんだよ。どこの誰だって訊いてるんだ」


 胸ぐらをつかんだまま、半裸の男はいら立ちを隠さず、さらにすごむ。


 だが若者は浅い呼吸を繰り返すのみで、ただおびえたように首を振る。


 何かを言いかけては言葉をのみこみ、自分の額に手を当て、顔をしかめてみせた。


「ううっ……あ、頭が……。すみません、身体が……。どうか、お慈悲を……」


 弱々しく懇願し、哀れな被害者のように振る舞う若者。


 だが、その様子を遠巻きに観察していたモモには、違和感しかない。


 モモの記憶にあるトウヤは、もっと冷静で、底の知れない男だったはずだ。


「チッ、使えねえ野郎だ」


 じらされた船乗りが拳を握りかけた、その時だった。


「どきなさい。ガキ一人に何手こずってんのよ、この色男どもが」


 野太い声でありながら、妙に艶っぽい語尾が、甲板に響き渡る。


 荒くれ者たちが引きつった顔で左右に飛びのくなか、甲板の奥から、熊を思わせるほどの大柄な男が姿を現した。


 その男こそ、この船の船長だ。


 体格、風貌ともに異質で、この場にあって逆らう者のいない支配者だ。


 船長が若者の前に踏み出すと、彫りの深いいかつい顔をゆがめて、見下ろした。


「アンタ、立場ってものが分かってないようねぇ。いいこと、アタシのことは船長ってお呼び。この船と、この船に乗っている野郎どもの命綱を握っているのは、このアタシよ」


 有無を言わさぬすごみと、奇妙な妖艶さをまとった船長の言葉に、甲板が静まり返る。


 そのなか、モモは息をひそめて、若者の顔をじっと注視していた。


 そして、船長が威張り散らしながら眼前に立った、刹那。


 おびえていたはずのトウヤの薄い紫色の瞳の奥に、一瞬だけ、すべてを見透かすような鋭い光が宿ったのだ。


 しかし――。


「ぼ、僕はトウヤ……。船長殿……」


 若者はすぐにまた、消え入るような弱々しい声を出して、平伏するように頭を下げた。


「あら、可愛げがあるじゃないの。この若造を、荷物部屋にでも運んでおきなさい。暖を取らせてから、アタシが直々に話を訊いてあげるわ」


 船長に言われるがまま、すっかり大人しくなった強面の男たちは、手際よく白髪の若者を担ぎ上げ、かしこまって船内へと運んでいく。


 それを見送ったあと、クロウが周囲を警戒しながら、モモとシキにだけ聞こえるよう、小声でささやいた。


「場所を変えるぞ。ここではマズい」

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