第51話 残された一手
峡谷を抜けると、関所の全景が視界に飛びこんできた。
肌を焼くような鉄の臭気と、立ちのぼる黒煙。
正面の総門は開かれ、すり鉢状の広間から入り江に向かう街道にかけて、オニと人間とが入り乱れての戦いとなっている。
しかし、関所につめていた紅鬼の戦士は数が少なく、山中からせまってきた血気盛んな男たちを前に、苦戦を強いられていた。
その中心には、大鉾を軽々と振り回している巨体があった。
船長は片目を失いながらも、残った片目を爛々と輝かせて、戦場を支配する。
ただ獰猛に武器を振るうのでなく、戦力のかたよりを作り、死角へ回りこませ、確実に敵を沈めていく。
その動きには、海千山千の荒くれ者を恐怖と実利で従えてきた、実戦の将とでも言うべき老獪さが満ちている。
「お宝はすぐそこよ。アタシの道をふさぐ泥人形どもは、残さず細切れにしちまいなさい!」
野太い声にまざる、欲深さと残忍さ。
男たちの狂熱をあおり立てるその声は、狂った獣たちの頭領にふさわしいものだった。
「不届き者どもが……!」
胎の奥から響く咆哮とともに、グレンがそのうず中へと飛びこんだ。
一撃一撃が、容赦なく獣たちの命を刈り取っていく。
その出現に、敗色に沈んでいた紅鬼たちの士気が跳ね上がり、戦況はにわかに五分の展開へと突入していった。
一方でシキは、目立たぬように影を走ると、目をこらして戦場を見回していた。
どこにも、赤髪の偉丈夫の姿は見当たらない。
「そうか……」
その口から、小さく得心のいったようなつぶやきがもれた。
あいつは、そういう男だ。
山中で力尽きたトウヤを捨て置けるような奴では、決してない。
シキは戦うそぶりを見せながら、巧みにグレンの側へと肉薄した。
そこで金砕棒を振るう首領の耳にだけ入る声で、言葉を届ける。
「僕たちにはもう一人、仲間がいる。トウヤもおそらくそこに。……この無意味な戦いを終わらせるには、彼らの力が必要だ。僕が連れてくる」
用件だけを告げ、足早にその場を離れる。
青髪の青年が視界から消えるのを見計らい、グレンは周囲に向けて声を張り上げた。
「戦士たちよ、退け! 白門を背に、防衛の陣を敷く!」
命が下ると、攻め立てていたオニたちは即座にきびすを返し、次々と集結する。
盾を立て、槍衾を並べ、列となって敵を寄せつけぬ陣を作り上げる。
持久戦へと備えるその構えは、強固な防波堤となって、加速していた惨劇を停滞させていく。
そのすきに、シキは戦場を走り抜けた。
ついにその最後尾へとたどり着いた瞬間、赤い影が横合いから飛び出し、シキを襲った。
「っ……!」
研ぎ澄まされていたシキの直感が、考えるよりも先にその身体を動かす。
身を沈めるように致命的な一撃をかわすと、それでも頬をオニの爪が鋭くかすめた。
それは回避だけではなく、反撃を兼ねていた。
シキは体勢を立て直すよりも早く、刀を抜き放ってひらめかせ、敵の腕に浅い一太刀を返す。
そこにいたのは、一体のオニだった。
両者は至近距離でにらみあい、次の一手を探り合う。
夜気のなかに、わずかな潮と、すすの臭気がただよっている。
オニが肩にまとった毛皮の端はかすかに焦げつき、はだけた胸には黒い痣が浮かんでいる。
呼吸が浅いのは、相応の損傷を受けているためだろう。
先手を取るか、誘って刺すか。
一歩でも動けば命のやり取りが始まるという極限の対峙が、静寂のなかで数瞬続いた。
と、不意に、そのぎらぎらと赤く輝く瞳の奥に、殺意とは異なる、理知のようなものがよぎった。
するとオニが飛び退き、視線をシキから参道の方角へと、二度移した。
さらに距離を空けると、シキが追ってこないことを確認し、そのまま離脱していった。
誘いか、あるいは別の罠か。
シキは油断なく刀を構えたまま、しかしオニの不可解な挙動に引かれるように、素早く参道へと視線を走らせた。
すると、時を置かずして古い巨木の影から、揺れる赤髪が姿を現した。
様子をうかがうように頭を出したクロウと、明後日の方を向き武器を構えたままのシキとの目が合った。
「シキ……?」
参道から現れたのは、憔悴しきったトウヤを背負うクロウだった。
その幼馴染は驚きの後に安堵の息をもらし、にやりと笑った。
「お前との再会が、この道中じゃなくてよかったぜ」
シキは刀を鞘へ収めると、かすめられた頬を衣服の袖で無造作にぬぐい、クロウの元へと駆け寄った。
一刻の猶予もない戦場だ。
しかし、興奮を抑えられぬまま、相棒の胸を拳で打つと、熱のこもった口調で告げた。
「目的は果たしたよ、クロウ。モモの呪いは解けた。彼女は今、安全な場所で眠っている」
「っ……! やったな! 本当にやったな……!」
クロウの顔に、はじけるような歓喜がともる。
その背にトウヤがいなければ、踊り出していたことだろう。
だがその喜びも、束の間だった。
篝火によって浮かび上がる関所の惨状が、現実を突きつける。
「途中までは、うまくいっていたんだがなあ」
戦いを遠目に見ながら、クロウは自身の身に起こったことを話し始めた。
「お前たちと別れてからしばらくして、俺たちはオニと出くわしたんだ。でも山の中だろ。ろくに連携もとれず、何が起こっているかもわからねえで、あちこちで悲鳴があがってな。いよいよ敗走寸前まで追いつめられていったんだ。そしたら突然、天地がひっくり返ったみたいに、辺りが昼間のように明るくなった。そうしたら、オニどもが急に蜘蛛の子を散らすように逃げ出したんだよ。それで、船長が形勢逆転だとか吠え立てて、ここまでオニを追ってきたんだが……。ああ、それと白髪野郎な。俺が見つけたときには、息も絶え絶えって感じだった」
「お前はよくやってくれたと思う。でも、一つだけ計算違いがあった。その光というのは、器となったモモが受け入れるはずだったものだ。トウヤは、その光が自らを襲うよう、仕組んでいたんだ」
「得心がいったわけじゃねえが……よっと」
クロウは、重さでずり落ちていくトウヤを、肩の反動を使って背中の中心へと納め直した。
「オニが逃げ出した理由はわかった。その結果が、この有様ってわけだ」
クロウの視線の先、関所の内庭は、出口のない戦場と化していた。
巨木の門を背に、盾をすきまなく並べて立ちふさがる紅鬼の戦士たち。
そこへ幾度も繰り返される波状攻撃。
果敢に攻め立ててはいるが、決め手に欠け、悲鳴の数は人間の側に多い。
この不毛な命の削り合いを後方から指揮しているのが、あの髭面の船長だ。
一方のグレンは、腕を組んで沈黙している。
それは、進むことも退くこともかなわぬ、泥沼の膠着状態だった。
その時、トウヤが弱々しくまぶたを持ち上げ、かすれた声を絞り出した。
「随分と……騒がしいですね。そうか……ここは関所……あの光のせいで、作戦は失敗してしまったのですね」
肉体を蝕む激痛にあえぎながらも、トウヤは薄紫色の瞳をわずかに動かし、状況を把握しようと思考をめぐらせていた。
クロウは背中のトウヤを落とさぬよう抱え直すと、暗い表情をシキへ向けた。
「こうなっちまったら、とことんやるしかねえのか……。なあシキ」
しかし、救いを求めるような相棒の問いへの答えは、すでに用意されていた。
「いや。ひとつだけ、手がないわけじゃない」




