第50話 光を継ぐ者
夜霧の彼方へと放たれた一条の光は、島を昼間のように照らし出しながら、険しい山中を奔っていった。
その光は木々の合間を縫うように進むと、船乗りを先導していたトウヤの肉体に、吸いこまれるように突き刺さった。
彼がまとう布地から青い光を帯びた文様が幾重にも浮かび上がり、背中の翼が天に向けて顕現すると、あふれ出た光の粒子と共鳴して、輝きを散らした。
そして一帯が、トウヤを中心とした白い光に照らされる。
暗闇からオニに追い立てられ、疲労と恐怖に顔をこわばらせていた男たちの姿があらわになる。
この世の終わりか。
そんな絶望が、彫刻のように浮かび上がった。
「く、あ、つ……!」
内臓を直接火で焼かれるようなすさまじい苦痛に、トウヤの細い身体が大きくのけ反った。
呼吸すら激痛に変わり、彼は湿った黒土へと膝を折り、狂ったように爪を立て、両の腕をかきむしった。
衣服の袖の奥で、その右腕が急速に、青白い結晶体へと変貌していく。
しかし、苦悶に顔をゆがめ、途切れがちな息を吐きながらも、彼の薄紫色の瞳には、どこか恍惚とした笑みが刻まれていた。
(モモ……! あなたの器としての覚悟、見せてもらいました。ですが、そのすべてを君に背負わせるつもりはありません。ああ……! ビャクヤ、お前はこんな痛みを、ずっと一人で耐えていたのですね……ふ、ふふっ、この光は、僕がこの身で受け止めてみせます……!)
突如として山全体を包みこんだ、すべてを均一に塗りつぶすような白い輝き。
しかしそれは、襲撃を仕掛けていた紅鬼にとって、何よりも恐ろしい猛毒だった。
無尽蔵の体力が、あやかしの力が、任務を遂行する鉄の意志が、その清らかな光を浴びた瞬間、根こそぎそぎ落とされていく。
戦意を喪失した鬼の戦士たちは、自らの身に起こった異変に恐れをなしたように、拠点である関所へ向かって、一斉に撤退を始めた。
闇の中で鬼の爪におびえていた船乗りたちは驚愕し、困惑の声をあげた。
しかし、傷ついた片目を押さえながら大鉾を握りしめていた船長は、逃げゆくオニの背を見るや否や、その本性をむき出しにして怒号を張り上げた。
「何やってんだい! 形勢逆転さ、反撃だよ! 奴らを追って、お宝を根こそぎせしめるのよ!」
その声にあおり立てられた逃亡者たちは、雄叫びでそれに応えると、恐怖を戦意へと塗り替え、一転して追跡者となって山中を駆けだしていた。
光が収まり、狂熱の群れが移動していくなか、トウヤはついに力尽き、腐葉土の上へと倒れこんだ。
身体は力をなくしたものの、その胸元は上下し、かろうじて息づかいが聞こえていた。
翼は折りたたまれ、あやかしの服によって、人の目には触れられぬようおおい隠されている。
そこへまっすぐに向かってきたのは、クロウだけだった。
泥に伏したトウヤを目にすると、迷わずそのやせた身体を抱えあげた。
冷気をまとう、結晶化した右腕。
見覚えのあるそれが、なぜトウヤに。
「どうなっていやがるんだ、一体……」
トウヤを背負うとクロウは、その答えを求めて、重い足取りで移動を始めた。
◇
そのころ、祠では、すべての役割を終えた巨大な結晶の花が、光の塵となって霧散していった。
中から這い出してきたのは、雪のような白い髪を持つ、ひとりの少年だ。
白鬼の長――ビャクヤ。
少年は立ち上がろうとして倒れこむと、あお向きに転がり、シキの腕の中で疲れ果てているモモに顔だけを向けて、慈しむように優しく微笑んだ。
シキはもう二度と彼女の身に不条理が及ばぬよう、壊れ物を扱うように抱きかかえたまま、その少年を見下ろしていたが、そっと腰を落とし、モモをその隣に横たえた。
そのかたわらでは、儀式にすべての力を使い果たした長老が、ひび割れた杖を手放して崩れるように床へ膝をつき、ただ涙を流していた。
同じく憔悴し、激しく肩で息をするグレンが、その細い身体を大きな手で支えている。
誰もが言葉を失い、動けなくなった静寂のなかで、ビャクヤがぽつりぽつりと、言葉を紡ぎ始める。
「長い夢を見ていたんだ」
それは、この薄暗い島の里ではない場所。
潮のにおいがするにぎやかな港町で、赤髪の少年と青髪の少年。
掛け替えのない仲間とともにむしろを分け合い、笑い合っている、とてもあたたかい日々の夢だった。
「外の世界のことなんて何一つ知らないはずなのに、どうしてあんなに優しくて、愛おしい時間が流れていたんだろう。それが、いつか耐え切れなくなって消滅してしまうまでの、仮初めの慰めでしかないと知りながらも、僕はあの夢を見ることができたから、孤独に耐えることができたんだ」
ビャクヤは隣で穏やかな寝息を立てる少女を見つめ、静かに微笑んだ。
「そう、思っていた。けれど、そうじゃなかった。夢の中の僕は――モモ、君だったんだね」
幾度も時をめぐり、大切な人を目の前でうばわれ、そのたびに絶望を背負い直しては、あきらめることなくこの地獄の島へ渡り、挑戦を繰り返してきた人間の娘。
その想いが、くじけぬ意思が、ついに自分を縛りつけていた呪いを消し去ってくれた。
ビャクヤの言葉は、誰にも届かないはずだったモモの孤独な戦いのすべてを、優しく肯定していた。
「グレン、僕との約束を守ってくれてありがとう」
唐突に告げられたビャクヤの言葉に、紅鬼の首領はただフンと鼻を鳴らし、ぼそりとつぶやいた。
「我は一族の掟を守ったまでだ。何のことか分からぬ」
グレンとは、このような男であった。
一族の存亡をかけた、もっとも静かで短い戦いが、ここに終わった。
かつては先延ばしにすることでしかつかめなかった、偽りの平穏。
それが今、器としての力ではなく、モモという少女の心そのものによって、偽らざる平穏へと変わろうとしていた。
しかし、それは尚早だった。
にわかに洞窟に風が吹くと、血相を変えた紅鬼の戦士が駆けこんできたのだ。
「グレン様、一大事です! 関所に、人間たちが押し寄せ……兵たちと激しく戦っております!」
その伝令に、祠の空気が凍りついた。
グレンは、いまだ意識を失ったままのモモと、横たわるビャクヤ、そばで見守るシキ、力を使い果たし座りこむ白鬼の長老を順に見すえると、鋭い眼光を、息を切らせて駆けつけてきた紅鬼の伝令へと向けた。
「お前はここに残り、盾となれ」
平伏する部下にそう命じると、グレンは迷いのない足取りで外へと歩み出した。
その背を追うように、シキが立ち上がる。
「僕も行きます。人間の強欲さと戦い方は、僕が一番よく知っている」
グレンは振り返ることもせず、無言でいることで同行を許した。
二人は洞窟を抜けると、夜明け前の山道を踏みしめ、関所へと急いだ。




