第49話 呼び声の答え
長老がひび割れた杖で地をたたくと、応じるように、グレンが胸の前で組んでいた腕を解いた。
二人の異なる息づかいが重なり合い、それぞれの内にある力が、中央に鎮座する結晶の繭へと注ぎこまれていく。
紅鬼の首領が宿す、万物をたぎらせる生命の熱。
そして白鬼の血に伝わる、厳かな祈りの祝詞。
相反する二つの波紋が交わり、包みこむように繭の表面をなで解いていくと、檻のあちこちから、ひびが走り始めた。
そのひびのすきまから、かつて世界を白くのみこんだものと同質の、果てしない光の奔流があふれ出す。
光は行き場を求めるようにうずを巻き、引き寄せられるように、モモの右腕へと殺到した。
「っ、あ……!」
受け止めた光の質量に、モモの口から短い悲鳴がもれる。
感覚を失っていたはずの右腕に痛みが走り、肩口から胸元へと、結晶がその侵食を広げ始めた。
少女の華奢な肉体が、見る間に冷たい硝子細工へと変貌していく。
そのあえぎが耳に届いた刹那、シキは動いた。
ふところの刃。
踏み出す一歩。
蒼白の顔に、もう問いの色はなかった。
だが、その足が二歩目を刻むよりも早く、異変が起きた。
モモが身にまとっていた、あの少し大きめの上着。
トウヤが、彼自身の衣服を仕立て直したという、あやかしの呪いがこめられている布地が、突如として輝きを放ち始めたのだ。
織りこまれた繊維がほころび、古い紋様が青い光となって浮かび上がる。
モモを喰らいつくそうとしていた白い光は、その衣にさえぎられるように、肉体への侵入をぴたりと止めた。
そして、その光は紋様をよりどころにして新たな行き先を定めると、まばゆい一筋の光条となって洞窟を奔り、夜霧を裂いて、猛烈な勢いで駆け抜けていった。
そのまばゆさに射抜かれて、シキの一歩はそこで縫い止められ、ふところの刃にかけた指は、行き場を失ったまま動けなくなった。
長老が息をつまらせ、よろめきながら声をふるわせた。
「あふれた光が、血を分けたもう一人の長の元へと流れていく……。あの小僧、おのれの衣に身代わりの呪いを仕込んでおったのか……!」
その言葉が、シキの硬直した思考を打ち砕いた。
(身代わりの、呪い……)
シキは呆然と立ちつくした。
袖の奥の指から、力が抜けていく。
トウヤは最初から、モモを犠牲にするつもりなど毛頭なかった。
それどころか、「誰も傷つけず、みんなで笑って帰る」というモモの願いを、あの男は誰よりも正面から受け止めていた。
器の負荷をおのれで引き受けるために、死を覚悟で、あらかじめあの衣をゆだねていたのだ。
それでもなお――繭からは、絶えることなく光が吐き出され続けていた。
一時の暴走ではない。
封印によってたまりこまれていた、歳月の重さだ。
二つの器ですら、到底受け止めきれるものではなかったのだ。
(同じだ。これは、あのときと同じ……)
モモの脳裏を、幾度も見た破滅が焼く。
誰かが身代わりになろうとするたび、光は行き場を失って暴走し、トウヤを、クロウを、シキを、白く焼きつくした――あの、繰り返された夜。
(――違う。もう、繰り返させない……!)
薄れかけた意識の奥で、モモは奥歯をかみしめた。
答えは、そこにあった。
何度も死んで、ようやく分かった。
この光は、閉じこめるものでも、誰かが肩代わりして消すものでもない。
ずっと、ただ――呼んでいただけなのだと。
モモは、自らの意志で一歩、繭へと踏み出した。
光を遠ざけようとはためく衣をまくり上げ、結晶と化した右腕を、脈打つ繭の表面へと押し当てる。
「モモ!? 何を――」
シキの制止も、長老の悲鳴も、もう届かない。
モモは、四度のめぐりのなかで幾度も触れた、あの孤独の主へ、まっすぐに呼びかけた。
(ビャクヤ。……もう、我慢しなくていい。ひとりじゃないよ。わたしがずっと、聞いてた。あなたの声を、ぜんぶ)
器として光を受け止めるのではない。
海を越えて呼ばれ続けた者だけが返せる、たったひとつの答え。
それは赦しであり、迎えだった。
繭の奥で、少年の思念が、びくりとふるえる。
――ぼくを、みつけて、くれたの。
その瞬間、暴れ狂っていた奔流が、ふっと勢いを失った。
行き場を求めてのたうっていた白い濁流は、モモの手のひらを通り道にして、けれど彼女を蝕むのではなく、生まれた場所へ――ビャクヤ自身の元へと還っていく。
巨大な繭が砕け、まるで幾百もの透明な花びらが広がるように、咲き誇った。
その幾何学模様の結晶の奥、中央には、白髪の美しい少年が浮かぶように立っている。
光の粒子を全身に浴び、やがて紫色の瞳を見開いた。
少年が、自らの意志で、おのれの力を抱き直したのだ。
モモの右腕をおおっていた結晶が、役目を終えるように、さらさらと剥がれ落ちていく。
みずみずしい肌が戻り、ただ爪の先にひと欠片、名残をとどめるだけとなった。
「……ばか。ひとりで、抱えこみすぎだよ」
誰にともなくつぶやいて、モモの膝が折れた。
崩れ落ちる小さな身体を、駆け寄ったシキがかろうじて受け止める。
守るつもりだった。
何があっても、この手で。
だが、この幕を引いたのは、自分の刃でも、トウヤの呪いでもなかった。
何度も地獄を越え、たった一人で答えを持ち帰った、この少女自身だ。
(僕に……彼女の隣に立つだけの価値が、あるのだろうか)
この問いは、まだ答えを持たない。
それでも今は、と唇をかむ。
腕のなかのモモの顔はどこか満ち足りて、荒かった息はいつしか、穏やかな寝息へと変わっていた。




