第46話 婚礼の参道
「この先に、関所へ続く、オニの目の届かない小道があります」
かつてのトウヤは、そう言っていた。
そしてあの時は、三人でこの道を進んだ。
今は、シキと二人きり。
それでもモモは、不安を感じてはいない。
この道が関所へ通じることは、経験上わかっている。
その後対峙するグレンについても、決して与しやすいわけではないが、以前よりは理解できているはずだ。
それに、この小道の由来に想いを馳せると、なんだか少し、幸せな気分にもなれるのだ。
「この小道は、いわば参道です。特別な日を除き、利用することはありません」
トウヤは、こうも言っていた。
この記憶は、つい先日のもの。
四人で計画を練っている際に、地図を指さしてモモが「ここに小道があるよね」と言ったことに対し、驚きながらも説明してくれたのだ。
「特別?」
「婚姻の儀で使用するのですよ。東から花婿が、西から花嫁が小道へ入り、中央の社で合流した後、そこで初めて出会った日のことを語らうというものです」
「婚姻……オニも……するんだ……」
「見た目や風習にこそ違いはありますが、オニと人間、それほど大きな差はないのですよ」
その言葉を胸のなかで反芻しながら、モモは夜道をたどる。
「次を曲がったところに、幹が大きくねじれた古い木があるはず。そこを右に入れば、もう関所のすぐ近くに出られるわ」
「そうか。でもその前に、すこし休憩しよう。息を整えてからグレンと対峙するべきだろう。……モモの案内のおかげで、余裕をもって到着できたしね」
シキの心遣いに、モモの胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。
そのぬくもりとは裏腹に、モモの上着の袖の奥からは、骨を芯から凍らせるようなうずきが、這い上がってきていた。
「っ……」
不意に右半身が鉛のように重くなり、モモはぬれた斜面で、わずかに足を踏み外しかけた。
「モモ」
背後にいたシキが、モモが滑り落ちるよりも早く、その身体を抱きとめる。
とっさに差し出された彼の指先が、モモの右腕を、衣服越しに支えていた。
そして――シキはわずかに目を見開いた。
仕立て直された上着の、厚い布地を隔ててなお伝わってくる、尋常ではない冷気。
まるで、凍りついた鉄の塊を直接触っているかのようだ。
シキはモモを抱きとめたまま、凍てつく硝子の腕を自らの体温で少しでも融かそうとするように、その胸元へと引き寄せ、強く包みこんだ。
「こんなにも……いつからだい?」
「痛みはないのよ。ただ、ちょっと冷えるだけで……」
「嘘をつかないでくれ」
いつも冷静に物事を割り切るシキの瞳が、焦りに揺れている。
「君がこれほどまでに過酷な道を歩んでいたというのに。ただ信じて、ついていくことしかできない僕を、どうか許してほしい」
指先が、わずかにふるえている。
モモのためにすべてを尽くしてきたはずが、まるで足りていなかった。
おのれの無力さ、考えの浅さに、打ちのめされる。
「ううん、許すとか許さないとか、そういうのじゃないよ。黙っていたのはわたしなんだし……それに、いつだってシキに頼って、助けられてばかりで。ここへだって、わたし一人じゃたどり着けなかった。これからも、きっとそう。だから、そんな顔をしないで……ね?」
二人がふたたび歩き始めたのは、それから間もなくのことだった。
シキはあれからすこし言い訳じみたことを言って、「忘れてくれ」とモモに頭を下げた。
モモは、「どうしよっかな」と取り合わなかったが、どこか満足そうな顔で、そのまま小休止を終えて、関所を目指すこととなったのだ。
ねじれ木の角を曲がると、切り立った二つの巨大な岩壁のはざま、そこに関所が構えられていた。
幾十本もの巨木の幹を、分厚い鉄の帯で幾重にも縛り合わせた総門。
以前は落ち着いて観察する余裕がなかったが、硫黄の結晶が随所に埋めこまれており、篝火の炎を反射して、燐光を放っているのに気がついた。
門のあちこちには巨大な獣骨がかかげられ、侵入者に対する、無言の警告ともなっていた。
かつてこの門の前で起きた惨劇が、モモの脳裏をよぎる。
その恐怖を振り払うように、モモは赤黒い光のなかにたたずむその影を見つめた。
他のオニたちとは明らかに異なる、異様な体躯。
幾重もの戦傷が刻まれた腕を胸の前で組み、古びた毛皮を肩から払っている。
額から天へと伸びる二本の角は重々しく、その爛々と輝く紅い瞳には、数多の星霜を生き抜いた者だけが宿す、深い理知と威厳が満ち満ちている。
白鬼の一族をも従えている、紅鬼の首領グレン。
モモは彼に会うため、ここへやってきたのだ。
「誰だ」
グレンは、多くを語らない。
この言葉にも、いくつもの問いかけが含まれていることを、モモは知っていた。
「わたしはモモ。グレン、あなたと話をするため……そして、ビャクヤを救うために、海の彼方からやってきたの」
グレンの探るような眼を見返しながら、モモは言葉を続ける。
「これからする質問は、じつは二回目。最初は、答えてもらえなかった。……でも、あの時とは違う。わたしは、答え合わせのために、同じ質問を繰り返すの」
モモは、上着を肩からはだけると、あらわになった自分の右腕を高くかかげ、グレンの眼前に突きつけた。
「これが何かわかる?」
グレンの視線が、モモの結晶化した腕に釘付けになる。
それを見届け、モモはさらに続ける。
「……器って、なに」
その言葉が発せられた瞬間、グレンの双眸が大きく見開かれた。
いかつい顔に、驚愕の色が生じる。
それからモモは、ただ待った。
問いには答えた。
聞きたいことも、聞いた。
次は、グレンが答える番だ。
(――グレン。あなた一人で抱えこむことはないんだよ。これは、ビャクヤとわたしの問題でもあるんだから!)
モモの右腕が発光し、波動が一帯を奔り抜けた。
それも、一瞬のこと。
右腕は夜に溶けこむような深い青に戻ると、猛烈な疲労によってよろめき倒れそうになったモモを、シキが支えた。
しかしモモの瞳はその輝きを失わず、強い意志をもって、変わらずグレンを見つめる。
静まり返った関所の前で、グレンは長く沈黙していた。
張りつめた夜気のなか、篝火の炎に照らされたオニの瞳が、揺れ動いている。
彼は胸の前で組んでいた腕を解くと、背後の門に向けて一歩、足を踏み出した。
「……ついてこい」
その声に、拒絶の響きはなかった。




