第45話 眠れ、静かに
唐突に、視界が開けた。
川幅は一気に広がり、それまでの激しい水流が嘘のように、穏やかになる。
幾度もの襲撃を退け、船はついに、島の深部へと到達したのだ。
目の前に広がっていたのは、数隻の小型船が停泊する波止場だった。
「野郎ども、上陸するよ!」
船長の号令とともに、船乗りたちが手際よく、係留ロープを投げ放つ。
数人がその縄を伝って浅瀬へと飛び降り、水しぶきをあげて陸へと駆け上がった。
手慣れた手つきで太い木杭に縄を巻きつけ、ぐっと引き寄せると、船体は鈍い音を立てて、波止場に接舷した。
一度厨房へ引き返したモモは、今度は大きな籠を両腕に抱えて、甲板へと戻ってきた。
籠の中にぎっしりとつまっているのは、上陸後の行軍に備えて彼女が用意した、竹皮包みの携行食だ。
「気がきくなぁ、嬢ちゃん!」
彼女が声をかけるより早く、目ざとく食べ物を見つけた男たちが、ぞろぞろと集まってくる。
そこでモモは、見てしまった。
甲板の隅に転がっていた、討ち取ったはずのオニの身体が、ぴくりとかすかに動いたのを。
(生きてる。どうしたら……)
そのオニは、気を失っていただけだった。
にごった紅い瞳をうっすらと開け、焦点の定まらない視線をさまよわせている。
モモは身をこわばらせながら、操舵室から出てきたシキに向けて、表情と視線だけで、必死に助けを求めた。
シキはモモに気がつくと、視線の先を追って、その理由を察知した。
すると、流れるような動作でモモの前へ滑りこみ、男たちの行く手をはばんで、声をかけた。
「おっと、そこまでだ。慌てずとも、食事は全員に行き渡るだけ用意されている。下船する者から順に、渡し板の前で受け取るように。さあ、並んだ並んだ!」
その説明を聞いた男たちは、我先にと、渡し板の前へと押し寄せて行った。
船乗りたちの視線が、モモから逸れた。
そのすきを突き、モモはとっさに、覚醒しつつあったオニに向けて、上着の袖の奥に隠した右腕を差し向けた。
そこから放たれる、微弱な波動。
モモは声を出さず、諭すように語りかけた。
(ごめんなさい。でも、もう戦わなくていいの。そうなるように、これから変わっていくから。だから今は、静かに眠っていて――)
その意志が通じたのか、オニはゆっくりと目を閉じると、そのまま動かなくなった。
モモは小さく胸をなで下ろすと、急いで渡し板の前へと移動した。
シキの隣に並び、籠から竹皮の包みを取り出しては、船乗りたちに手渡ししていく。
「しっかり食べないと、体力が持たないよ」
シキの機転のおかげで、無用な流血は防がれた。
船乗りたちは誰一人として眠ったオニに気づくことなく、携行食を受け取り、次々と桟橋へと降り立っていった。
籠が空になるころには、甲板に静寂が訪れた。
「全員、船を降りたね」
「ああ」
「ありがと。さすがはシキだね」
「ふっ……気がついたのが僕でよかったよ」
シキは桟橋で男たちに囲まれているクロウをそっと見て、つぶやいた。
「さあ、僕たちも行こう」
桟橋は、熱気に包まれている。
呪われた霧の海を越え、お宝の眠る地に足を踏み入れたという興奮が、男たちの顔を紅潮させている。
その中心で、髭面の船長が腰に手を当て、野太い声を響かせて檄を飛ばした。
「お宝はもう目の前さ。野郎ども、しっかりついておいで!」
船長はぎょろりとした目をトウヤへと向けると、その肩をたたいた。
「さあ、アンタが先頭だよ」
トウヤは、外套の襟元をそっと指先で整えた。
慇懃な態度を装うように、ていねいな口調で応じる。
「では姐さん、こちらです。足元は酷くぬかるんでいますから、お気をつけて。引き離されぬよう、僕の後をしっかりとついてきてください」
そう言うなり、夜の山道へと足を踏み入れていった。
船長が笑みを浮かべてその背を追うと、意気盛んな船乗りたちから順に、武器を鳴らしながら後に続いた。
最後尾には、六角棍を地面に突き立てたクロウが立っている。
「俺がしんがりだ。万が一、オニの追撃があった時は、俺が足止めをしてやらあ」
「そりゃ頼もしいや」
波止場に残り、なかなか山へと足を踏み入れられずにいた男たちも、ならば安心とばかりに、ようやく重い腰を上げると、暗い山道へと分け入っていくのであった。
だが――クロウのその言葉の真意は、まったく違っていた。
一つは、モモとシキを、誰の目にも触れさせることなく離脱させること。
もう一つは、この集団の見張りである。
勝手に船へ引き返す者や、暴走する者が出ないよう、最後尾からにらみをきかせるねらいがあったのだ。
やがて船乗りたちが全員、波止場から姿を消すと、クロウは一度だけモモとシキに向かってうなずき、続くようにして去っていった。
松明の明かりと男たちの足音が、山の彼方へと吸いこまれていく。
静まり返った波止場には、川を流れる水音と、森の音だけが鳴り響く。
トウヤとクロウは、それぞれの役割を果たすために、山へと向かった。
ならば、モモとシキにも、その間に果たすべき役目がある。
「わたしたちも行こう」
「道案内は任せたよ」
あやかしの加護を持つ、少し大きめの上着をひるがえし、モモは右腕をそっと胸元に引き寄せた。
凍てつくようなうずきは、この島へ来てから大きくなっている。
今なら、繭の中のビャクヤとも話ができるかもしれない。
(でもまずは、グレンから……)
夜の山影に身をひそめながら、二人は誰に気づかれることもなく、関所を目指すのであった。




