第34話 打ち明け話
板張りの床を踏んで部屋を出ると、魚を焼く香ばしいにおいが、鼻をくすぐった。
食卓には、すでに三つの膳が並べられている。
クロウは先ほどの醜態をごまかすように、必要以上に大きな身振りで、魚を盛りつけている。
その横顔はまだ、耳の付け根まで赤く染まっている。
「おはよう、モモ。昨夜はご苦労だったね」
椀に麦粥をよそいながら、シキがちらと笑顔を向ける。
一度、外出してきたのだろう。
寝起きのモモと異なり、身支度が整えられていた。
島でのむごい記憶でいっぱいになっていたモモの頭が、あたたかな港での暮らしの記憶で、解きほぐされていく。
穏ヶ島へ出発する間際まで、モモは酒場で給仕として働いていた。
昨晩は大宴会があり、家路についたのは、夜明け前のことだったのだ。
クロウとシキは、時折商船に乗りこみ、船乗りの真似事をしながら、用心棒や護衛のような仕事をしている。
それに、かつての貧困街の仲間たちと徒党を組み、今では夜回りや火消しといった男衆を率いるまでになった。
この日は、モモに代わって二人が朝の支度を買って出てくれていた。
やや焦げついた魚は、朝市で仕入れてきたものだろう。
「お魚、ちょっと焦げてる。……でも、いいにおい」
気がつけば、歌うような小さな独り言が、唇からこぼれていた。
あの癖が、戻ってきている。
よく通る美しい声はごまかしがきかず、酒場では親方に「呼びこみの口上より客を寄せる」と笑われたものだった。
島では、幾度も死んだ。
声を出すことさえ忘れてしまいそうな夜を、いくつも越えてきた。
それでも、湯気の向こうに二人の顔があるだけで、身体は勝手に、いつものモモへと戻っていく。
配膳はわたしの仕事、と手が先に動いた。
左手ひとつで箸をそろえ、椀の位置を直し、こぼれた汁を素早くふき取る。
片腕がきかなくとも、港の酒場と宿の給仕で染みついた手際は健在で、見る間に食卓が整えられていった。
それを横目に、シキが何かを言いかけて、あきらめたように小さく苦笑した。
食事が始まると、クロウがシキに目配せをして、興奮した様子で話を切り出した。
「モモ……行けるぞ、穏ヶ島。港で、乗組員を集めている船を見つけたんだ。オニ退治さ。腕に覚えがある奴を探しているんだ」
「この数年、手を尽くしてきた。でも、僕たちだけであの島を目指すには、準備も、資金も、まるで足りていない。ただし、この話に乗るならそれも不要。危険を承知で、やる価値はあると思う」
モモの、右手の結晶の呪いを解く。
その手がかりを求めて、これまで三人は方々を駆けまわってきた。
わかっているのは、不確かな伝承。
古い民話の一節――オニがつかう呪いに、人を結晶に閉じこめる術がある、というものだった。
そして、オニとあやかしが住むという穏ヶ島。
南の海上にあるという、霧に包まれた謎多き島の名だ。
ふた月ほど前にも港では、その島から逃れてきたという男と、その男が持ち出したという宝の噂で持ちきりだった。
モモが給仕をする酒場でも、それは人気の話題だ。
「話を聞かせてくれて、ありがとう。でも、わたしからもいいかな」
「ん? なんだよ」
「オニにも、暮らしがあるんだよ。その暮らしを守るためなら、容赦なく、人間だって殺せるんだ」
クロウとシキが、いぶかしむような顔で、顔を見合わせる。
それを見ながら、モモは続ける。
「宝があるなんて話は、たぶん嘘。島には貧しい里があって、いつ来るかもしれない敵を迎え撃つための関所もあって。でもオニたちは、人間と同じような営みをしているだけだよ」
「やけに詳しいな」
「酒場で、誰かが話しているのを聞いたのかい?」
クロウが難しい顔をして、シキは興味ありげに先をうながす。
「そんなところに、武器を持って乗りこんでも、争いが起こって、憎しみを生むだけ。この呪いの謎を解き明かすには、オニとだって、話し合うべきなんだ」
そう言うなり、モモは、だらりと下げたままだった右手を、目線の高さへと持ち上げた。
衣がはだけ、右腕全体をおおう結晶があらわになると、二人の幼馴染は表情を一転させ、凍りつく。
「船が出航するのは、まだ何日も先だよ。だから、しっかりと準備をして挑みたいんだ。驚くことばかりだと思うけど、知ってること、ぜんぶ話すよ。それから、どうしたらうまくいくのか、いっしょに考えてほしい。……あ、わたしはわたしだよ。誰かに操られたり、あやかしが化けてるなんてこともないよ」
固まったまま動かないクロウを脇目に、こめかみを押さえたシキが、何かを言いかけてからやめて、モモの右手にそっと触れる。
モモは、シキの手を握り返すと、真剣そのものの表情で、二人の幼馴染の顔を交互に見た。
「何度でも、わかってもらえるまで、話すよ。あのね……」
長い長い一日は、まだはじまったばかり。




