第28話 ふたりの夜路
斜面を登り、沢を超え、代わり映えのしない森の中を、ひたすらに進む。
道すがら、モモは乱れる息の合間に、知る限りのことをシキへ伝えた。
トウヤのねらいは、里の裏山の祠に封じられた弟を連れ出すことであるらしいこと。
その弟の名は、ビャクヤ。
モモの右手を呼び続けているのも、そのビャクヤなのだということ。
祠のなかが、この右手と同じ結晶で埋めつくされているのだということ。
そして、いつかの時のめぐりで、グレンが自分を見下ろし、「器」という言葉を口にしたことも。
シキは一つ一つを胸に刻み、黙ってうなずいた。
シキは足をゆるめないまま、独り言のように口を開いた。
「グレンの言う『器』という言葉、君の右手の結晶、祠を埋めつくすという結晶――それらが、もし同じ一つのものだとしたら。君自身が、封じられた何かの力を受け止めるための器なのではないか……そんな気がしてならないんだ。ビャクヤの声が君だけを呼び続けるのも、それなら得心がいく。……いや、確かめるすべのない、ただの当て推量だけどね」
モモは答えず、ただ結晶の右手を胸元へ引き寄せ、小さくうなずいた。
また、短い休みを取るたび、シキは腰の鞘をあらためては、その先端のくぼみに、火薬を固く練りこんだ炸裂玉を仕込み直していた。
袖にしのばせた暗器も、同じように点検を欠かさない。
どちらも、ここぞという時のとっておきだ。
クロウの行方が知れない今、やれるだけの準備をしておかなければならなかった。
モモに生気が戻り、シキの憂いが晴れた。
山中は難所ではあったが、その足取りは軽かった。
そしてついに、どちらへ進むべきか判別のつかない、自然にできた分かれ道に差しかかった時。
モモが不意に足を止め、うっそうと生い茂る茨の奥を指差した。
「こっち」
シキは、ぎょっとした。
時をめぐる彼女の記憶が、この暗闇のなかでそこまで正確に地形を記憶しているのかという驚愕。
そして何より、その茨の先からただよう、ただ事ではない禍々しい気配に、本能的な危険を察知したからだ。
しかし、シキのこわばった顔を見たモモは、ふと、かつての幼馴染としての距離感を思い出させる、いたずらっこのように笑った。
「道を知っているわけじゃないよ。ただ、この右手が、方角を教えてくれるの」
結晶化した右手は青白く輝き、肯定するように、脈動した。
そして指し示した方向へ向かって、かすかに引きずられていた。
それが何を意味するのか、シキにはわからない。
だが、今のモモの瞳には、絶望のにごりはなかった。
シキは複雑なまなざしをその右手に向けながらも、深くうなずき、先頭に立って茨をかき分けて進んだ。
モモの息は依然として荒かったが、その足取りには、迷いや脆さはなかった。
やがて、行く手をさえぎるようにそびえ立っていた巨岩の裂け目を抜けると、風が吹き抜け、景色が一変した。
夜空にかかる月の光が、霧の薄れた山肌をうっすらと照らし出す。
そこは、すり鉢状にくぼんだ山腹にひっそりと隠された、狭い盆地だった。
険しい山々に囲まれ、外の世界から断絶された閉鎖空間。
この島で何が起こっても、この地にはその残響すらも届かない。
そんな場所だ。
「ここが……」
シキのつぶやきが、冷え切った空気の中に白く消える。
眼下に広がっていたのは、静寂に支配された集落――白鬼の里だった。
かつてのめぐりでモモが見た通り、原木を組んだ家々の間に白砂の道が伸び、かすかな光を反射して、まるで骨が散らばっているかのように、白く浮かび上がっている。
陽が昇る前の、最も寒気が極まる時間帯。
住人たちが眠りに就いていると考えれば、静まり返っているのも道理ではあった。
しかし、昨夜この島には荒くれ者の集団が押し寄せ、オニを相手に大規模な乱戦があったのだ。
それなのにここには、外敵を拒む戦支度の気配も、生活のにおいすら存在しない。
ただ、家々の軒先に吊るされたいびつな提灯だけが、ともることもなく夜風に揺れて、陰惨な影を落としていた。
「夜明け前であることを差し引いても、この静けさは腑に落ちない」
シキのつぶやきに、モモはただ、里の情景から目を離さなかった。
「行こう。ここが、わたしたちの目的地だから」
家々の軒先をすり抜け、二人は里の中心へと向かった。
シキはいつでも抜刀できるよう脱力し、モモの隣を歩く。
モモを守る盾は、自分しかいない。
その事実に、これまでいかにクロウに頼っていたかを、思い知らされた。
囲炉裏に火の気はなく、煙も立ちのぼっていない。
だが、家々の中は、もぬけの殻ではなかった。
暗がりの奥、むしろの上に横たわる者たちの、あまりにも希薄な息づかいが感じられる。
住人たちは確かに、そこにいる。
しかし、何かにおびえる風でもなく、ただ息をしているだけの抜け殻のような生気が、薄闇のなかによどんでいる。
モモの足取りに、迷いはなかった。
周囲を見回すことなく、集落の外縁にたたずむ、ひときわ頑強な造りの家へと歩みを進めていく。
記憶ではここから、長老が姿を現したのだ。
モモがその家の古びた板戸の前で足を止め、シキを振り返った。
シキは無言でうなずくと、音もなく板戸へ手をかけた。
土間へ立ち入ると、薄暗い部屋の奥、火の落ちた囲炉裏の前に、一人の老人が座している姿が目に入った。
長く白いひげをたくわえ、ひび割れた杖をわきに置いている。
その薄い紫色の瞳が、じっとシキたちを射抜く。
「……何者じゃ、お主らは」
灰が崩れるような、ひび割れた声だった。
老人は、物音ひとつ立てずに眼前に現れた二人の若者をにらみすえ、杖を引き寄せ、その切っ先を突きつける。
「グレンの遣いであれば、このような忍ぶ真似はせぬ。されど、関所を真っ向からねじ伏せてくるような剛の者には見えぬな。なれば、あやかしか。何をたくらんでワシの前に現れた。我らは何も持たぬ。語る言葉も、とうの昔にうばわれたわ。お主らの目的は何じゃ。何をすれば、この里から立ち去る」
シキは腰から刀を鞘ごと抜き、上がり框にコトリと置いた。
手のひらを見せて害意がないことを示すと、口を開く。
「こちらの素性を測る必要はありません、長老。すべてお話しして、その上で、お尋ねしたいことがあるのです。……お察しのとおり、僕たちは島の住人ではないし、あやかしでもありません。ただ、あえていうなら『招待された』とでもいうべきでしょうか。……トウヤという名の、白髪の男にね」
「……っ!」
長老の息が鋭く空気をふるわせ、ひび割れた杖を持つ手が、激しく床を打つ。
「あやつ……いや、なぜその名が……」
「トウヤは、僕たちが乗ってきた船の船長を、言葉巧みに操ったのですよ。財宝の所在をほのめかし、潮の流れを伝え、この島へ誘いこみました」
「そこまで……いや、あやつならやりかねん……か……」
「入り江での戦いは、それはむごいものでしたよ。そして、いまもこの島のどこかで、人間とオニとが、戦いに興じているはずです」
シキは物腰柔らかく、しかし容赦のない言葉を、長老に投げかけた。
「トウヤのねらいは、人間とオニを正面から激突させ、騒ぎを起こさせることでした。その火種が大きくなれば、紅鬼の首領グレンの目が逸れる。トウヤは、この混乱に乗じて、何かをしようとしています。そして、そのためには、あなた方――白鬼の一族を危険にさらすことをいといません。もちろんその中には、封じられた弟、ビャクヤも含まれます」
長老はふるえる息を吐き出し、細められた瞳でシキをじっとにらみすえたまま、かたくなに唇を閉ざす。
動揺は隠しきれず、その沈黙も、わずかな間しか続かなかった。
「……去れ。よそ者に語る言葉など、何一つないわ」




