第26話 しんがりの背中
――パチィン!
激しい破裂音が、静寂を鋭く引き裂いた。
見張り台のかたわらで燃えさかっていた篝火の、巨大な薪がはぜたのだ。
吹き上げた烈風が火の粉を巻き上げ、これまでにないほど明るく、周囲を照らし出す。
その光は岩陰にまで届き、夜の闇にひそんでいた三人の姿を、くっきりと浮かび上がらせた。
見張りのオニたちが、はじかれたように動いた。
目が、合った。
オニの顔が、狂暴にゆがむ。
のどの奥から、引き裂くような咆哮が上がる。
こうなってしまえば、もう隠れてはいられない。
囲まれる前に、動くしかなかった。
「シキ、モモを連れて下がれ! 敵を引きつけ、そのすきをついて吊り橋を渡るんだ!」
誰よりも早く動いたのは、クロウだった。
オニたちが武器をかかげて殺到するなか、クロウは二人を背に隠すように立ちはだかり、その広い背中から大剣を、鋭い金属音とともに引き抜いた。
襲いかかってきた最初の一体の鉞を、クロウは大剣の腹で激しく受け止めるなり、力任せの押しこみではじき返す。
(同時に来られたら、守り切れない……!)
剛と柔を切り替え、立ち位置を変え、猛攻をしのぐクロウ。
しかし、その激しい交戦の音が、呼び水となった。
霧の向こう、森の奥や水路の先といった別の場所からも、無数の足音が近づいてくることに、クロウは気づいた。
この数は、さばききれない。
このままここで足を止めれば、命運が尽きる。
せまり来る死の気配を前にして、クロウの目が、据わった。
それは、覚悟を決めた男の顔だった。
「シキ、モモを頼んだぞ!」
言うなりクロウは、守りから攻めへ転じる。
大剣を振り回してけん制しながら、自らにすきを作り、敵の攻撃を誘い出す。
身の安全の一切を投げ打ち、体当たりを敢行する。
鉄と鉄、肉と肉が激突するすさまじい音が響き、橋への道筋が開かれた。
「――だめ!!」
これまで必死に感情を殺していたはずのモモが、初めて、金切り声のような悲鳴を上げた。
その顔にあるのは、おのれにせまる死への恐怖などではなかった。
顔をクシャクシャにゆがませ、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちていく。
モモはクロウの衣服をつかもうと、必死にその小さな手を伸ばした。
「クロウ! そうやっていつも、わたしをかばって、先に死んじゃうんだから……! こうならないために、わたしは……わたしは……!」
狂ったように首を振り、さけび続けるモモ。
その言葉を耳にした瞬間、シキの全身に、落雷のような衝撃が走った。
(いつも、だって? 先に死ぬ……?)
それは、予知などではなかった。
モモのさけびは、まるで過去に何度も、目の前でこの幼馴染の死を看取ってきたかのような、深い絶望に満ちていたのだ。
シキは、気づいた。
モモがどれほどおぞましい闇を、どれほど深い孤独のなかを、たった一人で歩いてきたのかを。
自分を頼ろうとしなかったのではない。
頼れば、また同じように自分たちが目の前で死んでいく。
その地獄を避けるために、彼女は孤立することを選んだのだ。
シキはモモの腰に腕を回し、その軽い体を半ば引きずって、吊り橋へと駆けた。
「クロウを救いたければ、まず君がこの場を逃れるんだ。でないと、いつまでたってもあいつは、無茶をやめない!」
走って渡れば、この心もとない吊り橋は、ひとたびの揺れで制御を失う。
シキの低く着いた声に導かれ、モモは恐怖をこらえながら、一歩一歩、古びた木板を確かめるように進み出した。
そして、二人が吊り橋の半ばまで進んだ、その時。
背後から、すさまじい衝撃が橋を襲った。
数体のオニが、吊り橋へと踏みこんできたのだ。
異形の巨体がもたらす重みによって、吊り橋は生き物のように上下にのたうち回り、木板が不気味な音を立ててきしむ。
モモの小さな身体が、大きくよろめいた。
シキはとっさにモモの腕をつかみ、綱を握らせる。
細い背を前へと押し出すと、自らは進行方向とは逆に、せまり来るオニの側へと向き直った。
吊り橋の途中で足を止め、その身を盾にするように立ちはだかる。
「そのまま前だけを見て進むんだ!」
背後でシキの声を聞きながら、モモは必死に足を進め、かろうじて対岸の岩場へとたどり着くと、湿った土へと這い上がっていく。
だが、橋の上でしんがりを務めるシキのすぐ目の前には、すでにオニの影が肉薄していた。
篝火の赤黒い光を背後から浴びた異形がせまる。
太くただれた腕が伸ばされ、シキの衣服へつかみかかろうとして、虚空を裂いた。
この不安定な足場で、刀を抜く猶予などない。
シキは瞬時に左右の親綱をつかみ、全体重をかけて、足元の木板を激しく蹴りつけた。
波打つような衝撃が、ふたたび吊り橋を狂わせる。
綱が引き絞られ、木板が左右に大きくかたむいた。
シキにせまろうと体勢を崩しかけていたオニは、その予期せぬ揺れに足元をすくわれ、たまらず綱にしがみつく。
その一瞬のすきを、シキは見逃さなかった。
かたむく板を強引に踏みしめ、一気に残りの距離を駆け抜ける。
対岸へと転がり、モモのかたわらへと滑りこんだ。
安堵の息をもらすいとまは、与えられない。
オニは即座に体勢を立て直し、猛り狂った眼でシキをにらみつけ、大きく足を踏み出す。
さらにその背後、吊り橋のたもとには、次なる異形の群れが、今まさに殺到しようとしていた。
対岸へ伸びようとする、その悪夢の連なりを――クロウの双眸がとらえた。
殺到する刃を大剣ではじき、土を巻き上げる大振りでオニを飛びのかせる。
同時に、クロウは地を蹴ってきびすを返した。
一足で、吊り橋へ。
迷いも、よどみもない。
体をひねる力のすべてを刃に乗せ、吊り橋の太い麻縄の結び目へとたたきつけた。
親綱が、はじけ飛ぶ。
支えを失った吊り橋が、オニを乗せたまま虚空でのたうち、はるか下方の激流へと崩れ落ちていく。
谷底へのまれていく、異形どもの咆哮。
モモとシキの目の前で、里へと続く道と、クロウのいる対岸とが、分断された。
「いやだ! そんなの!」
奈落のふちで、モモの絶叫が夜空へとこだまする。
対岸に残されたクロウの背後には、退路のない断崖。
前方からは、無数のオニ。
それなのにクロウの口元はゆるみ、満足げに息を吐いた。
誰に聞かせるでもなく何事かを小さくつぶやくと、猛然と駆けだし、その勢いのまま、足元の土を蹴り上げる。
オニが顔をそむけ、腕で土を防ごうとした一瞬のすきを、大剣が裂いた。
さらに切りこんでいくその苛烈な姿は、次々と群がるオニの波に隠れ、暗闇と霧の向こう――モモたちの視界から、消えていった。




