第25話 吊り橋の見張り
「あったな、橋」
クロウがつぶやき、一歩前に出ようとするが、シキが腕をつかんで引き戻した。
「待て」
シキの視線の先――吊り橋のたもとには、木板を雑に組み上げた高床の見張り台が、黒い影となってそびえ立っていた。
その周囲には篝火がゆらめき、赤黒い炎が、霧をおどろおどろしく照らし出している。
火の粉のはぜる光のなかで、各々の武器を手にした三体のオニが、周囲の闇へ、紅く光る眼を向けていた。
橋へと至るには、あの炎の真ん前を横切るほかない。
気づかれれば、戦いは避けられない。
相手が三体だけならまだ勝算はあるが、他にもオニがいたとすると、土地勘のないこの暗がりでは致命傷となるだろう。
吊り橋を渡ろうにも、三人が同時に渡れるほどの強度はなさそうな上、万一落下すれば、この高さと水の流れだ。
助かるとは、思えなかった。
三人は息をつめ、冷たい岩の陰に身をひそめた。
篝火のはぜる音と、吊り橋のきしむ音が、木々のざわめきとともに聞こえてくる。
重い沈黙が、三人の間にのしかかっていた。
状況が変わらないまま、三人三様に考えあぐねていると。
モモたちがひそむ岩陰の、さらに背後、生い茂る木々の奥から、湿った草を踏みしめる音が近づいてきた。
クロウの身体がかすかに動き、大剣の柄へと手が伸びる。
鋭い瞳が霧の薄間を凝視すると、そこへ二つの輪郭が、音もなく這い出てくるのが見えた。
分厚い胸板、丸太のような上腕。
背丈こそ低いものの、その異様さに肌があわ立つ。
それが二体、緩慢な足取りで近づきつつあった。
まだこちらには、気づいていない。
不意を突き、音を立てずに仕留めるなら、今この瞬間しかなかった。
「……シキ」
声を極限まで押し殺し、クロウがシキの目をのぞきこむ。
橋のオニに勘づかれる前に、この二体を音もなく片付けるか、という獰猛な問い。
しかし、シキは即座にクロウの腕をつかみ、首を振った。
ここで刃を交えれば、その音が確実に、橋の見張りに届く。
そうなれば、逃げ場のないこの狭い崖路で、挟み撃ちだ。
シキはモモの小さな身体を岩のすきまへと押しこみ、自らも身を隠して、息を止めた。
草木をなぎ倒す音が、すぐ耳元までせまる。
生々しい獣臭をただよわせながら、オニが岩のすぐ外側の泥を踏みしめていく。
生きた心地のしない、数瞬。
二つの影が、ようやく岩陰を通り過ぎ、吊り橋のほうへと遠ざかりかけた。
しかし、安堵したのもつかの間。
ガサリ、とすぐ後ろの茂みが不自然に揺れた。
クロウの背筋に、氷水を浴びせられたような戦慄が走る。
二体だけでは、なかった。
少し遅れて、さらに三体目のオニが、足音もなく歩いてきていたのだ。
紅い眼が、三人が隠れる岩の裂け目のすぐ前を通過する。
あと一寸でも身体を前に出していれば、確実にその網膜にとらえられていた。
オニは不審そうに鼻を鳴らし、立ち止まる。
違和感の正体を確かめようと、赤い目をこらす。
クロウの指先が、大剣の柄を強く締め上げる。
生死を分ける静寂のなか、モモは声を出すまいと、自らの唇を強くかみしめた。
後ろを歩く仲間との間が開いたことを、たしなめたのだろうか。
前を行くオニが低いうなり声をあげると、三体目のオニはようやく首を振り、歩み去っていった。
遠ざかる足音を聞きながら、クロウは肺の中の空気をすべて吐き出すように、音もなく深く息をもらした。
全身から汗が吹き出し、心臓の音が、耳の奥でうるさいほどに脈打った。
だが、一難去ってなお、状況は最悪のままであった。
目の前を通過したばかりのオニが吊り橋のたもとへと合流し、見張りの数は、六体へとふくれ上がってしまったのだ。
時間の経過とともに夜風が吹き始め、霧のとばりが、わずかずつ薄くなり始めている。
逃げ場のない停滞は、三人をただ、追いつめていく。
何より、モモの体力の限界が近い。
シキの腕の中で、彼女は右腕を抱えてふるえている。
夜を明かす猶予は、残されていない。
どうにかして、あの六体の目を盗んで、橋を渡るしかなかった。
シキが周囲の岩の起伏と霧の流れを観察し、機をうかがっていた時。
にわかに、上空の風向きが変わった。
谷底から這い上がってきた濃い川霧が、オニたちの視界をさえぎるように、吊り橋のたもとへ深く立ちこめたのだ。
この霧の濃さなら、奴らの死角を突いて、一気に距離をつめられる。
ようやくめぐってきた好機に、張りつめていた空気が、一瞬だけゆるんだ。
まさに、その刹那だった。




