第23話 信じる男、疑う男
シキは、クロウが飛び出していった扉に目をすえたまま、長い間、彫像のように立ちつくしていた。
頭は、激しく回転している。
しかし、モモが口にした予言の異常性、その根拠。
答えを探そうとすればするほど、思考の迷宮にとらわれ、身体が動かなくなる。
外からは時折、船員たちのかすかなざわめきや、船体が波を割る鈍い音が聞こえてきたが、それすら今のシキには届かなかった。
どれほどの時間が流れただろうか。
これほど近くにいながら、近くに感じられない。
モモを拒絶するように固まっていたシキが、それでもようやく、声を出す。
「……モモ。君は、何を知っているんだ」
モモを見すえたシキの瞳は、困惑を超え、恐怖をにじませていた。
その一方でモモは、寝台にぽつんと腰かけたまま、膝を抱きかかえ、シキの視線をまっすぐに受け止めた。
「君の言うことは、ただの予知や、あやかしの噂話の範疇を超えている」
シキは一歩、モモのほうへ足を踏み出す。
乾いたのどから、やっと言葉が出た。
「確信に満ちすぎているんだ。これから起きる惨劇を、まるで一度その目で見てきたかのように断言する。それに、どうして、僕を頼らない? 爪の変異におびえた夜も、島へ行こうと決めた日も、モモは、いつだって一人じゃなかった……!」
モモは右手に視線を落とすと、困ったような表情でシキに答えた。
「わたしは、シキみたいにいくつものことを同時に考えられるほど、器用じゃないんだ。今だって、なにが正解かはわかっていないし、これからのことを考えると、もうそれだけで頭がいっぱいになっちゃうんだよ。伝えたいことはたくさんあるけど……ぜんぶ話していたら手遅れになるくらい、余裕がないんだよね」
モモの声は変わらず平坦で、押し殺されている。
「これから起きること。この船の誰もが、島でオニに殺されるの。入り江で、水路で、砦で、関所で――里までたどり着けても、またそこで……なにをしても、うまくいかない。それはシキもだよ。いつだって、わたしをかばって……。でも、もうそんなの、絶対に嫌なんだ」
モモはシキを見つめ、胸の奥にある悲痛な想いのまま、言葉をつなげた。
「お願い、シキ。わたし、やってみたいことがあるの。でも、どうしてと言われても、たぶんそうするしかないんじゃないかな……としか言えないの。へへっ……ごめんね」
これまでにないほどの、感情のこもったモモの言葉。
シキに向けられたモモの瞳は、今にも涙がこぼれそうなほどにうるんでおり、その小さな肩は痛々しいほどにこわばっていた。
それでも、シキの心は追いつかなかった。
どこまでが本気で、どこからが嘘か、わからない。
本当のモモと、目の前のモモとが、違って思えてしまう。
懇願と拒絶が同居する幼馴染の姿に、どうしても畏怖が勝ってしまう。
シキはのどをこわばらせ、本能的に一歩、後ずさった。
それを見たモモの瞳に、一瞬だけ、言葉にできないほど深く、孤独な悲しみの色が浮かんだ。
彼らを救うためには、自分が孤立するしかない。
そのあきらめが、モモの心に影を落とす。
ミシミシと、巨大な船体が悲鳴を上げ、足元の床が大きくかたむいた。
甲板から、船乗りたちの怒号と、太綱を引く激しい音が響いてくる。
船が、忌まわしい濃霧の海、穏ヶ島へと針路を変えたのだ。
間もなく、バンッ、と扉が開け放たれ、クロウが部屋に飛びこんできた。
よほど急いでいたのだろう。
肩を激しく上下させ、呼吸も荒い。
しかし、その瞳はまっすぐで、強い光が宿っている。
クロウはモモを見るなり、床につかんばかりの勢いで、頭を下げた。
「モモ……お前が正しかった、すまねえ!」
謝っているのか、怒鳴っているのか。
「あの白髪の――流れ着いてきた野郎は、人じゃなかった。翼を持ったあやかしだ。せっかくモモから聞いていたのに、まんまと逃がしちまった」
シキが息をつまらせ、信じられないようなものを見る目を、クロウへ向ける。
「俺はもう迷わねえ」
クロウは顔を上げ、モモをまっすぐに見すえた。
「お前は、お前だ。何か、事情があるんだろ。それは、あとで聞かせてくれたらいい。ただ俺は、決めたんだ。お前を信じる。だから、俺のことも信じてくれ」
考えることを放棄したのではなく、ただ覚悟を決めたクロウ。
それに対し、モモはふっと、硬くこわばらせていた表情をゆるめた。
まるでいつものモモのように、柔らかく、愛らしい笑顔を浮かべて応じた。
「ありがとう、クロウ」
シキはその笑顔を見つめながら、心からは同調できずにいた。
胃を焼かれるような葛藤に、気が狂いそうになる。
頭では、分かっている。
モモの言う通りに、事態が動いている。
モモは、自分には想像もつかない事情を抱えてしまっているのだろう。
それでもなお、確かめずにはいられなかった。
「待てよ、クロウ。君は本当にそれでいいのか?」
シキはたまらず声を荒らげ、クロウの背中につかみかかろうとした。
「確かにモモの言う通りになった。だが、だからこそ、この異常事態を受け入れてしまってはいけないんだ。じゃないと、モモが……万が一にも僕たちを置いて、どこか遠くへ行ってしまったとき、僕たちはなにを信じて、どこを目指したらいいのか、わからなくなってしまうんだぞ!」
「いい加減にしろ、シキ!」
激昂したクロウが振り返り、シキの胸ぐらを乱暴につかみ上げた。
「モモがあやかしの正体を見破ったのは事実だろ。ただ言えねえだけで、でも、俺たちのために必死になって、何かやろうとしているんだ。わかるだろ? 俺たちが信じてやれなくて、どうする!」
いつもなら、弁舌ではクロウを圧倒するはずのシキだった。
だが今のシキは、胸ぐらをつかまれたまま、クロウの手を振り払うこともせず、ただ唇をかみしめ、うつむくだけだった。
「分かっている。頭では、分かっているんだ。でも、僕にはどうしても、あのモモが……僕たちの知っている彼女に見えないんだ……」
言い返す気力すら失い、ただふるえるシキの姿を、モモは静かに、ただ見つめる。
「残念だけど、本当にもう、時間がないの」
モモは立ち上がり、張りつめた声で二人をうながした。
「もう島が見えてくると思う。そうしたら、上陸前にオニが来る」
激情に揺れる三人の想いを乗せたまま、船は白く深い霧のなかを突き進んでいく。




