第18話 燃える里
「まあ、その程度のことでたどり着けるほど、甘い道のりではありませんが……ですが、あなたたちも感じたのではないですか? 島全体にとどろく、ビャクヤの苦しみの声を」
(あのときの……!)
モモはとっさに振り返った。
クロウとシキのこわばった表情が、その事態の重さを、モモに突きつける。
「か……隠された、財宝――は、ははっ……はたして見つかりますかねえ……!」
滑稽でたまらない。
そんなむき出しの狂気が、トウヤの全身から噴き出していた。
ドォンと足元の岩盤がふるえ、喧騒の音が、モモの鼓膜をふるわせた。
右手の結晶が、巨大な繭の波長と同調し、明滅を始める。
そんななか、トウヤは陶酔したように目を細めた。
「さあ、行きなさい。優しい君は、この状況を放っておけないのではないですか?」
「そんな……嘘……!」
いま里で起こっていること。
これから起こる、むごい未来。
恐怖に血の気が引き、モモはきびすを返すと、洞窟の出口へと駆け出した。
クロウとシキが、猛然とその背を追う。
出口までの道は、来たときよりもはるかに短く感じられた。
岩肌を蹴り、闇をかき分けて駆けるうち、行く手の岩壁に、外の夜気を吸いこむ細い裂け目が見えた。
差しこんでくるのは、月明かりではない。
ちらちらと明滅する、赤い光だった。
胸騒ぎに引き寄せられ、モモは裂け目へと駆け寄り、眼下を見下ろした。
息が、止まった。
白砂の里が、燃えていた。
松明をかかげた人間たちが、わらぶきの家々の間を、我が物顔で駆け回っている。
板戸をたたき割る音。
家財を引きずり出す音。
宝はどこだとわめき散らす、濁声。
船の上で縄を引き、櫂を握っていた、あの男たちだ。
全身に墨を入れた半裸の男が、かまどの火をわら屋根へ放り投げる。
数刻前まで同じ船にいた顔が、炎に照らされ、狂熱に紅潮していた。
「やめて……」
声は届かない。
届くはずもない。
逃げまどう白鬼たちの、小さな影。
母親が幼子を抱え、白い角を隠すように布をかぶり、物陰へ転がりこむ。
その行く手を、大鉾をかついだ熊のような巨体がふさいだ。
船長だ。
財宝の在処を吐かせようというのか、逃げる者の襟首をつかみ上げ、野太い声で怒鳴っている。
そして、燃え上がる家々を背に、あの長老がいた。
ひび割れた杖を取り落とし、それでも両腕を広げ、ふるえる民をかばって、押し寄せる男たちの前に立ちはだかっている。
憐れな白鬼の命を、これ以上もてあそばんでくれ――。
数刻前に聞いた声が、耳の奥でこだました。
あの人は、知っていたのだ。
外から来る者はみな、この里に破滅を運んでくるのだと。
(わたしたちが……わたしが、この島に人間を連れてきたから……)
のどの奥が、焼けるように熱い。
目をそらすことも、まばたきすることさえも、できなかった。
「モモ、止まるな!」
クロウの声に引きはがされ、モモは裂け目から身をもぎ離した。
それでも網膜には、炎のなかで両腕を広げる老人の姿が、焼き印のように残り続けていた。
しかし、洞窟の出口へと飛び出した瞬間、行く手をはばむように、真紅の軍勢が立ちふさがった。
進軍してきたのは、グレン率いる紅鬼の兵だった。
グレンはモモたちを一瞥すると、兵に「捕らえよ」と命じる。
自らは、何もなかった顔で祠へと向かい、歩を進めた。
軍勢の背後、その先に広がる白鬼の里は、炎に包まれている。
引き裂かれるような悲鳴と怒声が耳をつき、焼け焦げた家々の黒煙が、モモの五感をかきむしった。
モモはグレンの覇気に押されそうになりながらも、通り過ぎようとするその巨体の前に必死に立ちふさがり、さけんだ。
「そんなことより、里が……! お願い、ここを通して。グレン、あなたも、どうしてこんな……!」
モモの悲痛なさけびを見下ろし、グレンは表情ひとつ変えず、声を放った。
「勘違いするな、人間の娘」
その声には、対話を一切許さない、断絶の響きがあった。
「これは白鬼どもが自ら招いた、その報いだ。それに、この奥――浅はかな振る舞いで島に危機をもたらす羽虫から、封印を護らねばならぬ」
(なにを……なにを言っているの……!)
最初から、何ひとつ伝わってなどいなかった。
モモの右手の秘密も、必死の説得も。
すべてはグレンにとって、トウヤを追いつめ、捕らえるための、ただの都合のいい道具に過ぎなかったのだ。
信じるという行為が招いた、取り返しのつかない悲劇。
その現実が、モモの胸を鈍くえぐった。
その時、洞窟の奥から、一人の少年を抱きかかえたトウヤが姿を現した。
彼の瞳からは、もはや正気は感じられない。
トウヤとともにいるのは、全身からおぞましいほどの白光を放つ、白鬼の少年――ビャクヤだった。
祠の祭壇から無理やり引き離されたことで、これまで抑えこまれていた力が一気に放たれ、制御を失い、暴発しかけていた。
「大丈夫ですよ、ビャクヤ……いま、僕が代わってあげます。もう我慢せずとも、いいのですよ」
トウヤは満身創痍のまま、弟の放つ光をすべて我が身で受け入れようと、優しく微笑んだ。
自分の命がどうなろうと、構わない。
それだけが、弟を解放する唯一の手段だと信じていた。
しかし、それはかなわなかった。
「――だめだよ、兄様」
暴走する白光のなかで、ビャクヤは氷の涙を流しながら、静かに首を振った。
ビャクヤは、兄にそんなおぞましい因果を背負わせることを、自分に代わってもらうことなど、望んではいなかった。
それに――兄弟という血のつながりだけでは、呪力を受け止める器としては、あまりにも不完全だった。
ビャクヤは最後の力を振りしぼり、トウヤを、やさしく拒絶した。
「なぜ……なぜ拒むのです、ビャクヤ! お前を救うために、僕がやってきたことを、なかったことにしないでください。僕を……僕を、置いていかないでください!」
トウヤの絶叫が響き渡る。
しかし、いや増して輝きを広げた光はすべてを包みこみ、視界を白くうばっていく。
トウヤの腕の中から、ビャクヤの身体を遠ざけていく。
最愛の弟を救うために心を殺し、里の民をも裏切り、すべてをささげてきた。
その執念のすべてが、救いたかったはずの弟の愛によって、根底から否定された。
声も出せず、思考も止まる。
すべてを失った白髪の若者の心は、もうどこにもなかった。
そして次の瞬間、制御を失い暴走を引き起こしたビャクヤを中心に、破滅の光がほとばしった。
紅蓮の炎を。
凄惨な戦場を。
人間たちの醜い欲を。
そして、すべてを利用したつもりになっていた、グレンとその軍勢をも等しく押しつぶすように、里の全域を白光がおおいつくしていく。
「モモ……!」
それは、誰の声だったか。
いや、声ですらすでになかったかもしれない。
押し寄せる光の濁流のなか、クロウが、シキが、なすすべもなくせまる崩壊からモモの身体をかばうように、立ちはだかった。
だが、人の身の武勇など、何の意味もなさなかった。
二人の身体が光のなかに溶けるように崩れ、その気配が消えた。
「嫌……嫌あああああッ!」
自分の願いが、この島に眠るおぞましい憎悪の歴史の引き金をはじき、最愛の二人を塵へと変えてしまった。
他人にすがり、対話を望んだ結果が、この最悪の結末だ。
「もう、誰も信じない。わたしだけで、わたしの力だけで、すべてを……!」
モモの意識が、深い後悔と激しい憎悪にのまれようとした、その瞬間――。
彼女の右手が異様なまでの輝きを放ち、結晶が急速にその侵食を広げ、右手のすべてをのみこんでいく。
内奥からあふれ出た遡行の光が、暴走する白光と溶け合うように世界を均一に塗りつぶし、頭蓋をたたき割るような激痛が、モモの意識を引き裂いていく。
消えていく意識の底で、世界はまたしても、あの始まりの白闇へとさかのぼる。
モモを、新たな旅路へと連れ去っていく。




