第17話 祠の狂気
「『光を受くる器、海を渡り来たる』……ビャクヤ様が封じられた夜に遺された言葉じゃ。よもや、お主のような小娘が……」
長老はそこで我に返ったように口をつぐむと、しばし黙したのち、重い口を開いた。
「我らは試されているのじゃ。この島を支配する紅鬼の首領グレンは、我ら白鬼に最低限の暮らしを許す代わりに、この場所にとどまるよう定めた。禁忌の洞窟にある、決して連れ出すことのできぬ人質――礎となった少年を盾にしてな」
老人の声は、ふるえていた。
「お主らが何を持ちこもうと、我らにはどうせ何もできん。関所を見ただろう。あそこには紅鬼どもの物見が張りつき、昼夜を問わず我らの首筋をにらみつけておる。少しでも不穏な動きを見せれば、奴らが雪崩れこみ、こんな里など跡形もなく滅ぼされるのじゃ。……頼む。その呪いを、あの御方の影をこれ以上ここに引き寄せないでくれ。島から去ってくれ」
話を聞くうち、モモの右手の結晶が、何かに共鳴するように、ドクンと大きく脈打った。
骨の髄をえぐるような激痛が走り、モモは思わず自分の右腕を強く抱えこむ。
そして視線が、自然と長老の指し示した裏山の暗がりへと、吸い寄せられていく。
何者かに魂を強く引かれるような、切実な感覚が、頭の芯を支配し始めていた。
その様子に、長老がつぶやいた。
「……祠を埋めつくす、あの結晶と同じじゃ」
「あっち……あそこに行かなきゃ」
モモがふらふらと、長老のかたわらをすり抜けて、山道へと歩み出そうとした。
「ま、待て! どこへ行く気じゃ」
長老の顔が、驚愕に染まる。
老人はひび割れた杖を狂ったように振り回して、モモの行く手をさえぎろうとした。
「ならん、行ってはならん! そこは禁忌の洞窟、ビャクヤの祠じゃ。立ち入るなど、紅鬼どもへの明白な反意。お前たち、あの娘を止めるのじゃ!」
長老の悲鳴のようなさけびに、背後に控えていたやせた男たちが、おびえながらも農具を構えて前に出ようとする。
だが、それはかなわなかった。
足が、地面に縫い止められたように、出ない。
大剣に手をかけたクロウが、それをはばんだのだ。
幾多の死線をくぐり抜けてきた獣が、牙をむき出して威嚇するかのように。
同時に、シキがモモの側面へと、流れるように回りこむ。
いつでも白刃を抜ける、無駄のない身のこなし。
すべてを見透かす双眸が、男たちから選択肢をうばう。
戦い慣れた者特有の気配が、白鬼たちの足をすくませ、農具を握る手を金縛りのように縛りつけた。
手を出したところで、何もできはしない。
里の男たちは青ざめたまま立ちつくし、長老もまた、目の前の二人の気迫に言葉を失っていた。
それでもなお、一族の破滅という恐怖が、老人ののどをふるわせる。
「頼む。行ってはならん。お主らが祠をけがせば、紅鬼どもに口実を与えてしまう。我が一族は皆殺しにされるのじゃ。憐れな白鬼の命を、これ以上もてあそばんでくれ……!」
全身をふるわせながら懇願する老人の姿に、モモは胸をしめつけられた。
しかし、それ以上に、心に強く訴えてくる声ならぬ声を、無視することはできなかった。
と、裏山の暗がりから、すべてを凍てつかせるような冷たい波動が、里の全域へと吹き抜けた。
突風、ではない。
それはモモの右手の結晶と、同じ質の冷気。
網膜の裏側に白光の残像を結ばせる、魂の衝撃だった。
ドクン、とモモの心臓が跳ね上がる。
頭蓋の奥へ、少年の声が流れこんでくる。
――さむい……たすけて、にいさま――
果てしない苦痛の底から響くような、泣きじゃくる子供の思念。
それがビャクヤと呼ばれる少年のものであると、モモは本能的に察していた。
同時に、その少年を今まさに苦しめ、祠の封印を乱暴にはぎ取ろうとしている気配が、トウヤのものであるという予感も、モモの心に刻まれた。
異変を感じ取ったのは、モモだけではなかった。
「う、あ……っ」
長老の背後にいた白鬼の男たちが、一斉に胸をかきむしり、その場に膝を突いた。
彼らの頭上の小さな角が、祠からもれ出る白光と同調するように、かすかな光を放ち始める。
一族の命をつなぎ止めるための礎――その枷が引きちぎられようとしている痛みが、血のつながりを持つ彼らの肉体へ、直接伝わっていた。
「ビャクヤ様が……苦しんでおられる……?」
長老が杖を落とし、自分の胸元をふるえる手で押さえながら、信じられないといった様子で裏山を見上げた。
モモたちをはばもうとしていた里の住人たちは、突如として身内から湧き上がった命の危機と、祠から放たれる崩壊の予兆に、ただふるえ、おのれの意思で立つことすらできなくなる。
モモの右手の結晶は、彼女の意思を無視して、まばゆいほどの白光を放ちはじめる。
そして裏山の洞窟の奥へと、強く、強く、その身体を引っ張っていた。
(呼ばれてる。ビャクヤのところへ、行かなきゃ)
モモは白鬼たちのおびえる視線と嗚咽を背に受けながら、あらがえない光の導きに従うように、裏山へ向けて歩き出した。
クロウとシキが、その左右を無言で固める。
長老はもはや声を上げることもできず、去り行く三人の背中を、絶望とともに見送るしかなかった。
◇
裏山から地下へと伸びる洞窟は、外界よりもなお深い、霧と静寂に満ちている。
岩肌を伝ってしたたる水音が、暗闇の奥で不気味に反響していた。
進むにつれて、モモの右手に走る激痛は、肉を裂き骨を砕くような脈動へと変わっていく。
指の結晶が心臓と同調するように、青白い光を明滅させて、周囲の壁を照らし出す。
「モモ、無理をするな」
シキが腕を差し伸べてモモを支えると、クロウは視線を油断なく闇の奥へと走らせ、先行した。
やがて道が開け、三人は洞窟の最奥へとたどり着いた。
そこは、無数の結晶の群生が逆柱のようにそびえ立つ、命の気配が感じられない、美しい祠だった。
空間の中央には、ひときわ巨大な結晶の繭が、生き物のように脈打っている。
そして、その繭にへばりついて、爪が割れるのも構わず結晶をはぎ取ろうとしている影があった。
白髪の若者、トウヤだ。
船の上で見せていた、あの弱々しい奴隷の仮面は、もはや完全に消え失せていた。
「トウヤ! ここで何を!」
モモの声に、トウヤは動きを止め、振り返った。
その薄紫色の瞳は、執念と狂気によって、爛々と輝いている。
「君が口にした『すべきこと』ってのはなんだ。ここが、その場所なのか?」
シキが問いを重ねる。
トウヤは薄い唇をゆがめ、鼻の奥でふっと笑った。
前髪のすきまからのぞく瞳に、じっとりとした狂愛の炎がともっている。
「何って、見ればわかるでしょう。ビャクヤを、僕の可愛い弟を、このおぞましい結界から引きはがそうとしているんですよ。――あの里の連中は、かつてあやかしたちの虐殺から自分たちだけが生き延びるために、ビャクヤを、グレンに差し出したのです」
指先が傷つくのもいとわず、トウヤの声は抑揚を欠くことはなかった。
その眼には、迷いのない狂信があった。
「あいつらは、その犠牲の上にのうのうと平穏をむさぼっている裏切り者どもです。ビャクヤは今も、そんな連中の薄汚い命を維持するために、この中で永遠の苦痛を味わい続けているというのに」
トウヤの口からあふれ出た怨嗟と、里の民への容赦のない憎悪に、モモは言葉を失って立ちすくむ。
「でも、どうして? 何の理由があってそんなことを……」
この世の中には、本当の悪意など存在しないと信じているような、そんな無垢な世迷い言を正論として吐き出すモモを見て、トウヤは憐れむように、ゆがんだ笑みを浮かべた。
「君は本当に優しいですね、お嬢さん。――でも、ここで悠長に僕の話を聞いていていいのですか?」
トウヤは愉しげにのどを鳴らすと、声をひそめた。
「僕が船長たちに教えたのは、東の砦などではなく――本当は、里の在処なのですよ」




