第356話「蒼月の夜」
夜。
蒼月レインの部屋。
地図が広げられていた。
白影の位置。北、東、南西。三か所。それぞれの発生時刻と範囲の変化。深部反応の推移。自衛隊との通信内容。全部書き込まれている。一枚の紙の上に、今この区域に起きていることが集約されていた。蒼月は地図を見ながら、自衛隊の補佐官が言った言葉を繰り返していた。「それが正解かもしれない」均衡者が地下に降りた。それが正解かもしれない。向こうはこの区域よりも多くの情報を持っている可能性がある。だが断言はしなかった。かもしれない、という言葉を選んだ。その慎重さが、蒼月には信頼できると感じさせた。断言する人間より、可能性を言葉に乗せる人間の方が正確なことが多い。
補佐が来る。
「悠真さんたち、まだ戻っていません」
静かな声。
蒼月が頷く。
「もう少しかかるだろう」
補佐が続ける。
「西区との連絡調整は済みました。北の見張りも強化しています」
「ご苦労さまです」
一人になる。
蒼月は窓を見る。夜の空に白影が浮かんでいる。侵食が始まったとき、蒼月は区域を守ることだけを考えてきた。攻めるのではなく、維持する。拡大するのではなく、持ちこたえる。その方針は今も変えるつもりはない。だが均衡者たちが来てから、守るだけでは足りなくなってきている気がしていた。世界は蒼月の意思に関係なく動いている。深部という言葉が、今夜初めてこれほど具体的に感じられた。何かが変わろうとしている。その予感を、地図の上に書く言葉がまだなかった。




