1-5 暮れ六つ
獣のような人間たちと悪臭でむせ返る部屋を、安久良はそーっと駆け抜けていく。
しかし、その中、安久良はその中の男の1人に捕まってしまった。
不潔にボサボサに伸びた髪の下、青髭の生えた口の中からかけた歯が覗くと、安久良は本能的に自分がありえないくらいの危機に置かれていることを理解し、次の瞬間――――その手に噛みついた。
「んー? そういうのが趣味なのかぁ?」
しかし、男は薬物でいかれているのか、その痛みにじゃれ合い以外の全くの意味を見出さず、代わりに安久良をぶんと地面に叩きつけて、
「だけどなぁ、俺ぁ上の方が好きなんだよ」
と、安久良に覆い被さった。
「や、やめ――――」
抵抗する、安久良。
しかし、11歳の子供が大人の力にあらがえる余地などなかった。
そんな時だった。
教会の空から、ズドンと何かが降ってくる。――――その衝撃はあたりのものを吹き飛ばした。
すると、安久良の上にいた男も、飛んできたひっくり返ったベンチに巻き込まれて横に転がる。
「何……!? もしかして、さっきのお婆さん……!?」
そのベンチを吹き飛ばすほどの衝撃の原因を、安久良は先ほどであった老婆以外に思いつかなかった。
(さっきの人が、僕を追ってきて……!? ――――ここにいちゃだめだ!)
そう強く思うと、安久良は聖堂を出て自分が辿ってきた道を戻る。
そして、自分が元いた暗がりの部屋へと逃げ込むのだった。
▼ ▼ ▼ ▼
安久良が逃げ込んだ先――――初めにいた暗がりの部屋には、安久良が壊した鳥籠の他に、大道具や小道具が散乱していた。
その内の1つ、クリスマスツリーに布を覆い被せたような自分より大きい傘状の障害物の影に安久良は身を隠す。
すると、遅れて老婆が部屋に入ってきた。
「辺りをくまなく探しな! もう殺しても構わないよ!」
手に持った無線にそう吐き捨てる、老婆。
しかし、いま探しているのは安久良ではないようで、
「あのガキ……! さっさと追いかけないと……! この山からは逃ししないよ……!!」
と、息を荒げながら老婆は乱雑に腰元に無線をしまうと、
「それとも案外、この辺りに潜んでたりしてねぇ……」
と、ヒールの音を闇に響かせながら、暗がりの部屋を進んでいく。
そして、突き当たりにあった縦長の何かにかかっている布を引っぺがした。
(――――人!?)
安久良は声が出てしまいそうになった口を手で押さえ、目を見開く。
姿を現したのは――――やけに人間に寄せて精巧に作られたひどく美しい女のマネキンだった。
「こいつがようやく完成だってのに、いま使うのは……」
それから、老婆はマネキンを見つめてぶつぶつと愚痴のように呟き始める。その隙のある背中を見て、安久良は今のうちに部屋から逃げてしまおうと思った。
「なんだい? 上の連中が騒がしいねえ、全く。バカな奴らだよ、あんなブスどもとの一時の快楽のために毎日小銭を必死にかき集めて捧げるなんて……」
辺りをゴソゴソと探り移動する老婆の視線を、影から影へと掻い潜って安久良は廊下に出る。
しかし、こっそりと扉を開けて出たその先、待っていたのは――――無表情で立つ、老婆と共に自分を襲った女だった。
安久良は、その女に体を押されたされたわけでもないのに驚きで咄嗟に扉から手を離し、暗がりの部屋の中に背中から転げる。と、そのまま惨めな虫のように手足をバタバタとさせながら、元いた傘状の影の裏に逃げ帰ろうとした。
しかし、その時、安久良は運の悪いことに足元に箱が引っかかって転んでしまう。――――と、倒れた箱の中から現れたのは、上半身だけのつぎはぎの女だった。
「……ッ、うわぁああああああっ!!」
その瞬きを一切しない上半身だけの女の目に見つめられると、ついに安久良は叫んでしまった。
そして、それを老婆が聞き逃すはずもない。
「――――そこにいたかい! クソガキ!!」
老婆はその姿を見つけると、また指揮者のように手を振った。
すると、安久良の足元にいた上半身の女が動き出し、安久良の足を掴んだ。
「うわぁああああああ!!」
安久良は何度も上半身の女の指を蹴ってなんとか足から手を離させると、先ほどまで自分が隠れていた傘状の影へと逃げ込む。
しかし、その影も――――老婆の手下であった。
影は自身にかかっていた布を剥ぎ取ると、布の下からは右腕の欠けた人形が姿を現す。そして、そこへやってきた上半身だけの女と共に安久良に飛びかかり、地面に押さえつけた。
「やーっと捕まえたよ、このガキゃぁッ……! ネズミみたいにちょろちょろ逃げ回りやがって……!!」
暗がりの向こうから、ぎょろっと威圧的な眼光が現れる。
老婆は息を切らしながら安久良に迫ると、安久良の胸を踏んづけた。
「ひっひっひっ……! 生かして捕まえられたなら、使えそうなパーツだけ取ってやる」
「パーツ……!?」
「そうさ、お前を捕まえるこの土人形どもみたいに」
「つ、土人形!?」
「そう、あたしのしもべさね……!!」
鼻息を荒くしてより深く大きく笑う、老婆。
すると、老婆は安久良にグイッと顔を寄せて、
「お前は特に目が良いね。鼻も。髪の毛や臓器は他の素材になるし、お前の中じゃお前の命が1番いらない、使えない」
と、医者が健診するように安久良の目の下を引っ張ったり手で触れたりした。
「い、嫌だ!」
「どれだけ嫌がろうと無駄さ。儀式の日まで檻に閉じ込めて、その時が来たら生きたまま全部剥ぎ取ってやる……!」
「だ、誰か、助けて……!!」
頭の中を恐怖の感情だけが満たす。
「――――誰か!」
しかし、どうしようにもどうしょうもなかった。――――その時だった。
「見つけた――――」
その少女のような声が、目の前を明るくした。
「《王魔伽刻:1の刻》」
次の瞬間、天井から老婆の背中に向かって、魔力を持たない安久良には見えないはずの黄色の紋章が重なり連なる。――――と、紋章を砕きながら弾丸のような速さで何かが飛んできた。
「――――ッ!」
老婆はそれに遅れて気づくと、その何かとぶつかる寸前のところで扉の外にいた土人形を呼び寄せて自分と何かの間に割り込ませた。
バチンッ――――一瞬の稲妻のような轟音を上げて、土人形が弾け散る。と、老婆は、
「誰だい!! 無礼者!!」
と叫び、自分の元へ安久良を抑えていた土人形2体を呼び寄せた。
一方で、老婆を襲った何かはくるっと回ると、安久良のそばへ着地する。
その正体は、安久良となんら変わらない年齢の少女だった。
「――――大丈夫?」
遅れて、破裂した土人形の破片が辺りに雨のように降り注ぐ。
そのグロテスクな光景とは対照的に、月よりも綺麗なその瞳に見つめられて――――黄昏時のオレンジと紫の混ざる美しいの空の下、その日、緋山安久良は骨喰神夜に取り憑かれたのだった。
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