1-3 誰もいなくなった
緋山安久良、11歳。
ランドセルを背に川沿いを行く少年は、孤独だった。
小高く守られた道の上から、グラウンドの広がる大地を見下す。そこでは、自分のクラスメイトたちが私服姿で野球をしていて自分とは対照的にみんな笑顔だった。
それから安久良は家に着くと、首にかけていた鍵で扉を開ける。そして、誰もいない家に向かって、
「ただい……」
そう言いかけたが、虚しいだけだから引っ込めた。
冷蔵庫には、朝ごはんの残りを詰め込んだ冷えたお弁当箱が入っていた。
安久良はそれを手に取ると、家にいろという言いつけを守らず、もう1度家を出る。
そして、戻ったのは――――河原だった。
ただし帰り道とは違い、あたりに子供の影はない。安久良は辺りをキョロキョロとすると、河原前の道路を渡って階段を駆け上がり、ひょこっと顔を出した。
「お、来たか!」
そこには、芝生の絨毯の上で1人。ヒラヒラと手を振る、ガタイのいいお姉さんがいた。
手に食べかけの菓子パンを持っているお姉さんは、黒のシャツに紺のツナギを着ており、胸元には『株式会社:MAMAMAMAX』と刻まれていた。その格好は、お姉さんの職業であるトラックドライバーのせいだった。
「うん」
安久良は、当たり前のようにお姉さんの隣にちょこんと座る。と、弁当箱を開けた。
「お、今日はミートボールか。うまそうじゃん!」
「朝の残りものだよ」
安久良が不貞腐れたように川のほうを向くと、お姉さんは、
「それが、どれだけありがたいことか……」
と、呆れたように微笑んで安久良と同じように川を見つめ、それからパンを頬張った。
「なら、食べる?」
「え……」
お姉さんは、初めは「ガキが1番食え」とその提案を突っぱねようとする。しかし、そう言われた時の安久良の悲しそうな顔を見ると、
「ありがたいって、そういうことじゃないんだけどな……」
と、1つを手に取って、口の中に放り投げた。
お姉さんは、改めて川の方を見つめる。と、
「見ろ。あそこにいる爺さんを」
と、お姉さんが言っていた。
それは、河原のビニールハウスに住むホームレスのことだった。
「あれは、なんでも自分でやらなきゃいけなくなった大人さ。なんでもやらなきゃいけなくなったから、金を捨てたのさ」
「金を捨てた?」
「金というしがらみを捨てて、その日暮らしにすれば仕事にも社会性にも縛られることはない。飯だって、毎日じゃないが炊き出しがあれる。――――だけど、復帰するのも大変だ。保険も効かねえしな。自由になることで、不自由になったのさ」
お姉さんはパンを食い終えると、くしゃくしゃにビニールを丸めてポケットに突っ込んだ。
「今は分からねえかもしれねえが、たとえ家にずっといてくれなくても、自分が何もせずにご飯がある風呂も入れる掃除もされてる、なんてことはめぐまれてるんだぜ。それに、子供なんて法を犯さなきゃ基本は何度でも失敗できる。――――だから、自由の中で自由でいられるうちに何かになるんだな、少年。でなきゃ、そのうちいろんなしがらみにやられちまうぜ」
それから、お姉さんは野菜ジュースのストローに口をつける。と、安久良に、
「美味いな、そのミートボール」
と、言った。
「冷凍食品だよ」
「あ? 冷凍食品だろうが手作りだろうが、美味いもんは美味いだろうが」
「……これが美味しいのは、ここで食べてるからだよ」
「ふむ。ま、飯の景色は良い方が良いからな」
そう納得すると、お姉さんは一気に飲み干す。と、それから、
「しかし、その景色において1番良いものを見れないのが、少年の不幸だね」
と、立ち上がって、
「さ、そろそろ行くかな。ルート配送とはいえ、いや、ルート配送だからこそ遅れらんねえし」
と、背伸びをした。
「ルート配送?」
「長距離運送と違って、同じところを回る配達のこと。でなきゃ、あんたと何回もここで会えやしないっての」
お姉さんはそれから裾を払って振り返ると、
「じゃ、また明日な。さっさと飯食って家に帰れよ、少年」
と、手を振って、どこかへ消えていってしまった。
しかし、「また明日」、その言葉が安久良にとっては嬉しいものだった。
「うん。また明日」
安久良はその背中を見送ると、川に向き直ってまたゆっくりと弁当を食べ始めるのだった。
▼ ▼ ▼ ▼
「はっ、はっ、はっ……!」
足早に道路を駆けていく、安久良。
安久良は信号が変わるのも待たずに、自分で車が来ていないことを確認すると河原側へと渡り、階段を駆け上がった。
「あれ、いない……」
次の日、約束通りにやってきた安久良は――――しかし、お姉さんと出会うことはなかった。
そこで、安久良は昨日のお姉さんの、
――――ルート配送とはいえ、いや、ルート配送だからこそ遅れらんねえし。
という言葉を思い出した。
「間に合わなかったか……」
安久良はそう呟いてその場に座ると、カポッと弁当箱の蓋を外した。
今日のメニューは生姜焼きだった。
それを、箸で摘んで口に運ぶ。と、そのうちおかずやご飯の詰め込まれた頬はリスのようにパンパンに膨らんだ。なんだか、いつもよりご飯たちが喉を通っていくのが遅かった。
その時、ふと、俯いた顔を柔らかな風が撫でる。
「あれって……」
そよそよと揺れる髪の隙間。覗き見えたのは、いつもと違い安久良より遠くの階段を上り、どこかへと向かうホームレスの姿だった。
安久良は急いで弁当を口の中に押し込み、喉にそれらが詰まりかけて、胸をドンドンと叩きながらお茶で流し込むと、弁当箱を纏めてホームレスの跡を追う。
その安久良の行為は、完全に子供ゆえの気まぐれだった。
しかし、その気まぐれが安久良の運命を変えてしまうきっかけとなる。
「なに、これ……」
人気のない陸橋の下。
ホームレスらしき人々が、怪しげなトラックの荷台に乗り込んでいく。
と、その際に何か紙袋を手渡していた。
「あれ、お金……?」
その場で確認された封筒から見えたのは、明らかに小銭やお札だった。
お金を払って、トラックの荷台に詰め込まれる。それも、ホームレスのような人々が。
目の前に広がる光景は、いくら安久良が子供だろうと異常だと分かった。
だから、安久良は当然にそこから静かに立ち去ろうとした。――――その時だった。
「子供か……」
安久良が振り返ると、そこに立っていたのは――――フードと帽子で顔を隠した人相の悪そうな男だった。
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