最終章 プロローグ
『緋山』という苗字。
“檜“でもなく緋色の“緋“であるから、そんな字体を厨二心がくすぐられて羨む人だっているかもしれない。
だけど、僕はこの苗字が嫌いだった。
この特殊な苗字は、自分の特殊な出自を表し、そしてそこに自分を縛り付けているかのようだからだった。
「さあ行くぞ、安久良」
「……うん」
朝。
父にどうしてもついていかなくてはならないと言われた用事のために、玄関でローファーを履く。――――安久良が、まだ9つの時のことだった。
靴を履き終わって立ち上がると、母が、
「ああ、待ってお父さん」
と、安久良の似合わないスーツを着飾るネクタイを、苦しくなるところまでキュッと締め上げてくる。そして、もう1度じっと安久良を見つめると、
「これでよし」
そう、母は笑った。
あまり何も変わったようには思えないけど、満足ならそれでいいや。
そのまま何も知らない母に玄関で見送られて、家を出て車に乗れば、憂鬱のゆりかご。
父の運転で、ちょっとした山奥に向かう。窓の外を流れていく杉が、鼻をくすぐった。
車が止まると、砂利道を少し歩いて大きな門の前にたどり着く。
表札は、『骨喰』。
門は開かれていて、中には人が数十名いた。
その雰囲気は和やかで、楽しそうだった。
父はその中の1人の老人と目が合うと、軽く会釈をする。と、相手もそれに手を振り返した。
それから父に連れられて受付のテントの下に行き、リストに名前を記す。と、それを確認し、
「緋山様でございますね、ようこそおいでくださいました」
と、受付の人が言った。
その言葉に返すように、父は袋に包んだ土産を手渡す。
「この度はおめでとうございます」
父も受付の人も互いに頭を下げて、テントを後にする。と、すぐのところで、先ほど父に会釈をした老人が、
「やあ、緋山の倅。どうだ、調子の方は?」
と、声をかけてきた。
「特魔の職員なんですから、調子がどうかなんて分かるでしょうに。相変わらずですね」
「ちゃうわい。ここで言う調子と言ったら、あっちじゃろ」
「ああ。それなんですが、めっきりですよ。もう大人ですから」
聞く人が聞けばすけべジジイの会話だろうが、この集まりではそっちの意味でもなかった。
父の返答を聞くと、老人はそれをそばで見ている子供――――安久良に目をやった。
「あっちは、どうじゃ」
「いえ、息子も同様に才能は……」
「ほうか。なら、普通の道に?」
「ええ。もうこの“5つ歳口上“を境に、緋山家の歴史は自分で最後にするつもりです。何も知らなければ、職員だけでなくもっと可能性は広がるでしょうから」
「ほうか、ほうか。寂しくなるのぉ……」
老人はそのまま周りの者に連れられて、人の輪の中へ消えていってしまう。と、また別の大人がやってきて子供を差し置いて会話を始めた。
子供にはつまらなさすぎる、愛想笑いと当たり障りのない雑談と社交辞令の時間。
しかし、その退屈な時間は――――すぐに崩れ去った。
「来たか……」
場の空気が一変する。
老人の呟いた視線の先、緊張感を纏ったスーツの集団が現れる。
その集団に属する大人は老若男女まちまちで、大きな荷物を持っているものもいた。
先頭に立つ一際オーラのある赤髪の男の左右には、凛と構えた自分よりも年上に見える大人びた子供と、対照的に背を曲げ暇そうにしながら歩く幼い子供の2人がいた。
その集団が門の敷居に差し掛かった時、前に立ったのは、この家の使用人の長のような年老いた女性だった。
「赤木様、ならびに赤木家の皆様でございますね」
年老いた女性は、背筋をまっすぐに整えて手を腰の前に合わせて静かに言葉を放ち、じっと先頭の男を見つめる。
「ああ」
男が静かにそう言うと、それから赤木家の面々は年老いた女性の案内に従って、その場の誰よりも先に屋敷に入っていく。――――と、その際、まだ幼いほうの子供が安久良を一瞥して、
「何だ。魔力なしか」
と、興味なさそうに漏らした。
安久良が何をしたわけでもないのに少しだけ申し訳なさそうに目を伏せると、大人びた子供の方はそれを咎めるでもなく先頭の男の後に続いていく。
そうして、その集団が通り過ぎた後、それを待っていたかのように屯していた大人たちは屋敷の中に向かい始めた。
屋敷の中に入れば、歴史ドラマで見たような奥抜けた和室に招かれた者がずらりと並ぶ。
その先では、自分と同じか少し幼いくらいのオドオドとした子供が正座していて、他にも骨喰の血族であろうものが並んでいた。
時間が重たく過ぎる中、安久良は部屋の隅々をぐるりと見回す。と、それを父が、
「失礼だからやめなさい」
と、小声で咎めた。
今度は、無言でただ時を待つ退屈な時間が辺りを支配していた。
しんと静まり返る室内。
そこへ、少し時間を空けてトストスと足音が2つ聞こえてくる。すると、座っている大人の中から1人が、
「それではこれより、しきたりに従い、骨喰家長女が神夜の“5つ歳口上“を行わせていただきまする」
と、声を上げた。
続けて、骨喰家の者たちが並ぶそばの戸が開かれる。――――と、大人の男と小さな少女が姿を現した。
大人の男と少女は主役ともいえる位置に腰を下ろすと礼をし、それから大人の男のほうが長々とお礼と口上を述べ、自分の名を名乗る。と、それから番を少女に渡した。
“5つ歳口上”――――その名の通り、彼女が今日の主役だった。
「本日は皆々様、遠路はるばるお越しくださり誠にありがとうございます。本日、4月4日にて5つとなりました。――――骨喰家が長女、神夜にございます。――――より一層、魔術の道に邁進してまいりますることにございますれば、何卒いずれも様にはこれからもご贔屓ご支援の程をお願い申し上げまする」
深く礼をして、パッと顔を上げる。
その凝り固まったような少女の微笑んだ顔を見て、ある子供は、
「こいつはぁ、すげえ魔力だな……」
と笑い、ある子供は、
「……」
と、じっとその少女を見つめた。
そして、最後列では、これからやってくる大きな時代のうねりも知らずに、我関せずといった顔で安久良が暇そうにあくびを噛み殺していた。
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