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高嶺のお兄ちゃん  作者: 明智あきら
第3部
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30/31

第2章 (3)

「……どうしてこうなった」

 冷たい声とともに天井を仰ぎ、アイリはため息をつく。

「……どうしてなんだろうね」

 テーブル越しの相手に向けて、わたしもため息をつく。

「……そんな顔することねぇじゃねぇかよ……」

 和樹は所在なさげに、げっそりしたわたしたちから視線を外した。


 駅をやや離れた住宅地にある、昔ながらの趣を残した喫茶店。週末でありながらお客さんの姿はまばら、年齢層もそれなりに高め。お昼ご飯のあと、わたしたちが落ち着いたのはそんな店だった。


 アイリ御用達店のひとつで、週替わりのブレンドコーヒーがいつも美味しいのと混雑しないところが気に入ってるという。何度か連れてきてもらったことがあり、わたしが国立でたまに使う隠れ家的な店も実は……というよりカフェ巡り自体が、アイリの影響だったりする。


 両親共働きでもないのにお手伝いさんを雇うような、ガチお嬢のアイリが持つ趣味としては初め不思議だったけど、なにもかも家で完結してしまうのは息が詰まるらしい。なおわたしも最近は家にギャルソンまがいの奴がいるので、少し気持ちがわかるようになった。


 それはともかくとして。

「ほらアイリ、やっぱ減点方式は失敗じゃね?」

「……ごめん、そうみたいだね」

 ちゃんと忠告したのに。こいつのわかってなさをなめすぎ……


 ……にしても、だ。

 自分で提案しといてなんだけど、どうしたもんかねこれ。

 先行きを思って途方に暮れながら、程良い温度になったコーヒーを口に運んだ。


 入れ違いのように、和樹がオレンジジュースのストローから口を離した。苦くてコーヒーは飲めない、と言ったその顔を苦々しげにアイリへ向ける。

「謝る相手が違うんじゃねぇの?」

「減点100」

 目もくれずにアイリは即答し、和樹が不満の声を上げる。

「はぁ!? ざっけ……あ」

 だから気づくの遅ぇって。


「和樹さ……いい加減、自制するってことを覚えたら?」

 ちなみにわたしとアイリがお勧めのブレンドを選んだのに対して、あろうことか和樹は最初クリームソーダを注文しようとした。

 いやわたしも嫌いってわけじゃないし、ひとの好みにケチつけたくはないけど。TPOってもんを考えろ、とそれも減点まで行かずとも注意点だったのは余談。


「……でも100ってよ」

「減点1」

「かりん、優しすぎ」

 うん、わたしもほんとは10ぐらい言いたかった。加点式に切り替えたくても、減点材料が次々に投下されるのだから指摘せざるを得ない。


「ねぇ弟くん、ほ・ん・と・う・に、何度言えばわかるの?」

 なので必然、アイリは容赦する気になれないのだろう。

「弟くんはやめろってお前は何度言えばわかんの?」

「減点200」

 っつーからちが開かねぇ。


「あのなぁ。わざとやってんのか」

 また反射で言い返そうとする和樹を制して、わたしは口を挟んだ。

「文句言うより先に、言われた理由を考えろと」

「だってそいつがよ……」

「お姉ちゃんじゃないの。同じ扱い求めてるうちは未来がないよ?」

 声色だけは今日子さんのように優しくすると、和樹はひとまず黙った。


 んじゃそろそろ和樹がアイリに痛めつけられてるわけ――の前に、わたしたちがなぜ3人でここにいるのかを説明せねばなるまい。


 先日の電話で考えてたのは、腹黒お姉様が心変わりで参戦することをいかにして阻止すべきかだ。お兄ちゃんとの間に浅からぬ縁があったと明らかになった以上、これまでのようにただ安穏と構えてるのは難しい。


『光太郎』と『陽子』の間柄はフィクションでも、元ネタとなったふたりは誰かの筋書き通りに生きてるわけじゃないのだ。あるいは以前アイリが指摘したように、お兄ちゃんのほうからまた言い寄る可能性だってあり、いまのあれを今日子さんが再び袖にする保証はない。


 なら勝負は急がなきゃいけない、とわたしとアイリが今日子さんに勝るアピールポイントを探してみたものの、悔しいことに外見ぐらいしか思いつかない。美人は好きと言ってたけれど、あの『村山先輩』に恋してた虎次郎兄ちゃんだ、当てには出来ない。


 どころかそれすらも、昔あれだった初恋のひとが綺麗になって現れたインパクトに比べたら霞んでしまう気がする。そうなった理由が自分にあるのは、返す返すも残念すぎるけど。


 そこで今日子さんの弱味だ。

 ――和樹? あの弟?

 ――そうあいつ。言ったでしょ? 今日子さんあれに超甘いんだって。

 多くを知ったいま、今日子さんが単純なブラコンだなんてわたしも思ってない。でも本人が言ってた通り、甘やかしまくってるのは確か。


 義弟の想いに気づかないのかとぼけてるのかは不明ながら、はっきり告げられて無視したり、邪険にしたりは出来まい。

 揃って『大事な妹』扱いされてるわたしたちの勝負が長引きそうだというなら、余計な敵を土俵に上げなければいい。なにしろ今日子さんが相手なのだ、搦め手をためらう必要はない。


 つまりお兄ちゃんとの関係がこれ以上進展する前に、シスコンこじらせてる弟とくっつける作戦。義理なら倫理的に目くじら立てることでもないし、上手くいけば誰も不幸にならない。

 なんだ完璧じゃん、わたしあったまいー!


 と、こないだ電話してたときは思ったんだけど。

「まだ友達ですらないのにお前呼ばわり、もう9回目」

「お前の弟くん呼ばわりは両手じゃ数えきれねぇけどな」

 ……ま た か。

「だからいい加減にしろつってんだろ。アイリも」

 和樹の甘ったれぶりがひどすぎて、すでに心が折れそう。


 相変わらずひとのことを咎めるくせに自分が言われたらすぐ怒り、相手から謝るまで自分は謝ろうとしない。アイリのいるこの場でわたしが言うのも微妙だけど、東高文化祭(2日目)のときに言ってた反省とはなんだったのか。

 さっき一度は気づいたのだから、いまのだって確信犯だろう。


「あと和樹、それを言うなら指な。両手じゃ2までしか数えられないから」

 国語力にも進歩なし。お姉ちゃんは作家だっていうのに。

「お前もほんと細けぇな」

「……物理で説教されたい?」


 減点の代わりに脅すと、和樹は少し怯えた顔で椅子を引いた。以前のビンタでも思い出したのかもしれない。思い出させたんだけど。

「わかった。わかったから」

 ちょっとぐらい休ませろ、と言って和樹は再び視線を外す。


 それはわたしも同様。隣でまだ言い足りなそうにしてるアイリを横目で牽制し、そうだね、としばしの休憩に同意した。

 このあとに備えるべく、今朝からの出来事を思い返しながら。




「まじで遅刻してくんだな、女って」

 吉祥寺駅の改札前、これが待ち合わせの時間に5分ほど遅れたわたしとアイリを出迎えた、和樹のひと言目だった。


「……減点2」

 わたしが重々しく告げれば、は?と和樹の口が半開きになった。

「は?じゃなくて。もう始まってんの」

 見事に開幕から躓いたな。悪い意味で期待を裏切らない奴だわ。


 そりゃわたしたちがめったに遅刻しないことなんて伝えてないし、こっちの指定した時間に遅れて現れたのだ。その旨を知らせるメールも送ってないので、愚痴のひとつぐらい言いたくなるのは仕方ない。

 でもなんつーか、想像力のなさに震える。試されるのはわかってたはずなのに。


「ね、いまわたしたち、ふたり同時に来たんだよ?」

 わざとだって思わなかったの?との種明かしに、和樹は舌打ちした。

「感想言っただけじゃねぇかよ。姉ちゃんは遅刻とかしねぇし」

 ……あのなぁ。それもほんとは減点2だからな?


「あれが文句のつもりじゃないことが問題なの、あんたは」

「いやそれ以前にお前ら、待たされるほうの気持ち考えたのか?」

 だからさ……いきなり厳しすぎてもついて来れないか、と思って見逃したのに。失点を挽回しようって気がないのかこいつ。


「減点4」

 わたしに代わってアイリが言った。その口調は早くも機械的なまでに冷たい。

「かりん、やっぱり時間の無駄じゃない。もうほっといてふたりで遊ぼうよ」

「そっちから呼び出しといて面白ぇこと言うなお前?」

「減点2。あなたがつまらないから言ってるんだよ」

「待て待てストップ、そこまでアイリ。和樹も黙って」

 つ、疲れる……ルールは昨日のうちに説明しといたんだけどな……。


 わたしは睨み合うふたりの間に割って入り、頑張って笑顔を作った。

「とりあえず、おはよ。いまのは挨拶代わりのチュートリアルってことで」

 やっぱり具体例がないとわからなかったようで、いったん解説タイム。


 これはある種のゲームというか、ワークショップみたいなものだ。

 というのも、わたしたちと和樹の間に利害の一致らしきものが見えたとはいえ、現状の和樹じゃ可哀想だけど論外。今日子さんにとって、どころか女子一般的に。女の扱い方を問う前に態度、マナーに言葉遣いといった、初歩的なひとへの接し方すらなってない。


 今日子さんが甘やかすのも、根は和樹のそういうところを心配してるんだろう。アプローチこそ違えど、たぶんわたしが昔の虎次郎兄ちゃんにしてたのと同じ。

 なので『頼りない弟』から『見所ある男子』へクラスチェンジさせるべく、実地での教育を提案したのが始まりだ。


 とはいえ前提として口説き落とす相手が存在する以上、まともな恋愛経験のないわたしだけでは不安も大きい。それで口止めの件、なかなか負い目を拭いきれないらしいアイリに協力を要請したというわけ。

 ぶっちゃけ負い目というなら、今日子さんとつるんでデートを邪魔した挙げ句、勘違いから激ギレして暴言まで吐いたわたしにこそある。なのに取引と言えば素直に応じてくれたのは、推理を聞かせたのが仲直りのあとだったせいかもしれない。


 ただ内容には初め難色を示された。無駄な気がするけど、と。

 気持ちはわからなくもない。わたしが和解したと聞いても、かつて自分の持った悪印象まで解消はされなかっただろうし。わたし自身あのときは非を認めたけど、人物評が上方修正されたわけじゃない。


 実際、話を持ちかけた(もちろんお兄ちゃんうんぬんは伏せつつ)ときも和樹は当たり前のように電話口でキレた。

「んなこと頼んでねぇよ!」と言いたいのはごもっともだから謝りもしたけれど、続く言葉が「つーかなんであの外人に喋ってんだよお前?」だったことには呆れてこんこんと説教した。

 それでも説教ついでに盛り込んだ和樹にとっての各種メリットは理解したのか、最終的にはなんとか承諾を貰うところにこぎ着けた。


 もういろいろ面倒ながら、このゲームもそのためにアイリと一緒に考えたのだ。

 ・不必要に汚い言葉、失礼な言葉を使わない。

 ・文句や反論の前に相手の思惑を想像する。

 補足・間違えたと思ったら謝る。


 ルールは基本これだけ。100点からの減点式をシステムに採用した、デート系SLGだ。言葉にしてしまうとかなり複雑な気分だけど、わたしたちを攻略対象としたリアルギャルゲーと言えなくもない。


 まぁ攻略ってより初回のこれは『嫌われないこと』が目標で、外見やスペック、キャラ的な掴みどうこうはあと回しのイージーモード。まずは自覚のないまま相手を不快にさせる体質を改善するのが、最優先の課題だからだ。

 そもそも現時点では、メインヒロインの今日子さんが男のどこを見てるのかさえわたしたちは知らない。過去にお兄ちゃんを振った事実がある以上、『光太郎』も大して参考にならないし。


 なおわたしはこれまでの経緯や、昔の虎次郎兄ちゃんに対する反省から「褒めて伸ばす路線のが良くね?」と主張したんだけど、「そんなの先輩がやってるよ」と見透かした意見につい納得してしまった。

 補足ルールはそのときの名残で、ミスを指摘されるよりも先に気づけば、減点を取り消した上に1点プラスするというもの。


 ちなみにさっきの減点理由は以下。

 1・遅刻に腹を立てるなとは言わないけど、5分や10分で嫌味言うな。せめて先に理由を訊け。あと『女ってこうだよな』は女の前では禁句。

 2・文句をつけたつもりがなくても、相手が不快感を示したら原則として謝れ。少なくとも反論する前にひと言フォローを挟め。あとお姉ちゃんと比べるな。

 3・反論する前に以下略。あと好感度上がってない相手にお前言うな。

 4・文句言う前に以下略。あとお前略。


 おまけ・ゲーム上指摘されてからじゃ無効だとはいえ、これだけ矢継ぎ早に減点されといてひと言も謝罪なしってどういうことなんだぜ?


「とまぁそんな感じ。和樹わかった?」

「……ああ」

 っていま言ったばっかでこれだもんな。次回からはそれも減点対象にするよ? 昨日話したときは「ルール知ってりゃぬるゲーだろ」とか言ってたくせに。


 ついでに、こっちにも釘刺しとくか。

「アイリは少し手加減して。いじめに来たわけじゃないんだから」

「……善処はする」

 目逸らすなし。あんた違う方向にやる気出してねぇか? ルール作成の段階からやたら減点項目増やそうとしたり、もともと少し怪しかったけど。


 互いにフォローどころか、よろしくも言わないふたりの姿に頭が痛い。

「はい、それじゃ改めて、ここから本編スタートね」

 ほんとに大丈夫かこいつら、との不安はその後、果たして的中したのだった。




 そして現在。

「じゃ、そろそろ始めよっか」

 ぬるくなってきたコーヒーの残りを飲み干し、わたしは切り出した。


 アイリが無言で頷き、和樹は重々しいため息をつく。

「……ああ」

 いや頼むよ。頑張れよ。

「しっかりして。ほら、今日は肩慣らしっていうか――」


 今回、デートプランと呼べるほどのものは用意してない。エスコートを望むのは無茶と承知してるので、わたしとアイリがぶらぶらするのに付き合わせただけ。

 お店の開き始める時間からゲーム開始、買い物したりお昼ご飯食べたりお茶飲んだりして、ひとまず夕方には終了。減点ポイントを軽くおさらいしたのち、晩ご飯前には解散、ぐらいの予定だった。


「――はずなんだけどさ」

 怒ってはいない。ただ残念な気分で、わたしは和樹を問い質した。

「ねぇ、どうしてこうなったんだと思う?」

 実はこのゲーム、もうひとつ補足のルールがある。


 ・もし途中で持ち点が0になったらそこで強制終了。罰として、和樹のおごりでどこか店に入って反省会。


 とはいえたかが半日足らず、1項目につき減点1のルールだ。何度か指摘されるうちに注意深くもなるだろうし、「もしそんなことになったらバカだよ?」と念を押してもおいた。

 にもかかわらずバカがやらかしたわけだ。繰り返すけどいまは昼食後。イージーどころか、和樹にとってはエクストリーム難易度だったらしい。


「……悪かったよ」

 ふむ。ようやく謝ったか。でもそれだけじゃ足りないんだよな。

「そっか。じゃ、どのあたりが悪かったのか思い出せる?」

「それは……だから、悪かったって。謝ってるだろ」


「逃げないで。自分で言葉に出来ないと、また同じことの繰り返しだよ?」

 ○西先生も『己が下手さを知りて一歩目』って言ってたしな。

「だから……」

 そこで和樹は言葉をためらうも、逆ギレの気配までは感じない。ここは待ちか、とわたしはお冷やに口をつける。


 まぁね、なにしろ100項目以上、わたしだってぜんぶは覚えてないけど。

 例えば。

 あなたはデートのつもりなんでしょ、まずは女の服装ぐらい褒めたら?とアイリが言えば、「おれに褒められて嬉しいのかよ」と返す。


 服飾店を巡って試着を繰り返せば「お前らモデルなのにいちいち着なきゃわかんねぇの?」だし、やっぱりさっきのほうが良かったね、と店を戻れば「ならさっき買えば良かっただろ」と揚げ足を取る。

 当然「女の買い物ってまじで長ぇんだな」も出たけど、見事なテンプレだね、とアイリから言われてふたりで笑ってしまった。


 冗談はさておき、なかでも最悪だったのはあれだ。

 わたしたちが試着室とフロアを往復して見せ合いっこしてるとき、姿が消えてると思ったら外でスマホをいじってる。急ぎの用事なの?と尋ねれば「(スマホゲーの)ゲリライベント」と悪びれずに答えてみせた。


 さすがにわたしも怒ったものの、「減点項目に入ってないことまで文句言うのかよ」と逆に責めてくる始末。それまでは忠告に従って控えめにしてたアイリもまじギレで、和樹の手から取り上げたスマホを地面に叩きつけようとするのをわたしが止めるはめになった。

 ……うん、思い出したら辛くなってきたな。


 意識をテーブルの向かいに戻すと、ちょうどその相手も面を上げた。

「……けどよ」

 目が合った和樹はそこで言葉を切り、わたしからアイリへ視線を移す。

「おれだけが悪いのか? この話」


「いやそれも」

 スルーしないつもりだけど、とフォローを入れるより早く、嘲るようにアイリが鼻で笑った。

「かりん、これは減点対象にしなくていいの?」


 さっきまでの逡巡が嘘のように、和樹もすかさず言い返す。

「だからお前のそういうところが悪いんだろうが!」

「減点2000」

「和樹、お願い」

「いまのはおれじゃねぇだろ!」


 先読みで抑えたんだって気づけよ……。この流れになったら、あとはもう反射で言い合いになるだけなんだから。

「わかってる。とりあえず落ち着いて?」

 不機嫌をこれ以上こじらせないよう、わたしは声優ワナビの本気を出して和樹をなだめた。今日子さんのナチュラル癒やし声ならもっと楽なんだろうな……。


 ってのはともかくとして、あんたは狙ってやってるよな。

「アイリも。いまはほんとやめて」

 こっちは少しだけ威嚇した。挑発はやっぱりわざとだったようで、片眉を僅かに上げて頷くアイリには反抗する様子もない。


「普段なら、あなたが先に怒ってそうなのにね」

 皮肉も、悪意の見えない笑顔だ。からかうよりは感心してるのかもしれない。

 そういやそうだな、と和樹も同意した。こいつ……。

 ただ、こんなぐだぐだをわたしが放り出さずにいられる理由は、実は今日子さん関連のことだけじゃなかったりする。


「ま、それで苦労してきたからね」

 かといって、アイリに気を遣ってるのとも別。誰にも言ってないけど、わたしにとってこれは代償行為でもあるのだ。


 というのもかつての野望――虎次郎兄ちゃんを立派な男子に育て上げることを、当の本人の努力で阻止されたことによる。それが地味に心残りで、昔のあれと似ただめ野郎が身近に現れた以上、お節介でもなんとかしたい気持ちがあった。

 もうひとつ、お兄ちゃんと今日子さんの仲を壊してしまった件の罪滅ぼしという面もある。もちろん今回もある意味では横槍なわけだし、筋違いは承知の上。


「とりあえず、ここはわたしの顔を立ててよ」

 本音を隠して苦笑いすると、ふたりはやや呆れつつも納得した表情に変わった。きっとまだ記憶に新しい、わたしの失態をそれぞれ思い出してるのだろう。

 アイリは天使の笑顔まで(わたしにだけ)くれて、少し安心した。

 あえてのミスリードで自分の恥も晒したところで、再び仕切り直し。減点ルールについては反省会が終わるまで保留ということになった。


「……つーかよ、高嶺は応援してくれるらしいけど」

 それでも場の緊張感が消え去ったわけじゃない。和樹のアイリへ向ける目には、憎しみすら込められたように思える。

「そっちの藤崎、お前はやる気ねぇよな」

 ずっと、これを言いたかったのだろう。


 あるいは和樹にしてみれば、ここまでのあれでも我慢してたつもりだったのかもしれない。なにしろわたしも言いたかったぐらいだ。

「そう見える?」

 アイリの言葉は軽くとも、返す視線は快いものにほど遠い。


 スマホゲーを分水嶺にアイリは評価基準を厳しく改め、それからはむしろ、和樹の持ち点を0にするのがクリア条件のゲームをプレイしてるみたいだった。

 あからさまな煽りも少なからずあって、その都度たしなめもした。和樹の自滅やお願いした立場もあるので、あまり強い言葉は使えなかったけれど。

 最初にも言った通り、今日は叩くことそのものが目的じゃないのに。


「そうとしか見えねぇんだよ」

 鬼の首でも取ったかのように和樹が語調を強めると、アイリは眼差しの冷たさをそのままに、口元を歪めて微笑んだ。

「ふぅん。そっか。わかるんだ」


「当たり前だろ。バカにすんのも大概にしろ」

 実際バカだしあんたの態度が大概だけどな。たまには味方しておかないとゲームそのものがご破算になってしまいそうだし、いまは言わせておく。


 にしても普通に肯定しやがったな、と思ってると、

「そう見える?」

 アイリはさっきと同じ言葉を繰り返した。

「は?」

 と和樹が口を開けて止まったのを見て、次の句を待たずに続ける。

「わたしがあなたをバカにしてるように見えるの?って訊いたの」

 いや見えるだろ……って、あれ。もしかして。


 はっとしてアイリに顔を向ければ、合図を返すように横目を細めてきた。

 ……なるほど。そういうことね。

「そう言ってんだろ。その態度でバカにしてなかったらなんなんだよ」

 案の定わからないらしく、和樹は眉間にしわを寄せる。いまのが『言わされた』ことにも、間違いなく気づいてない。わかってしまったわたしはひとまず様子見。


「ふぅん。そっか。わかるんだ」

「お前ふざけてんのか?」

「そう見える?」

 なんかこのやり口、お兄ちゃんとか今日子さんのあれっぽいな。まさかこういう路線であのふたりとやり合えるよう、こっそり研究でもしたのか。それともネコ耳メイド事件をまだ根に持ってるとか。


「なぁ、さっきからなにが言いてぇんだよ?」

「言った通りだよ。ふざけてるように見えるの?って訊いたの」

 一応、仲裁に入るタイミングは計ってる。アイリもこれをずっと言いたかった、というより言わせたかったのだ。


「ああ見えるよ、やる気ねぇしバカにしてるしふざけてるように見えるよ」

「ふぅん。そっか。わかるんだ」

「……おい、ほんといい加減にしとけよ?」

 もはや爆発寸前の和樹を前に、アイリはふぅ、と大きく息をつく。

「じゃ最後の質問。自分が、わたしからどう見えてるかわかる?」


 って話だよな。仕切り直しと言った端からこれはけっこうぎりぎりなんだけど、落とし込む先がここならやめさせることも出来ない。

「は?」

「いい加減にして欲しいのはこっちだよ。あなた今日なにしに来たの?」

 は?じゃねぇよ、とそれこそわたしがアイリの立場なら言いそうなところでも、口調はまだ落ち着いてる。おそらく和樹にはいやがらせのような謎かけでしかないこれは、れっきとした反省会の一部なのだ。


「お前こそなにしに来たんだよ? 困ってる相手いじめて楽しいか?」

 つってもこれが和樹クオリティなのは、わたしには織り込み済み。

 さて、平行線になるのは読めてたし、ぼちぼち引き継ぐか……


「楽しくないのはその腐った人間性でしょ? わたしは友達の手伝いに来ただけ。そもそもの初めから、あなたが今日子先輩の恋人になることなんてこれっぽっちも望んでない」

 と思ったらはいいいいいいい!?

 なにそれ!? 乗り気じゃないのはわかってたけど! 言うなよ!


「ちょっと待て! もうアイリのターンおしまい!」

 まさかこっちが先に爆発するとは!

 アイコンタクトはなんだったんだよ、と裏切られた気分でわたしの上げた声を、変わらないトーンでアイリは切って落とす。

「待たないよ。だから言ったじゃない、無駄だって」


 うわこれだめなやつじゃん。やっべ思い出した、キレたアイリって実はけっこう粘着質なんだった。遊び半分でやってた読モの子に外人得だよね言われて泣かせたときと同じテンションだわ。

 冷静を保ってると見えたのは演技か、それとも嵐の前の静けさだったか。くっそ堕天してるの見抜けなかった……。


「言っておくけど、朝の一番から邪魔しようと思ってたわけじゃないよ。そいつのことは嫌いでも、かりんが真剣なのは知ってたし」

 少し早口になってわたしにフォローを残し、アイリは和樹に向き直る。

「それに、だらしない弟がまともになったら先輩も助かるだろうから」


 今日子さんを引き合いにされたのがショックだったのか、和樹はお得意の逆ギレも出さず、顔を青くしてなにかぶつぶつと呟くのみ。

 アイリはそれを無視して「なのに」と挟み、ゲームの悲惨な出来事を列挙する。さっきわたしが思い出したことに留まらず、


 あなたもなにか服買ったら?と言えば「ファッションとかよく知らねぇし」

 おしゃれなほうが印象良くなるよ?と言えば「背が伸びたら考えてもいい」

 なら代わりに、と試しに見立ててあげれば「お前とは趣味が合わねぇな」

「挙げ句に外でスマホゲー? 練習とはいえデート相手がせっかく楽しんでるっていうのに、感想どころか見るつもりもないってどこにやる気があるのよ」

 とそこまでほとんど息もつかずに言い切った。お冷やをひと口飲むと、探しても返す言葉が見つからないように、ただ口をぱくぱくさせる和樹を尻目に再開する。


 カフェでお昼にしようと言えば「なんで飯食う店にまでオサレ感を求めんの?」「カフェ飯とか高いくせに量少ねぇじゃん」

 店に入ったら入ったで「いつまでメニューばっか見てんだよ」「そんなゆっくり食ってたら冷めて不味くなるんじゃねぇの?」

「しまいには『姉ちゃんなら”食べるの遅くてごめんね”って言ってくれるのにな』ってなに? 先輩と比べる以前に、女ってものがあなたを甘やかすために存在するとでも思ってるの?」


 うん……アイリはきっと、そういうの経験したことないんだろうな……。

 わたしはお兄ちゃんで慣れてるっていうか、懐かしくてある意味エンタメだなーとかわりと呑気に思ってたのだ。何度かそういうエピソードは話したといっても、現在の姿しか知らないアイリは昔のあいつを軽く考えてる面がある。


「わたしたちどころか女性そのものをバカにしてるよ、あなたは。先輩が甘いのは弟だからで、他人だったらきっと目もくれないし口だって利かない」

 いや、それはどうかな。もう複雑になるから言わないけど。


 和樹はもはや、唇を動かすこともやめて完全に沈黙。ライフがゼロってこういうことか、とわたしが諦めモードの感想を持つなか、だいたいね、とアイリはさらに追い打ちをかけた。

「あなたのそういう図々しさを理解させるためのゲームだったのに、機会を作ったかりんにも甘えた口答えばかりして。最初からあなたがふざけてるんだよ」

 ああそっか、さっきの天使の笑顔、そういう意味か……。


 厳しくはありながら、アイリはルールに則ってここまで参加してくれた。かたや主役の和樹はゲームの内容など聞いてなかったかのように振る舞い、朝からいくら言い聞かせてもろくな反省なしに撥ね返してくる。


 卑屈系男子ってやつが追い込まれると逆走するのは良く知ってたつもりだけど、持ち点残りひとケタになってからは、自分から積極的にゲームオーバーになろうとしてる節すらあった。窮鼠猫を噛んだのだとしても、目的を見失ってどうする。

 つまりアイリはさっきの『顔を立ててよ』を決め手に選んで、わたしの顔に泥を塗り続ける和樹を代わりに打ちのめすことにしたのだろう。


「アイリ、もういいよ。そろそろ許してあげて」

 これはわたしのミスだ。

 彼氏に求めるものという観点から、わたしひとりじゃ不安だったのは事実。ただ和樹の性格は知ってたわけで、ふたりでお出かけはあまり楽しくなさそうだな、と道連れを呼んだことも否定出来ない。


「とりあえず、今日のところは帰ってもらっていいかな。埋め合わせはする」

 見誤ってたのは和樹じゃなくてアイリ。あの曲のときだって、あれだけの侮辱を受けてなおわたしのために動いてくれたのだ。この場の和樹に対して、自分のこと以上に怒ったのは当然なのかもしれない。

「ごめんね」

 作り笑顔で言うわたしに、アイリは再び天使の笑顔を返してくれた。




 さて、と。

「泣いてる場合じゃないの。ほら、もう怖いひとはいないから」

 ここからはふたりの反省会。


「だってよ……」

 アイリが大人しく帰ると、和樹は唇を噛んで涙を流し始めた。素直じゃないのは折り紙つきといっそ褒めるべきか、差し出したハンカチも受け取ろうとしない。

「だってだって、ってそればっかりだね」


 まったくもう。ひねくれてるくせに、いざへこまされたら人前でも泣くなんて。そんなとこまで昔の虎次郎兄ちゃんみたい。

 なんか少しだけ、今日子さんの気持ちがわかってきちゃったな。

「でもさ、これが現実なんだよ」


「わかってんだよ、んなこと……」

 アイリの言いぶんはおおむね仰る通り、反論する気は起きなかった。

「……けどよ、ほんとに、ふざけてたわけじゃねぇんだよ」

 ただそれは、アイリの立場から見ての話だ。自分がその言われたように、和樹のおふざけに愚弄されたとは思ってない。


「うん。わかってる」

 落ち着いて考えられた背景には後ろ暗い理由があるし、アイリの持ってない経験がヒントになったことなので、これをわたしの成長とは言いづらいけど。


「おれはただ、普通に会話しようとしてるだけなんだよ」

 と言う和樹にもう一度、わかってる、と答えた。

「不器用だよね、和樹は」

「……また、姉ちゃんと同じこと言うんだな」

 ああ、うん、言いそう。


「まぁ共通の知人で、似たような奴がいるからね」

 ――かりんちゃんと事情は違っても――

 あのときの言葉にも、そういう含みがあったのかな。もしかしたら今日子さんのほうでも、わたしの気持ちがわかったとか思ってるのかも。

「おれ以外で?」

「和樹以外で」


 本人は言われたくないだろうけど、ほんとにそっくりだと思う。昔に限らず。

 いまの虎次郎兄ちゃんとは正反対に見えて、同じコインの裏表みたいなものだ。もちろん、あくまで性格の話として。


 優しくて気も利いてサービスは満点どころか過剰といっても、どれも相手の立場や感情を慮ってのことじゃない。もしそれが出来る奴だったら、そもそもわたしがこの場にいることもなかったのだ。

 行動のベクトルが真逆になっただけで、基本的にひとの気持ちがわかってない。ただ自分の思うことを言い、やりたいことをやるだけ。その意味ではあの頃のまま変わってない。


「……ふふ」

 お兄ちゃんと和樹は似てる。お兄ちゃんと今日子さんも似てる。でも今日子さんと和樹は、姉弟なのにちっとも似てない。そう考えるとちょっと面白い。

「なに笑ってんだよ」

「ごめん、思い出し笑い」

 和樹はつまらなそうに肩をすくめ、わたしはそれを見ていっそう楽しくなる。


「気になる?」

 といって自己完結するつもりはなくて、これがわたしにとって今日一番の反省。

「まぁな。だって姉ちゃんも知ってる奴なんだろ?」

 またお姉ちゃんか。やれやれ。

 ってもわたしだってひとのことは言えないし、これはしょうがないか。


「じゃ話すよ。たぶん、参考になると思うし」

 アイリのいるところでは本音を見破られそうで言えなかったけど、もしこの話を事前にしておけば、こんな結果にはならなかった気がする。

「でもその前に、なんかお代わり注文しよっか」

 と言ってわたしは片手を上げ、店のマスターを呼ぶ。お冷やはアイリのカップを片付けた際に替えが来たけど、騒がしくしたのが少し心苦しいのだ。


 頼んだ飲み物が届くまでの間、和樹に虎次郎兄ちゃんの昔話、それからこの夏に帰ってきた最強進化後のことをかいつまんで聞かせた。

「――って感じでね。びっくりでしょ」

「嘘だろ……?」

 こないだ初対面でひどい目に遭わされた相手の話と知って、初め和樹は不機嫌な顔をした。それが話の進むにつれて複雑に変化し、最後には目が丸くなった。


「ところが嘘じゃないの。なんならお姉ちゃんに訊いてみなよ」

 けどもしまた会うことがあっても、お兄ちゃんには秘密ね、と付け加える。あとアイリにもね、も忘れずに。

「お……おう。わかったけど、なんで姉ちゃんに?」

 今日子さんが話した可能性もちらっと考えたものの、どうやらまだらしい。なら不思議がるのも当然と、わたしはふたりが小学校の同級生だったことを説明した。


「冗談だろ……?」

「だから、ほんとだってば」

 そうは言っても、偶然体質を自認するわたしですら、これはやりすぎと思ってるぐらいだ。和樹がさっきの驚きを再現してしまうのも無理はない。


「東高文化祭のときの態度も、実はそんなわけ。昔の自分を知ってるひとの弟が、まさにその自分みたいで許せなかったんだってさ」

 おまけに(これは和樹に内緒ながら)知ってるひとが片想いの初恋相手なのだ。真相はまぁ、そういうことだろう。可哀想だからツッコんでないけど。


 つーかそのこと自体がみっともないのにね、とオチをつけてみせると、ようやく和樹も笑顔を出してくれた。

「なんだそりゃ。しょーもね」

「そうなの。しょうもないんだよ、あいつ」

 ふたりで笑ってるところに注文が届き、いったん言葉を止めて口をつける。


「……苦いな、やっぱ」

 カフェオレボウルをソーサーに戻して、和樹は言葉通りの表情を見せた。

「砂糖ふたつも入れたくせに」

「それでもだよ。お前よくひとつで足りるな。ミルクもちょっとしか入れねぇし」

「アイリはブラックだけどね」

 お兄ちゃんでもミルクは少し入れるのにな。そいや味覚は似てないのかな。甘いものも好きではあったけど、コーヒーは昔から砂糖なしで飲むんだよね。


 まさかあれもカッコつけの一環だったりして、なんて思いながらストローを口に含んでると、和樹がもの欲しそうな顔で尋ねてきた。

「……で、そっちは?」

 わたしは当たり前の顔で答える。

「甘いよ? もちろん」

「やっぱ交換しねぇ?」

「だめ」


 わたしが飲んでるのは、なにを隠そう和樹の頼んだクリームソーダ。もうTPOうんぬんを言う必要もないし、頼めば?とこっちから勧めたのだ。

 それが注文後に「カフェオレに挑戦したいから取り替えてくれ」と言われ、まぁいいか、と応じたのがこの状況。ブレンド2杯は重たいな、と気にしてのチョイスだったんだけど、和樹にもなにか思うところがあったらしい。


「もう遅いに決まってんじゃん。頑張れ」

 わかったよ、と飲む前から苦い顔で和樹はボウルを口に運び、いっそ苦しそうにふた口目を飲み下す。でもわたしだって最初はこんな感じだったはずだし、ここは笑う場面じゃない。


「……なぁ」

 何度目かのチャレンジのあと、ためらいがちに和樹がわたしを見た。

「なに? ギブアップ?」

「そうじゃなくてよ」

 それから視線を外し、小さな、けれど真剣な声で言う。

「また、今日みたいに会ってくれるか?」

 ……なんだ、思ったより早かったな。やれば出来るじゃん。


 わたしは心の胸をなで下ろし、それを待ってた、と笑顔で返す。

「そのつもりだよ。これで終わりじゃ、わたしも後味悪いもん」

 うん、やっぱこっちの路線で正解だな。


「次はわたしだけで来るから。ただ今日の復習はするように」

「……ああ。わかった」

 そうして深いため息をついたあと、ぎこちなく和樹も笑った。

「ありがとな」


「ふふ。ほら言えるじゃん。それだよ」

 笑顔のまま言ったわたしに、うるせえな、と和樹はまた憎まれ口を叩く。

 アイリ基準じゃ、この程度は進歩のうちに入るまい。だけどこれは初めの一歩。



 久しぶりに飲んだクリームソーダは、いまのわたしには甘すぎるけど。

 砂糖たっぷりのカフェオレですら苦いのが、いまの和樹なんだよね。

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