第2章 (2)
翌日、遅めの晩ご飯を食べながら昨日の話をした。
わたしの視点だけでなく、今日子さんから聞いた話も織り交ぜたので、やっぱり長くなってそのまま食後のお茶に引き継いだのは昨日と同じ。
さて、そんじゃ今度はお兄ちゃんの番、と思ったところが。
「頼むよ。そんなに拗ねないで」
「だってさぁ。フェアじゃなくね?」
その話は拍子抜けするほどあっさり終わってしまい、わたしは釈然としないままソファの上で行儀悪く膝を抱える。
「わたしも今日子さんも、事細かに話し合ったのにさ」
お茶のお代わりまで用意してリビングに移動したっていうのに、お兄ちゃんの話は自分語りというより、外観をまとめたダイジェストみたいな感じだったのだ。
そりゃこっちが勝手にしたことで、もともとお兄ちゃんには詳しく話す義務も責任もない。だからこれもわがままでしかないんだけど。
というわけで、現段階で新たにわかったことは少ない。
当時わたしが虎次郎兄ちゃんにどう思われてたか、についてはほぼ考えてた通りだったし、「あのあと村山さんとはケンカ別れの形になったよ」と言われたのも、当然というか予想通り。もちろんそこは平謝りしたぞ。
初耳と言えたのは、今日子さんが小学校卒業と同時に引っ越してた(これも偶然の相似か)ことぐらい。
でもこれはわたしが計算してなかっただけで、親の再婚を思えば特におかしなこともない。考え足らずの理由は、わたしと仲直りしたあとも――それこそ中学生になってからも、たまに今日子さんに未練がある様子を見せてたからだ。
「そう言われてもな。昔のことだから」
あまり思い出したくないことのほうが多いんだよ、と難しい顔で続き、わたしはそれ以上を訊きづらくなってしまう。こう言われてしまうと弱い、とはいえ。
「それにもう和解したんだろ? ならおれがごちゃごちゃ言う必要もないし」
「そうなんだけどさ……」
むしろいまこそ、ごちゃごちゃ言われたかったんだよ。
龍一兄ちゃんの件を抜きにしても、いやな目に遭うことが多かった虎次郎兄ちゃんなのだ。それ故に助けたいと思ったわたしが、逆に今日子さんとの関係にとどめを刺してしまったのはまさしく痛恨のミスだった。
責めて欲しかったとさえ思っても、それが贖罪どころか、ただの自己満足なのは理解してるから口には出来ない。
そんなこっちの気持ちはやっぱり通じないのか、お兄ちゃんはまるで3歳児の頃の思い出を話すみたいに優しい言葉で、もしくは淡々と片付けてしまった。
あーあ。実のお兄ちゃんなのに、義理のお姉ちゃんより高い壁があるよ。
「わかった。今日のところはいいから」
じゃあとこれだけ、とわたしはお願い口調で仕切り直す。
「昔の今日子さんてさ、どんなひとだった?」
思い込みが激しかったのは確かでも、それを誘発するような部分が今日子さんにあったことはいまも否定しきれない。だからあれがお兄ちゃんにどう見えてたのか気になる……ってのも理由の一部ではある、けど。
お兄ちゃんはポーカーフェイスで即答する。
「それこそおれが言う話じゃないだろ。本人に訊いて」
「客観的な意見が聞きたいの。……好きだったんでしょ?」
一番の理由は、我ながら単純で情けない。あの頃お兄ちゃんが、今日子さん……というより村山先輩の、どこを好きだったのか知りたいのだ。
「もう許して、昔の話だってば」
ぶー。苦笑いで繰り返されて、わたしはまたむくれる。
そろそろしつこいかなと思うし、付き合ってるわけでもないのに、なんだか彼氏に元カノの話させてるみたいな感じもする。
友達の恋バナ聞かされてるときは、過去の女なんてどうでもいいじゃんとか思ってたけど。いざ自分がこの立場になってみると、知りたい気持ちは簡単に抑えられないものだった。
いま抱えてる想いは褒められたものじゃないにしても、なにも知らずに偉そうなことばかり言ってたんだな、と少し恥ずかしくなる。
ほんと変わった、っていずみの言う通りだ……あ、いずみ。
そうだった。忘れちゃう前に、こっちの話もしなきゃだった。
「ちぇ。じゃあいいよ。なら話変えるよ……あのさ――」
今朝、登校した直後のこと。
「ふふーん。はなちゃん、最近どう? お兄さんと」
おはようも言う前に、いずみが不穏な笑顔で話しかけてきた。
「どうって普通だよ。普通」
なんだ久々に。そっちこそ最近そのネタで攻めてこないと思ってたのに。
「ふーん。普通なんだ。仲良いみたいじゃん。相変わらず」
「相変わらずって?」
みたい、って言われてもな。最近ふたりで出かけた覚えもないし、いじられるような話には特に思い当たるところがない。
あえて言うなら昨日の帰りか。でもそんぐらいでいまさらなんか言われるかね。
「これ見てない?」
「これがどうか……」
差し出されたスマホを受け取る。別にいいけど、写メでも撮られてたのかな。
と目を向けた画面は思った通り、わたしとお兄ちゃんのツーショット。ただその場面は予期してなかったもので、わたしは目を見開いてしまう。
「……は?」
ミタ中の文化祭で歌ったときの、ステージ写真だった。
「あ、見てないんだ。LIMEでも回ってきてなさそうだしね」
「いや待て、なにこれ」
まじでなにこれ。確かにあのときステージにスマホ向けてるひとたちもいたし、写メの存在自体はあっても別におかしくない。
でもうちの生徒があの場にいたなら、きっと週明けには話題になるだろうと思ってたのだ。それがもう1週間近く経ったし、誰からも言われることなくて安心してたのに。なにこの変なタイムラグ。
「こっちのセリフだよ。自分で歌うつもりないとか言って、お兄さんとふたりならちゃっかり歌ってるんだね」
それか。いやねぇよいまでも。基本的には。原則として。
でもあれは特別、だった理由は言えないしな。
「いやいいから答えろし。どこから回ってきたこんなの」
「ツイッタ。動画もあるよ」
そいやあったなそんなツールも。あれは知らないひと相手でも簡単につながれるみたいだし、そこにミタ中生がいてもおかしくないのかもしれない。反面、タイムラインの情報量も膨大だっていうから、気づくまで時間差があったんだろうか。
いずれにしてもわたしは使ってないので、これは盲点だった。
しかし動画だと? と動揺しながらもスマホにイヤフォンを挿し、リンクURLから開いた動画を再生する。ほぼそれと同時に、わたしは軽く頭を抱えた。
「うわ……誰だよこんなの撮った奴……」
つーかネットに上げんな。
肖像権うんぬん以前に質の問題だ。道具かそれとも環境のせいか、声もピアノも音が割れてまともに聞けたもんじゃない。これじゃ曲はぜんぜん伝わるまい。
ただマイクに向かって朗々と歌い上げるわたしの姿はばっちり映ってて、アイリを牽制するためだった本気モードの格好はステージ衣装に見えなくもない。
お兄ちゃんにしても本来はデートだったわけだからしっかりおしゃれしてるし、まるで最初からこのために、ふたりで用意してきたかのようだった。
「やるねーはなちゃん。この感極まった表情とか超プロっぽいよ?」
そうだろうよやり切った感あったもん。でもあのときはとにかく必死だったし、自分がどう見えてるかなんて考える余裕がなかった。やばい。辛い。
そこに「ふたりでなに見てんの?」と声をかけてくるクラスメイトがいたので、近づかれる前に動画を停止してスマホを返す。
「とりあえず拡散しないで。お願い」
これは罰ゲームみたいなもんだから、と言ってその場は済んだ。
いずみは自分が面白ければそれでいいタイプだ。なので口止めしたことをあえて広めたりはしないんだけど。
残念ながら、それで話は終わらなかった。
というよりいずみの名前は用件を思い出すきっかけになっただけで、どちらかと言えば余談。ここからがお兄ちゃんに伝えるべき本題だ。
今日晩ご飯が遅くなったのは、放課後に撮影があったことがひとつ。それからもうひとつ、仕事を終えて帰ろうとしたところを、マネージャーの嶋さんに呼び止められたからだ。
「移籍?」
なんでも、わたしをスカウトしたい事務所があるらしい。
「そう。悪い話じゃないと思うよ」
と言って嶋さんは、わたしでも知ってる大手芸能プロの名前を出した。
心が揺れなかったと言ったら嘘になる。有名な声優さんも数多く所属してるその事務所は、わたしに大きなチャンスを与えてくれるかもしれない。
けどその契約内容には困った。
「『兄妹でこのルックス、ふたりとも歌える上に、妹は人気モデルで兄は実績あるボカロP。ほんとに兄妹じゃなきゃ、こんなの設定にしても作りすぎだ』だって。正直わたしもそう思うよ、カッコいいねお兄さん」
嶋さんは笑顔で話すけど、こっちは複雑。
なぜならこれ、わたしとお兄ちゃんを兄妹ユニットとして売るという話なのだ。
「そう言われましても。歌える、って言えるのはお兄ちゃんだけですから」
わたしのは所詮カラオケの域を出ない。なおカッコいいはスルーな。
どこをどう巡ってきたのか、例の動画を先方が見つけたらしい。曲が始まる前のミニトークから撮影されてたので、喋った言葉の内容を頼りにわたしたちのことを調べたそうだ。
当然もう嶋さんも知ってて、朝に続いて同じものを見ることになった。
興味を持ってもらえたのはありがたい。けど朝も思ったように、あの動画で歌の実力なんてわかるはずがない。
なのに先方が求めるのは、あくまでわたしがメインボーカルの形だという。
「現代のカーペンターズになれる、って向こうは言ってるわよ」
「わたしにカレンが務まるわけないじゃないですか。恐れ多いです」
それこそ歌が一番大事でしょうに、と呆れながら答えれば、あら知ってたんだ、と嶋さんは珍しいものを見るように笑った。
「大丈夫よ、名前が似てるわ。それに」
そこは自分でも思いましたけど、と言う前に、誇らしげに付け加えられる。
「足りないぶんは、ヴィジュアルで補えるから」
……はぁ。やっぱり。そうだと思った。
往年のファンが聞いたら怒りそうな言葉はともかくとして、きっとこの話、ふたを開けたらミュージシャンというよりアイドルに近い扱いなんだろう。
普通に考えたら男女2人ユニットのアイドルなんてファンが付かなそうだけど、実の兄妹をアピールするのならそれも障害になるまい。
でもわたし個人的には困るのだ。
ため息をどう見たのか、嶋さんはなおもわたしを勇気づけようとする。
「現場は見てないけど、堂々としてたじゃない。ステージ映えは大事だよ?」
「頑張ったんです。やるからには恥ずかしがってる場合じゃないですから」
お兄ちゃんこそ堂々としてたけどな。ロスでどんな場数踏んできたんだか。
「頑固だなぁ、かりんちゃんは」
そう見えるのは、まだ嶋さんにわたしの夢を教えてないからです。その励ましがこの場合は的外れだからです。
「なんとでも言ってください。少なくともいまは、わたしにその気はないです」
遠回りするようでも、ここは譲れない。
「――どうする?」
返事は待つからよく考えてみて、と言われて嶋さんの話はそこで保留。
ただ断りたいからといって、お兄ちゃんに黙ってるわけにはいかない。ボカロPをやってる理由は不明ながら、プロになるつもりがあるなら応援したい。
「ひとりでもやりたいって言うなら、顔合わせはセッティングするよ?」
「いや別に。金のためにやってるわけじゃないし」
……うん、まぁ知ってた。聞いてないけど前より貯金増えてるかもしれないし。
「基本的にプライベートな動機で曲作るから、おれは」
そう言って、お兄ちゃんは笑いを隠すふりをした。
「うるさいな。あれはお兄ちゃんのせいもあるでしょ」
もちろんいまのは『Flower of Fortune』の一件だろう。遡ればあのときステージに立ったのもそのせいだから、思いつきでからかったに違いない。
「そうだな。悪かった」
それも和解したことだし、わたしもごちゃごちゃ言わないけど。
にしても今回、お兄ちゃんについてはちょっともったいないと思う。
プロの作曲家やボーカリストが、自分の曲のボカロカヴァーとか歌ってみた動画を作って、そこにオリジナルのURLを貼ってたりするのはあまり好きじゃない。
でも歌い手からの職業歌手や、ボカロPから職業作曲家への転身はありだと思うんだよね。だってもともとの動機が違うじゃん。
なのにあっさり拒否って、ワナビですらないとかどんだけ余裕なんだよ。
そんな思いが表情に出てしまったんだろうか、ふと気づけばお兄ちゃんがなにか言いたげな視線をわたしに向けてる。
「なに? やっぱり興味あんの?」
「じゃなくて。かりんとならやっても良かったかな、って」
「……やらないから」
アホか。ヴァーチャルアイドルの声のひとになることが目標なのに、自分が生身のアイドル(言語矛盾のようだけど)になってどうする。
「だって妹がアイドルとか自慢だろ」
「その場合あんたもアイドルだよ?」
すっかり決めつけて話してるみたいだけど、ほんとにミュージシャンとしてのスカウトならお兄ちゃんのソロにすればいい。実力だけでなく、好きで音楽やりたいひとがやるべきだ、と嶋さんにも言ってある。
反論したつもりが、お兄ちゃんは不思議そうに眉をしかめる。
「あれ、おれじゃだめなの? 兄貴には○ャニーズ入り勧めてたのに」
くっそ……覚えてやがったか……。
「昔の話でしょ、そんなの」
あの頃は心がいまよりも幼かったし、お兄ちゃんがテレビとか出たらすごいな、自慢だな、と単純に思ってたのだ。けどこの歳にもなれば、そろそろ気恥ずかしさのほうが先に立つ。
つーかあんたとはキャラが違うんだよ。龍一兄ちゃんは明るくて活発だったし、身体動かすのも好きでいかにも王道男子アイドルみたいな雰囲気があった。
虎次郎兄ちゃんってどうも、そういうのじゃないんだよな。ガチミュージシャン兼イケメン俳優みたいのなら歓迎出来るんだけど。
「ところで」
なんて余計なもの思いに耽ってるうちに、お兄ちゃんは真面目な顔になってた。
「おれはともかく、かりんはほんとにそれでいいの?」
言いたいことはわかるので、わたしも真剣に切り替えて答える。
「いいの。そのやり方は筋が違うから」
目指すのは歌手じゃなくて声優、そしてゆくゆくはボーカロイドなのだから。
まぁね、もしミュージシャンとして有名になれたら、それを売り文句にわたしの声を使ったボーカロイドを商品化、というシナリオもなくはない。実際にそういうケースもある。
目標までの最短距離にこだわるなら、この話に乗らない手はない。
でもそれじゃ、わたしにとっては順番が逆になってしまう。ボカロ好きが高じて自分の声を歌わせて欲しくなったのに、そのためにプロのアイドルになって歌え、というのではいろんな意味で本末転倒だ。
声優だってアイドルみたいな活動するじゃん、というツッコミは承知してるし、モデルからの転身をわたしが狙ってるのもそこを有利に運ぶためだ。
けれど歌手がタイアップ目的で声を提供するのと、声優が本業で声の仕事をするのとでは、その夢を叶えたときの純度が違う。
傍から見ればどちらでも一緒で、子供っぽい潔癖さなのかもしれない。それでもわたしには大事なことで、だからこの話、断る以外に選択肢がないのだ。
という話をすると、お兄ちゃんは満足そうに笑った。
「そっか。じゃなおさらこの話、おれも受けちゃだめだよな」
「え? なんで?」
こいつなに言ってんの?と訝しんだのは一瞬。
向けられた笑顔のニュアンスが、見慣れた癖のあるものに変わる。
「言っただろ? やりたいことならおれにだってあるよ」
……あ。
――おかげでおれにも、夢が出来ちゃったな。
なんだよ。そういうことかよ。
どうやらさっきの自慢どうこうも、ただの遊びだったようだ。わたしの考えてたことなんてお見通しで、潔癖なのはお兄ちゃんも一緒らしい。
わたしも笑顔を返しながら、そうだね、と素直に言ってあげない。
「……ばーか」
まったくもう。こいつほんとバカ。
自分の部屋に帰って、嶋さんにメールを送った。
わたしだけでなくお兄ちゃんも断る旨を伝えると、すぐに返信が来た。
〈その件は改めて直接話しましょう〉と食い下がられても、折れるつもりはない。どうしてもと言うならお兄ちゃんを呼んで、逆に嶋さんを説得してもらうことまで視野に入れてる。
というわけで、わたしのなかでこの話はもうおしまい。
ひとまずお風呂に入り、ほっ、とひと息。日課のストレッチを終えたあと、気を取り直してスマホのアプリを立ち上げる。
今日わたしの大事な用件は、実はもうひとつ残ってたりする。
「もしもしアイリ? ごめんね遅くなって」
通話アイコンをタップすると、相手はすぐに出た。お風呂にまで入っといて遅くなったとはご挨拶でも、聞けばアイリも上がったばかりだというので気にしない。
それからお兄ちゃんに訊いた内容を思い出す。
「……うん、なんかダイジェストみたいで悪いけど――」
話を聞いたら教える、と昨日のうちに約束してたのだ。光太郎の元ネタの件で取り乱した姿からわかる通り、今日子さんが虎次郎兄ちゃんの幼馴染み(なのか?)だったことにアイリはかなりショックを受けてるらしい。
『――初恋のひとに偶然再会した、ってことなんだね。あのとき』
「そうなんだよね」
なぜか、とは思わない。以前から言ってたように、アイリはお兄ちゃんを巡る勝負においてわたしよりも今日子さんを警戒してる。
『しかもよりによって、それを台無しにした妹が同席してたわけだ』
「そういうこと。そりゃ固まるよね、いくらあのお兄ちゃんだって」
わからないわけじゃなくて、いまはわたしにも少し焦る気持ちがある。
今日子さんにはもともとその気がなく、お兄ちゃんも終わったことだと言ってるとはいえ、昔ぜんぜん冴えなかったクラスメイトがお互い美男美女に成長して編入先の高校で隣の席とかいつの時代の少女マンガだよバカじゃねぇの?と思う。
もちろんわたしはあのふたりを信用してるし、アイリも同様だろう。
今日子さんだってわたしを信用してくれると言ったのだから、いくら腹黒でも裏でこそこそやって実はもう付き合ってます、なんてことは起こるまい。
であればこそ、今後もしも参戦するとしたら、それは絶対の勝算があるときだ。そうなってからいくら慌てたところで、確実に手遅れとなる。
なのでいまのうちに話をひと通り総合して、ふたりの関係についてわたしたちで考察しようという流れになったところ。お兄ちゃんの話がざっくりすぎて、新しい情報があまりなかったせいもあるんだけど。
『虎次郎さんもひとの子、か』
「わかっちゃえば当然なんだけどね」
それ前に自分で説教してたくせに、とわたしはこっそり笑う。
なおわたしたちがいまフォーカスしてるのは夏休み、ふたりが再会したカフェの出来事だ。
にしてもあれ、まじでよく気づいたよな。わたしなんて実の兄が相手ですら誰かわかるまで時間かかったのに、自分と同じように変身した『村山さん』をあっさり見抜いたんだから。
それとも同じだからなのかな。そいや今日子さんも、お兄ちゃんが名乗る前から気づいてたような。まぁそっちは、わたしの存在がヒントだったのかもしれない。
みたいなことを言うと、アイリは口ごもった。
「……どした? 急に大人しくなって」
『あ、うん……先輩のことなんだけど、実を言うと』
なんちゃって。このタイミングでその態度になる理由は、わたしこそ実は見当がついてる。どころかいつこれをツッコんでやろうかと思ってたぐらいだ。
「口止めされてたんでしょ?」
『え?』
ふふーん。そんなの読めてたっつーの。
唯さんの話で、今日子さんが以前からわたしを知ってたことに気づいた。本人にそこを追及してみれば、アイリを経由して『高嶺くんの妹』が読モの『かりん』になってることを知ったのだとわかった。
ならあのカフェのとき、今日子さんがわたしを知ってることをアイリも知ってたことになる。にもかかわらずひと言も触れなかったのは不自然だ。
そこに今日子さんの性格を重ね合わせれば、これは当然の結論。
かつての関係を思うと、今日子さんについてアイリがわたしに話すことを避けたがったのも無理はない。加えてあの周到さだ、偶然の再会に備えたとしても驚くに値しない……いや嘘、考えついたときは驚いたけど。
わかってたよ、とわたしは推理を披露する。
『……もう。どうして早く言ってくれないの』
「あんたが意地悪するからじゃん。親友にそんな大事なこと黙ってて」
そう言って笑うと、電話越しに大きなため息が聞こえた。
『……ごめんね、かりん』
「へへ。うっそ。冗談だって。そんなへこむなし」
ぶっちゃけ意趣返しもなくはないけど、これは信用度の問題だ。
昨日明らかになった通り、わたしと今日子さんはお互いに好意はあっても信頼がなかった。またアイリのことは信じてたつもりでも、今日子さんに逆らえない関係なのは見ればわかる。
それに、つい最近もやらかしたばかりなのだ。「わたしと今日子さんのどっちを取るの?」なんてみっともないことは言いたくない。
「むしろとばっちりじゃん、アイリは」
『でも……』
「いいから。気にしてないよ」
今日子さんは次に会ったらこの件をネタにいじめるとして、アイリに対して含むものはもうほんとにない。自分から言う気になってくれて嬉しいとさえ思う。
「それよりさ、いまはあのときのことを整理でしょ」
『……そうだね』
それじゃ言うよ、と続けられたアイリの内緒話を加え、ふたりで事実を重ねる。
お兄ちゃんと今日子さんは、相手の正体に気づいてた。
わたしがいたから、お互いにそれを隠したことまで含めて。
アイリは今日子さんが、わたしに対してなにか思うところがあるのを知ってた。
そしてそのことを、わたしには言えなかった。
わたしはなにも気づいてなかった。
ただその状況を招いたのは、昔のわたし自身だった。
「なんか、自分が犯人の事件を自分で解決しようとしてるみたいな気分」
『頑張って、名探偵さん』
「それは役者が不足だよ」
わたしに「謎はすべて解けた!」とは言える気がしない。そもそも知恵比べで、今日子さん――あるいはお兄ちゃんもか――に勝てるとも思ってない。
「アイリ、代わりにどう?」
『無理に決まってるじゃない、そんなの』
わたしよりは向いてそうだけど。それでもホームズを気取ったところで、ドイルじゃなくてルブランに出てくるほうみたいに出し抜かれるのがオチだろう。
なら今日子さんが正面からわたしに挑むのをやめたように、わたしたちはわたしたちなりの戦いをしなきゃいけない。
といっても、どうやって?
「あのさ、アイリ」
もし今日子さんがその気になったら、と仮定した場合、こっちは極めて不利だ。条件をいちいち挙げるまでもない。
『なに?』
「わたしたちが今日子さんに勝てる部分って、なんかあるっけ」
『……顔?』
それアドバンテージになんねぇから。
「真面目に」
いやアイリだったら胸もか。もちろんそっちも却下な。
『そんなこと言われても。先輩に弱点なんてないよ』
こいつ断言しやがった……。
まぁわたしはひとつ知ってるけど、エロゲで脅すというのはさすがに……
……いや、待てよ……?
「……あったわ。今日子さんの弱味」
『嘘。中学時代だって誰も見つけられなかったのに』
そうなのかふふふ。さすがですお姉様。
でもわたしだって、伊達に虎次郎兄ちゃんに鍛えられてないぜ。
「とりあえず聞けって。アイリにも協力して欲しいんだけどさ――」
いまだ落ち込んでる様子を残すアイリに、わたしは取引を持ちかけた。




