第3章 (1)
東高の文化祭から1週間が経った。
まだ残暑は続いてるとはいえ、夕方を回れば少しずつ涼しくなっていくのを感じ取れるし、日中の温度差も日に日に大きくなってるようだ。秋が近い。
お兄ちゃんはクラスメイトにきちんとお詫びを入れ、いきなりのぼっち展開を避けることに成功したらしい。聞いたところでは、女子に全員分のジャン=ポール・エヴァン詰め合わせを用意したというのだから恐れ入る。なお男子にはこつこつ拾い集めてたわたしの画像詰め合わせをプリントアウトして配ったというのでそれは殴った。
流れてたわたしの悪い噂も、唯さんを中心にメディア部のひとたちが訂正に奔走してくれたおかげで下火に向かってるという。明日の月曜は撮影があるのでこれは助かる。「わたしたちにとっても、かりんちゃんの評判が悪くなっちゃ困るしね」と唯さんは言ってくれたけれど、実は自分が原因とわかってしまった以上、申し訳ないと素直に思う。
残る問題はそのメディア部に合流を果たした、今日子さんとの関係だ。
あれから今日子さんには会ってない。文化祭の日も戻ってくるのを待たず、和樹とメアドを交換してわたしはすぐに帰った。混乱した頭を整理する前に話したら、きっと余計なことまで言ってしまうに違いないと思ったからだ。
『お前らも』の意味するところは自明ながら、のちメールで確認もした。
あのふたりの両親は3年前に再婚した関係で、和樹は父親の、今日子さんは母親のそれぞれ連れ子だという。似てなくて当然だ。シスコン指摘されてもあっさり開き直ったのは、義理の姉弟なら法的な問題はないからだろう。まぁ問題はほかに山積みな気がするけど。
今日子さんとも連絡を取らなかったわけじゃない。あの日わたしが帰ったあと、向こうから結果を検めるメッセが来た。もっとも不安要素の多い話題には触れず、単に弟との和解に成功したことを伝えただけだ。
「――てなわけでさ。アイリ知ってた?」
今日は仕事の撮影があったのだけど、明日の顔合わせが気になってどうにも集中出来ず、マネージャーさんからちょっと怒られたりもした。
「ふぅん。それでか」
アイリにもプロ意識の欠如を責められたものの、心配もしてくれたようで、帰りがけお茶に誘われたのを幸いにあの日聞いたこと(の一部)を話したのだ。
「知ってたよ。わたしには関係ないから言う必要もないと思ってたけど、かりんの場合は気になっちゃうのもしょうがないか。羨ましいんだ」
「うるさいな。自分は他人事だからって」
ほんとに気になるのは別のことなんだけど、それもまた事実。今日子さんの弟ってだけで羨ましいのに、あんな甘やかされてしかも義理とかずるすぎるだろ。
「……でも、『和樹』ねぇ。呼び捨てにするほど仲良くなったんだ」
「それこそしょうがないじゃん、こっちから折れたんだし」
わたしからすれば緊急避難的な措置だったとはいえ、メアドまで交換したのだ。その文面で『いい加減、弟くんはやめろ』と言われたら直さざるを得ない。
「それに仲良くなったわけじゃないよ。こっちは名前で呼ばせてないし」
以前のやり取りを覚えてたのか、向こうは名字で呼ぶようになった。
どっちにしろわたしには考えられないけどね、とこぼしてから、アイリは意地の悪い微笑を見せてくる。
「いっそお互い相談でもすれば? せっかく同じ悩み抱えてるんだし」
「言えるわけねぇだろ、つーか同じじゃねえし!」
こっちは実の兄妹だから悩んでるんだよ。わかってるくせに。
「なら付き合っちゃうとか。オタどうし気が合うんじゃない?」
「その論理ならアイリとお兄ちゃんは気が合わないから無理だね。ご愁傷様」
仮定があり得なさすぎて腹も立たなかったので、こっちも軽口で返した。
「もう。冗談に決まってるじゃない」
すると今度は拗ね顔になり、しょんぼりした声で言われた。つい笑ってしまったわたしを、アイリは悔しそうに睨む。案外気にしてるらしい。
それからため息をついて表情を戻す。
「……でも、そっか。まんまとこじらせちゃってたか」
「昔は違ったの?」
その言い方だと、前に会ったときはそうでもなさそうだったってことだよね。
「お姉ちゃんが気になってる雰囲気はあったけどね。2年前はまだ、特別仲良いって感じでもなかったから。先輩も距離感に悩んでるって言ってたし」
「それがいまや、同じエ……ゲームやって情報交換とかしてんだからね。ところでガチオタも知ってたわけ?」
エロゲについては喋ってない。あるいは知ってるかもわからないけど、知らないならこれは知らないに越したことないだろう。広めたくもないし。
「まぁね。ギャルゲーっていうんだっけ? いろんな女の子が出てきて、会話の選択肢とかで口説き落とすゲーム。あれが何本も部屋の床に積んであったよ」
そこは乙女ゲーじゃねぇのか。自分こそメインヒロインみたいなキャラのくせに美少女萌えだったのか。意外ではあってもエロゲと比べたらマシか、じゃなくてエロゲーマーなんだからそれでいいのか。いかんまだ混乱してる。
「あんたそこは影響とか受けないんだ」
「一応、試してみたことはあるけど。やっぱりわたしには理解出来なかったよ。男に都合良すぎるヒロインのキャラ造形やストーリーもだけど、まず髪の色が青だのピンクだのっていう時点で笑っちゃうもん。変な語尾とかもあり得ないし」
なんだあるんじゃん。でも真顔で言ってるあたり、エロいやつは見てないっぽいな。当時は今日子さんがそこまで踏み込んでなかったのかもしれないけど。
それはそれとして、いまのは聞き捨てならん。
「あれは記号だから。気にしなくていいんだって。そこ全部きちんと人間的に描き分けようとしたら、画像データ量もテキスト量も膨大すぎるんじゃん?」
ゲームとして冗長にもなりそうだし。ああいうのは何度もプレイするのが基本だから、ヒロインの数にもよるけど、1周が重すぎたりキャラ紹介の段階で説明が延々続いたらすぐに飽きちゃいそうだし。
「そんなこと言われてもね。リアリティ0の記号に感情移入なんて無理だよ」
うん、わたしにもそう思ってた時期がありました。でも違うんだよアイリ。
「いやそこには歴史が培った文脈というものがあってさ、オタ文化全体の集合知っていうか、メタレベルで共有された情報を引用して補うのが前提で」
ハイコンテクストって言うんだっけか。あまりにそればかりなのはわたしも好きじゃないんだけど。
「だからそういうのはどうでもいいんだってば。布教はNGって言ったでしょ」
つい解説に熱が入ってきたところ、あっさり冷や水かけられてしまった。ちぇ。これは布教じゃなくて基礎教養の問題なのに。
「……まぁ、そういうのが理解出来る相手ってのも大きいんじゃない?」
なのでこれは、さっきの軽口に引っかけた皮肉。
アイリがどう返してくるかと思ったら、意外にもあっさり肯定してきた。
「そうかもね。でも……ちょっと、責任も感じちゃうな」
「なんの責任があんの。あんたオタ関係ないじゃん」
不思議に思うわたしに、アイリはなぜか自慢げな顔を向けた。
「そうじゃなくて。今日子伝説その1なんだけど」
「おお!?」
ここでそれか!とわたしが前のめりで食いつくと、やや呆れ顔になりながらも、嬉しそうにアイリはネタばらしを始めた。
「先輩、もとからあんな綺麗だったわけじゃないんだよ。素材の良さだってわたしもしばらく気づかなかったし、着飾ることに興味……はあったみたいでも、磨こうとしてなくて」
「へぇ……そうだったんだ」
「それでわたしが触りの部分っていうか、基本的なことを教えたの。流行よりまず自分に似合うスタイルを見つけることや、組み合わせやメイクの初歩とか」
それ昔わたしも言われたな。もともとおしゃれは好きだから後者はそれなりに知ってても、「ファッションは自己表現なんだから、自分の生き方や価値観にふさわしい格好しないと服に着られちゃうだけなんだよ」ってのは目から鱗だった。
「そしたら先輩、一を聞いて十を知るみたいなひとだから、基本どころかすぐ応用まで出来るようになって」
勉強してみてわかったのは、流行りのスタイルなんてものは実は存在しなくて、ただ時代に合わせたアレンジがあるに過ぎないということだ。つまり新しいファッションが生まれたのであれば、それはふさわしい格好を伴って新しい価値観が生まれたことを意味する。
「うん」
だから例えばギャルなら、あれは見た目がギャルだからギャルなんじゃなくて、ギャルという生き方がそれに適した格好を選んでるってことなのだ。わかりづらいかな。まぁいいや。
アイリは自分がプロデュースした先輩自慢を続ける。
「蛹が蝶になるように、って喩えはこれのことだと思ったよ。人間的に一目置かれてはいても女としては見られてなかったのが、ふた月と経たずにミスコンで2年代表になったんだから。あれはわたしのほうがびっくりした」
「ああ……責任って、そういうことか」
思春期にいきなり出来たお姉ちゃんが、これまたいきなりすげぇ美人になっちゃったのだ。そりゃ一番近くで見てる義理の弟としては参っちゃうよな。しかし中学からミスコンあるとかミタ中怖ぇ。
「それでバレンタインには逆チョコ30個以上貰ったっていうからね。これが伝説その2」
まじか……。わたしでも小学校からの通算で義理含め27個なのに。女子(主に後輩)込みでいいなら93個だけど。去年やばかったな……。
「そっか。でも、もとから評価されてるひとではあったんだ」
そこは虎次郎兄ちゃんとは違うな。あいつ昔はほんとひどかったからな。小4のときとか、女子どうしで交換したチョコの包み紙を「わたしたちの気持ち」つって机のなかに捨てられたらしくて、次の年から2月14日は必ず学校休んでたし。
「まぁね。……そこは口止めされてるから言えないけど」
なにをいまさら。いきなり貝になるなよ。
「いいじゃん別に、もう言っちゃったんだし。その3はよ」
「だめ。どうしてもっていうなら本人に訊いて」
促してもアイリは頑なに拒否する。ここまで来て結局それかよ。
「じゃいいよ明日訊くから。……あ、昔の写メとかないの? 今日子さんの」
「あるけど無理。たぶん、持ってるって知られただけで消去させられるから」
怖いもの見たさで訊いてみるも、やっぱりだめだった。これはお兄ちゃんと一緒か。親のアルバムから自分の写真を抜き取って捨てたぐらいなのだ。家族と写ってるやつはさすがに残してたけど、昔の姿は完全に黒歴史扱いらしい。
しっかしなにが相似って、あのふたりが冗談抜きで似てるよな。
「そっか。こないだお兄ちゃんも言ってたけど、あのひとってめちゃくちゃ努力家なんだね。素材だけでああはならんでしょ」
あまり言いたくならないので黙ってるけど、虎次郎兄ちゃんにまつわるもろもろについて、一番尊敬してるのがこれだったりする。得意なことで結果を出すより、苦手なこと、ハンデを抱えた部分を克服するほうがよっぽど大変だと思うのだ。
「そうだね。なんでも、どうしても勝ちたいひとがいたらしいよ。それまでは見た目にすごくコンプレックスがあったみたいなんだけど」
勝ちたいひと、に一瞬だけ共感しそうになってから思い直す。
「ふーん。恋愛絡みかね」
わたしの場合は中身のほうだけど、今日子さんだったらそれこそ虎次郎兄ちゃんの女版みたいのでもない限り、そっちは圧勝しちゃいそうだし。っていうかわたしから見ればまさにそれが今日子さんだ。
「詳しくは知らない。でも外見で勝ちたいんだから、そうなんじゃない?」
だよな。あのひともやっぱ女子ってことか。
「でも彼氏いなかったんだよね。上手くいかなかったのかな」
「その気になれば簡単に奪えたと思うんだけどね。性格かな」
簡単に言いやがって。さすが肉食獣。
「そういう今日子さんだから誰にでもモテるんでしょ。自分と一緒にすんなと」
若干きつめの冗談なのはわかってても、こういうこと言いたくなっちゃうのはわたしもまた女子ってことなんだろう。
当然なにか言い返してくると思ったのに、アイリはそこで黙りこんでしまった。
あれ。ひょっとして地雷だった?
「……なに大人しくなってんのよ。お兄ちゃんは渡せないけど、友達ならわたしがいるじゃん」
申し訳なくなってフォローすると、アイリは子供みたいに目を丸くした。
やや間を置いて、今度は急に吹き出す。
「っくくくく……」
そのまま俯いて、しばらく肩を震わせ笑い続けた。
やがて顔を上げ、あーおかしい、と言って目尻を拭う。いったん息をつくも、わたしの顔を見るとまた吹き出した。あのなぁ。確かにちょっとキザだったかもしんないけど、涙出るほど笑うこたねぇだろ。
それから天使の笑顔、の頬をちょっとぷるぷるさせながら言う。
「そうだね。ふふ。かりんも女にモテるでしょ」
「……まぁ、昔はそうだったかもね」
いまも後輩にはモテるし。わたしが壁を作ってなければ、そうなってたかも。
気を取り直して残ったお茶に口をつけ、これからのことを考える。
「そろそろ、わたしも成長しなきゃな」
いつまでも昔のこと引きずってたってしょうがないし。
反省混じりに思ってると、わたしもだね、とアイリも小声でこぼした。
続けてこっちに向け、やけにすっきりした表情で背すじを伸ばす。
「でも、虎次郎さんのことだけは譲らないから。ごめんね」
「はいはい。性格だね」
まったく。言わなくてもわかってるっつーの。と、わたしは言わずに笑った。
明けて月曜の放課後、わたしが部室に顔を出すと、すでに今日子さんはいた。
「こんにちわ、こないだはごめんなさい」
「大丈夫だよ。忙しかったんでしょ?」
ええまぁ、とわたしはいったん微笑んでごまかす。
監督役の唯さんと、写真部の結城先輩を合わせて5人いる今日のスタッフ(というか部員)さんたちは、進行について打ち合わせ中。邪魔しないよう簡単にそちらにも挨拶してから、改めて今日子さんに話しかけた。
「これから撮影だと思うんですけど、今日子さんも立ち会うんですか?」
「うん。今回からキャプションを担当することになったの。よろしくね」
そうなのか。ちなみにキャプションというのは小見出しとかちょっとした説明文のことで、例えば女性ファッション誌なら『着回しプチプラ10着コーデ!』とか『全女子必読!モテの法則最新版』とかそういうやつ。もちろんメディア部作成の雑誌『Youthful Days』は本来的にファッション誌じゃないから、あまりそっち方面にエンタメ要素の強い言葉遣いはしてない。
にしてもこれっていままでは三崎先輩がやってた仕事なのに、入部そうそう副部長の仕事を奪うとかやっぱ餅は餅屋ということか。
「今日子さんに見られると思うと、なんだか緊張します」
見られるのには慣れてるっつーか仕事でも、もともと唯さんの予定ではわたしの立ち位置に今日子さんがいたはずで、そこを加味すると変に気負いそうになる。
「わたしだって緊張するよ? 初仕事なのに、本気のかりんちゃんに負けない言葉を頑張って選ばなきゃいけないんだから」
「でも得意そうじゃないですか。けっこう研究したんでしょう?」
今日子伝説その1から察して、そうとうな量のファッション誌を読み込んでるに違いない。それで元文芸部なのだから、出来には期待していいのかも。
「あ、うん……まぁね」
ちょっと口ごもったのは、そのあたりの事情をわたしが聞いたことを知らないからだろう。これもあとでツッコんでおくか。
そこで打ち合わせは終わったらしく、唯さんが手を鳴らしてわたしたちの注意を引いた。
「よーし、そんじゃ今日子ちゃんのデビュー戦、気合い入れていこっか!」
ですね、と唯さんに応えてから、こちらこそよろしくお願いします、とわたしは今日子さんに頭を下げた。それから持参した衣装とメイク道具を手に、担当のスタッフさんたちと用意を始め――
「――はい、みんなお疲れ様」
2回の着替えと、校内各所への移動を含め1時間ばかりの撮影を終え、わたしたちは部室に戻ってきた。
「じゃ、各自持ち回り確認しつつ撤収で」
唯さんの仕切りを合図に、うぃーす、お疲れ様ー、といった感じで返事して部員さんたちが引き上げる。わたしと唯さん、それから結城先輩はまだ残り、デジカメのデータをパソコンで出力して写真をチェックするのがいつもの流れ。補正など細かい作業は後回しでも、採用する写真はだいたいこの段階で決めてしまう。
そこに今回は今日子さんも加わって、4人でモニターを眺めてる。
「もう一通り出来たんですか?」
以前に担当してくれた三崎先輩はここに参加せず、送った画像データを見ながら自宅で作業するのが常だったので、手元のメモとモニターを見比べる今日子さんが気になってわたしは話しかけた。
「ううん、思いつきだけ。あとでちゃんと推敲するよ。でも」
撮影の間ずっと、今日子さんはメモ帳になにやら走り書きしてた。おそらくキャプションのアイディアなのだろうけど、昨日の反省で集中力キープに一生懸命だったわたしは、ここまでそれに触れてこなかったのだ。
「言葉のライブ感っていうか、現場の印象はなるべく残しておきたいんだ。こういうのって、ただ綺麗なフレーズを並べればいいってもんじゃないと思うから」
あ。それ。
「お兄ちゃんも似たようなこと言ってました」
「え?」
昔、作文の書き方を教わってたときだ。虎次郎兄ちゃんは小さい頃から大人みたいな熟語や慣用表現をたまに使って、子供心にそれがカッコよく思えたのだ。で試しに真似したところ、赤ペンでさんざんにダメ出しされたことがある。
「『風景の描写ならそれを読んだひとが思い描けるように、心理描写ならその感情や考え方に興味を持てるように。大事なのは説得力とリズム。美しさは二の次』だそうです」
確かにいま思えば、ひらがなばかりの読書感想文にいきなり漆黒だの必定だの虎視眈々だの出てくるのは不自然すぎる。でも当時のわたしはその言い分が不服で、「偉そうに。だったら普段喋るときからそうすればいいじゃん」と返してケンカになったりした。
「……そっか」
感慨深げに、今日子さんは柔らかい微笑を浮かべた。
「そうなんです。言葉って難しいですよね」
まぁ個人教授の甲斐あって、わたしも作文やレポートの類いは不得意というわけじゃない。でも説得力を重視すると論理に偏った堅苦しい文章になりがちで、教師陣には評価されても、友達やクラスメイト、例えばいずみあたりに言わせるなら「読みづらい。回りくどい」ということになる。
かといって読みやすさ、リズムやテンポの良さを重視すると今度は言いたいことがいまいちぼやけてしまい、メールなどではたまに「ニュアンスすぎ」とか言われたりするので困る。
「そうだね……。わたしも、まだまだ修行中だよ」
ほんのり息をつき、今日子さんはモニターに目を戻す。わたしもそうした。
30分ほど4人であーだこーだ意見を交換したのち、わたしたちは帰途につく。結城先輩は写真部室に戻り、唯さんは利用駅が逆方向なので、いまは今日子さんとふたりきりだ。
ついこないだまでならこの状況を喜んだに違いないのに、素直にそう思えなくてどうも口が重い。和樹の言葉が、まだ尾を引いてるのだ。
そいやあいつと初めて会ったのもこんな流れのあとだったな、と少し前の出来事を思い出すと、見透かしたように今日子さんのほうから口を開いた。
「ごめんね」
「……えーと。どちらのお話でしょう」
ここでそう来られると、いまとなれば皮肉に聞こえてしまう。と同時に、そんなふうに思ってしまうのはわたしの内心がやや荒んでるからかもしれない。きっと、わたしに必要な成長はそういう部分なのだ。
わかっててしらを切ったのも、たぶん気づかれてるだろう。
「文化祭の、っていうより、和くんのこと」
「いえ、こちらがやりすぎたんですから」
もともとなにがいけなかったのか、はまだ言ってない。あれは正直かなりみっともない理由なので、出来れば言わずにおきたかった。
「うちのほうこそ、お兄ちゃんがごめんなさい。まだ謝ってないそうで」
案の定というか、あいつは今日子さんに恥をかかせたことには謝罪しても、和樹に対しては無視を決め込んでるらしい。
ついでなので、お兄ちゃんがなぜあんな態度に出たのかをわたしは話した。あのバカは少しぐらい情けない思いをしたほうがいい。
「……なるほど、ね」
「あんまり驚いてないですね」
「うん。まぁ、聞いてたからね」
この『聞いてた』は、おそらく昔の虎次郎兄ちゃんがわたしにとってどんな存在だったかについてだろう。その話したときも特に驚いてなかったけど。
「かりんちゃんと事情は違っても、ほっとけない子なのは確かだもん」
「だからわたしがこじらせちゃった話も、普通に受け入れてたんですか」
これもけっこう恥ずかしいんだけど、どんな反応するか見たくて訊いてみた。
「……え、わたしは違うよ?」
……そっちに取ったか。もうちょっとツッコみたいとは思うも、うかつに藪を突いて和樹の気持ちをばらすことになったらさすがに可哀想だ。
その勘違いは困るな、と前置きしつつ、でも今日子さんはもう一度、ごめんね、と言った。
「きっと甘やかしすぎたんだろうね。そこはわたしの責任」
今日子さんひとりの責任じゃないと思いますけどね。長らく……かどうかは不明ながら、父子家庭だったわけだし。わたしも母子家庭もどきをやってるから、やや放任気味になるのは容易に想像がついてしまう。
「姉弟になって、まだ3年ぐらいなんですよね。打ち解けるだけでもけっこう時間かかったと思いますし、これからじゃないですか」
頃合いと思って言うと、今日子さんは少し表情を曇らせる。
「……聞いたんだ、和くんから」
「はい。今日子さんがエロゲーマーであることも」
「えっ!」
今日子さんは驚きの声を上げて立ち止まった。わたしはあえてそれに合わせず、ただ歩調を緩めるに留める。
「ま、待ってかりんちゃん!」
「大丈夫です、これはわたしの胸のうちにしまっておきますから」
慌てて追いかけてきた今日子さんに、わたしは笑顔で応える。
「アイリは知らないんですよね、ギャルゲーマーであることまでしか」
「ねぇなんでそんなこと聞いちゃったの!?」
今日子さんは若干涙目で訴えてくる。これを知られてしまったのはやはりショックらしい。悪いことしてると思うけど、ここまでは予定通りというか、とりあえず落ち着きを失わせることには成功したようだ。
わたしはそのまま揺さぶりを続ける。
「触りだけです、あまり詳しく聞いてません。今日子伝説その1『地味系文学少女の変身! あの子が学年一の美少女に?』と、その2『バレンタインの惨劇』までです」
「変なタイトル付けないで!」
あいつ余計なことを、と顔をしかめる今日子さんにわたしは少し吹き出す。
「だって30人から告られてぜんぶ振るとか、完全に虐殺じゃないですか」
いままで彼氏がいなかったってのは、つまりそういうことだろう。これをわたしが言うのも大概だとは思うけど。
「モテるわけじゃない、って言ってたのになー」
「うぅ……違うってば、あんなのただのギャップ効果だよ……」
まぁね、それは少なからずあったんだと思う。モテを意識しての夏休みデビューみたいのはありがちな話だし、そこに男子が食いついてきて一時的に人気急上昇、ってのも珍しくない。でも今日子さんの場合はそれだけじゃないと思うんだよな。
「その3はさしずめ『教祖誕生、そしてファンクラブ結成』とかですかね」
思いついて言うと、今日子さんは俯いて目を逸らした。顔が赤く見えるのは夕陽のせいだけじゃなさそうだ。
「正解しちゃいましたか……」
「自分だってあるくせに……」
あれ? まぁ確かにあるけど。なんでそんなの知ってるんだろ。
「わたしの場合は女子限定ですよ?」
後輩女子がLIMEで作った『かりん先輩を見守る会』なるグループが存在して、同学年にも面白がって参加してる子がそれなりにいるらしい。とはいえもともと女子が内輪で盛り上がるために作った経緯のせいか、いまも男子禁制になってるのだという。ぶっちゃけ非公認なのでわたしはあまり詳しくない。
「え? ……あ、さては聞いてないんだ」
ん? いや男子は男子でなにか作ったって噂も聞いたことあるけど。当事者のわたしですらよく知らないのに、しかもうちの中学の内情を今日子さんが知ってるっておかしくね?
首を傾げつつ視線で続きを促すと、今日子さんは一転、表情を輝かせてスマホを取り出し、はい、とアプリを立ち上げて画面をわたしに見せる。
グループ名『God Save the かりん(79)』なお数字は参加者数だ。
「高嶺くんが作ったんだよ。もちろんあのひと会長ね」
「バ!カ!か!」
あいつはなにがしたいんだ! あと名前がひでぇ!
頭が痛すぎる。わたしより、むしろお兄ちゃんのが。
なにをいまさら、と今日子さんは呆れ笑い。
「ちなみにわたしが名誉ある会員ナンバー1番を貰いました」
「まずそこに今日子さんのいる意味がわからないんですけど?」
「だって、わたしもかりんちゃんのファンだもん。気づいてなかったの?」
知るわけねぇし。つーかわたしこそ今日子さんのファンだし。
「……もう。そうですか、3次元もいける口でしたか」
ちぇ。すっかり予定が狂っちゃった。アイリから聞いたネタを元に、主導権を握りつつ話の核心に迫るはずだったのに。
あっさりペースを取り戻した今日子さんは、かわいい女の子が嫌いな人類なんていません、と冗談だかなんだかわからない開き直りを言ってからかう。そんなふうにはしゃぐあなたこそかわいいです、とはいまは言ってあげない。
やれやれ。しょうがない、違う角度で仕切り直すことにしよう。
話の内容次第では、わたしが先に謝ることになるかもしれない。最後まで、ちゃんと上手くやれるだろうか。
「それはいいとして、いくつか聞きたいことがあります」
真面目な顔を作って言うと、今日子さんもゆるんだ表情を戻した。
「うん。どうしたの、改まって」
「さっき部室に今日子さんがいたこと、わたし驚きませんでした」
「唯さんから聞いてたんだよね? 今月から参加するって」
やっぱガード固いな。打てば響くってのは普段の会話であれば楽しくても、こういうときはやりづらい。なんでそういうとこまで似てるかな……。
「はい。だいぶ前から誘われてたってことも。それ以前に、グラビア担当も本来は今日子さんだったってことまで」
実際、唯さんからわたしに話したことを聞いてた可能性はもちろんある。ただこれは唯さんとしても失言だったようだし、反応を見る価値は充分だ。
「本来はっていうか、唯さんのなかでは、ね」
「それを断って、わたしが代役に立てられたことも聞いてます」
「そっか。……わたしじゃ役者不足だもん。やっぱりいやだった?」
わたしは首を横に振り、そうは思いませんけど、と言って本題に入る。
「なら今日子さん、わたしのこと知ってたんですよね。最初に会ったときから」
「あ……うん。最初って、唯さんと一緒のときだよね?」
この切り口は予想しなかったのか、今日子さんは少し言いよどんだ。わたしはその瞳の奥を覗き込む。少しだけ、不安の影が見える気もする。
「……どうしてなにも知らないふりしたんですか?」
「それは……いきなり馴れ馴れしくしたらいやがるかも、って思ったから。こっちが一方的に知ってるだけなのに」
そんなことしそうなひとに思えませんけどね。少なくとも、名前も顔も知らないふりをする理由にはなってない。
「どちらかと言えば、わたしのほうが馴れ馴れしかった気がしますけど」
けっこう甘えてた気もするし、しまいには妹宣言だし。結果として上手くいったとはいえ、あれは自分でも頭が悪すぎたと思う。
「言ったじゃない、ファンだって。けっこう緊張してたんだよ?」
「それこそ、なにをいまさらですよ。アイリにあんな懐かれてるのに」
わたしだって最初はあいつに対してすげぇ緊張したからな。なにこのCGみたいな女、って若葉の言う気持ちもわかる程度には。そんな奴から、妹ポジション取られたわたしに嫉妬するほど愛されてる先輩なのだ。だからその理由はおかしい。
というより、そもそもわたしのファンっていうのがおかしい。
「今日子さんが美少女萌えなのはわかりましたけど、それだったらアイリのファンでいいじゃないですか」
当然の疑問を口にすると、今日子さんは困った顔を見せる。
「それは……うーん、難しいな……」
仮になんらかの気まぐれで、現在わたしのファンであることが事実だとしても、最初からの理由なんてあるはずがない。
こわばる思いを胸のうちに隠し、わたしはただ返事を待つ。やがて耐えかねたように、今日子さんが深いため息をついた。
「ごめん。言うタイミング間違っちゃったみたいだね。あんまり早くほんとのこと言ったら、ちょっと気持ち悪いかもって思ったの」
いずれ言うつもりだったんだけどね、と挟んでまたひと息。
「大丈夫です。どうぞ」
わたしは嫌味にならないよう笑顔を作る。いまとなればもう、今日子さんがなんであっても構いません。エロゲ好きだろうが腐女子だろうが受け止めてみせます。
腹芸はここまで、と覚悟を決めるわたしに、今日子さんも笑顔を見せた。
「わかった。じゃ言うね。……実はね、わたしなんだ」
「はい」
「かりんちゃんを、唯さんに推薦したの」
よし来……あれ?
「へ?」
変な声出た。いったいなんの話してるんですか今日子さん。
「かりんちゃんをいつから知ってたかっていうのなら、ずっと前から知ってたよ。わたし毎月『Cathy』買ってるもん」
「え? えーと」
説明しておくと、『Cathy』はわたしとアイリが読モを始めた雑誌で、専属契約でなくなったいまもほぼ毎月出させてもらってる。メインターゲットは10代半ば~後半ながら、気持ち背伸び気味の大人かわいいおしゃれを楽しみたい層に向けた内容が特徴。
それはともかく、文脈がまだわたしには読み取れてない。和樹に言われたことを反省して、早とちりでキレないように、と頑張ったのに。
肩すかしどころか、混乱は深まるばかり……あ。
「そっか。アイリ」
と、ようやくひとつ気づいた。考えてみればいろいろなファッション誌に目を通してきてるだろうし、その入り口が、自分のおしゃれ師匠であるアイリの活躍する雑誌なのは当然だ。
で、わたしもそこにセットでよく登場してる。どうでもいいけど先月は『アイリとかりんのプライベート夏服大公開!』なるコーナーがあって、アイリのガチ私服は普通10代じゃ手の届かないお値段のものが大半なせいで、わたしの服を何着か貸すはめになった。
余談はともかく、わたしのことを知ってた理由はそれで説明出来る、にしても。
だったらなおさらアイリでいいはずです、と言うより先に、今日子さんはまた足を止めた。初めて聞くかすれ気味の声が、わたしの疑いを責めるように響く。
「うん。だからほんとに前からファンなんだよ。これ唯さんにも言ったけど、同世代の女子でアイリに引けを取らない子がいるなんて信じられなかったもん」
いや引けてますよ。必死なんですよ、と言いたいところながら、いまそれを言うのは違うと気づく。『だから』の意味が、だんだんわたしにも見えてくる。
今度はわたしも立ち止まり、まっすぐ向き直った。
「引き立て役を受け入れてたら、モデルなんてやれませんから」
これは強がりだけど、本音でもある。
やっぱり強いね、と呟いて一度逸らした視線を、また合わせてから今日子さんは自嘲気味に微笑む。
「そんな子がすぐ隣の中学に通ってるって聞いたら、わたしの出る幕じゃないよ」
眼差しに既視感を覚え、それがなんであるかに気づき、少し居心地が悪くなる。
いまわたしを見るその目は、昔の虎次郎兄ちゃんにそっくりだった。
「……そうだったんですね」
やっとわかった。
いや、わかったと言うのはきっとおこがましい。
実際このあたりの感情は難しいのだ。冗談じみたスペックの虎次郎兄ちゃんをずっと目標にしてきたおかげで、勝てない相手の背中を追うことはわたしにとって普通のことだ。でも当のお兄ちゃんは、小さい頃から外見のせいでわたしに劣等感があったらしい。
そしてここでは、今日子さんがわたしに同じものを向けてくる。
「わたしが友達だってことも、アイリに聞いてたんですか?」
「そうなんだよね。あんな子は見たことない、って楽しそうに言ってたよ」
なるほど、これはある種の判官贔屓かもしれない。
わたし自身を含め、誰もわたしがアイリに勝てるなんて思ってない。仕事仲間のうちでも、あれは別格、という評価がそうそうに固まって久しい。単に造作の話に留まらず、見られる、魅せるということについてあいつは天性のものを持ってる。
「始めの頃は、嫌われてたみたいですけど」
「そうでもないよ。あれはヤマアラシのジレンマ」
なんだそりゃ。やっぱかわいいなあいつ。
「こっちはずっと憧れてるんですよ」
だからこそわたしはアイリに挑んだ。かつて虎次郎兄ちゃんを助けられなかったわたしは、性格もあって孤立してる姿を見てられなかったのだ。代償行為と言われようとも、それを見て見ぬふりすることこそ、わたしにとっては敗北だった。
「チャレンジャー気質なんです、わたし」
当然そんな個人的な事情は誰も知らないわけで、「なにあの子調子乗ってんの」とか陰口もまぁ叩かれた。孤高の女気取ってるだのといずみあたりは言うけれど、それは逆だ。
孤高のひとを、独りにしておけないのがわたしだ。
「知ってる。わたしはそんなかりんちゃんに憧れてるよ」
再び覗いたその瞳にもう陰りはなく、ただ綺麗な輝きしか見つけられなかった。そこに映るわたしの姿も、今日子さんにとってはそうなのかもしれない。
「複雑ですね、わたしたち」
「そうだね」
わたしがほんとはなにを言おうとしてたのか、もう伝わってるだろう。必要なら今日子さんのほうから口にすると、目だけで会話してる気分。
近くに空いてたベンチを、座りましょう、と言ってわたしは指し示す。時期的にまだ蚊が気になったけど、そこは虫除けスプレーに頑張ってもらうことにする。
さてと。うん、いまはこれでいいや。
「わたし、今日子さんのこと好きですよ。嘘じゃないです」
「女子から告白されたのは3人目だね」
お。勝った。わたしはこれまでに4人。でもそうじゃなくて。
「茶化さないでください」
真剣に話したかったのも、その気持ちを裏切られたくなかったからだ。
「ふふ。ごめんね。わたしもだよ」
なのでこれは、もう素直に嬉しい。
――アイリにそういう友達が出来て良かった。
きっとわたしは知らず、今日子さんが出来なかったことをしたのだ。
「話してくれて良かったです。いっそうやる気が沸いてきました」
わたしもだよ、とまた今日子さんは言って微笑む。
「今回からキャプション担当するのも、わたしから三崎先輩にお願いしたんだよ。どうしてもかりんちゃんと一緒に仕事してみたかったから」
その言葉にも、嘘があるようには見えない。憧れるだけでなく、これで文字通り隣に並んだ気がする。わたしのしてきたことは間違ってなかったと思える。
「来年からは、アイリの担当もするんですよね。きっと喜びますよ」
「え?」
あれ。内緒にしてたんだ。ほんとかわいい奴だな。
「聞いてなかったんですね。あいつ東高受験するって言ってます」
「……そうなんだ」
口止めされた覚えはないし、これは言ってもいいだろ。
「今日子さんを追いかけてくるそうです」
そうなんだ、ともう一度、今日子さんは物憂げに呟いた。……ふむ。
あまり嬉しそうじゃないですね、とは言わないでおく。ふたりの間には、わたしの知らないことだってあるべきだ。少なくとも、お互いの気持ちが嘘でない限り。
横顔を眺めるわたしに気づいた今日子さんが、照れ混じりの上目遣いになる。
「でもそれ、わたしだけじゃないと思うよ?」
「お兄ちゃんもいますしね」
「もう。わかってるくせに」
わかってますけど。恥ずかしいから言いません。
「ただいま、っと」
今日子さんとはそのままベンチのところで別れて帰った。制服を着替えて1階へ降りれば、思った通りお兄ちゃんは料理中。大鍋でなにか煮込みながら、最近買ったらしいタブレットを眺めてる。レシピ集か、あるいはその手のサイトだろうか。
「なんか手の込んだもん作ってんの?」
「ああ、ちょっと涼しくなってきたからね。……そろそろいいかな」
言うとお兄ちゃんはタブレットを置いて鍋から灰汁を丁寧に掬い、それから調味料置き場にいつの間にか大量に増えたスパイス類を作業台に並べる。
ってことは。
「もしかしてカレー?」
「今日はかりんの帰りが遅いってわかってたし、時間あったからね」
おお。そろそろ作ってくんないかな、ってこっそり期待してたけど。
「横で見てていい?」
「どうぞ」
やった!
ちょっと待ってて、と言ってわたしはいったん2階に上がると部屋からスマホを持ち出し、キッチンに戻ってカメラを立ち上げる。
スパイスから作るカレーとか、これはわたしじゃなくても自慢したいだろ。
写真を撮りまくるわたしの横で、お兄ちゃんはキッチンスケールで計量したスパイス各種を混ぜ、フライパンに開けて乾煎りする。すぐに香りが立ち上り、それをざっと鍋に放り込んで軽くかき混ぜると、ひと煮立ちさせて火を止めた。
「もう食べる? なら皿用意してくれるかな。おれサラダ出すから」
この間、2、3分ほど。
「……え、出来たの?」
「そうだよ?」
「早くね?」
「だって、あとはスパイス入れるだけだったし」
「簡単じゃねぇかよ!」
もう終わりかよ! なんかもっとこう、エンタメ的なのがあると思ったのに!
なんで怒られるのかわからない、と首を傾げるお兄ちゃんに手順を尋ねると、市販のルーを使ったものとの違いは、具材を煮込むときに味を足すためのブイヨンを加えることぐらいしかないらしい。わたしのわくわくを返せ。
ただお兄ちゃんの場合、鶏肉をしばらくヨーグルトに漬け込んで柔らかくしたり(なおそのヨーグルトもカレーに入ってる)、肉に味を閉じ込めるため粉を振って表面を焼いたり、鍋に水を入れる前に野菜を蒸し煮したのちホールトマトでもうひと煮込みしたり、といった部分に数時間かかるのだという。むしろそっちの工程を見たかった。
まぁ、超美味しかったんだけど。
「あれもやっぱ、2日目のほうが美味しくなるわけ?」
そんでいまは、例によって食後のお茶の時間。
「そうだよ。出来たてはちょっと尖った味になっちゃうんだよな」
ふーん。じゃそれはまた期待しよう。
「でもカレー作ったってことは、明日忙しいの?」
「忙しいってほどでもないけど。新曲作るからさ」
「まじで?」
それも早くね? 確かに週1曲とか、ときには何曲も立て続けにアップしたりするPもいるとはいえ、わたしの知るころたね氏は2ヶ月に1曲ぐらいだったのに。
「なにその溢れる創作意欲。売れようとでもしてんの?」
まぁ売れていいというか、売れたらいいなと思う。でもこいつ、いままでそういう上昇志向みたいのはない印象だったんだよな。気が変わったのかな。
「いや、いまのところは特に。あと『Flower of Fortune』の別アレンジも作ろうと思ってさ」
「へ? なんでよ。わたしの印象変わったりした?」
件の曲は、夏休みに作ってもらったあれのことだ。やたら綺麗な曲で、大げさなタイトルや歌詞には照れもありつつ、めちゃめちゃ気に入ってるのに。そりゃ2年前のわたしを意識して作ったっていうなら、雰囲気合わない部分が出てきても仕方ないかもしれないけど。
なおPVも完成して、最近ニコ動にアップされた。現在約1万再生。殿堂まで行けるかな、と思う一方、プライベートな思い入れが大きすぎて、あまり『みんなのもの』になって欲しくないという複雑な気持ちもあったりする。
「かりんは何年経っても変わらないよ」
と言ってお兄ちゃんはいたずらっぽく笑う。
「そこで恥ずかしい歌詞引用するなし!」
まったく……曲中では『何年経っても変わらないでいて』なんだけど。
でもこれ、いい機会だから訊いておこう。
「つーかそれさ、大人になるなって意味じゃないよね?」
わたしには変身願望みたいなのはあまりないし、変わるという言葉は、成長的な意味でしかピンとこない。だからスタイルというか、生き方の軸的な部分で変わるなと言うなら、いまのところその予定はないから別にいい。
でもこいつの甘やかしっぷりを見るに、いつまでも掌で転がせる妹でいて欲しいって願望が込められてそうで、ちょっと気になってたのだ。
「そんなわけないだろ。かりんがいっそう綺麗になったらおれは嬉しい」
外見だけかよ。やっぱ変なニュアンスあるんじゃねぇの?
ツッコむべきか一瞬迷う間に、お兄ちゃんは急に表情を変えた。それから少し、じゃない、わりと申し訳なさそうに肩をすくめ、わたしのほうに身を乗り出す。
「それはともかくとして……これ、やっぱり言わなきゃだめだよな」
「……どしたの。いきなりかしこまって」
なんだか妙にいやな予感がして、わたしはさっきの追及を諦める。こいつが言いづらそうにする話って、経験上だいたいろくなことじゃない。
お兄ちゃんは後ろ頭を掻きながら言う。
「アイリが、あの曲を欲しいって言うんだよ。『わたしのために書かれたみたいな曲だから』ってお願いされて……真剣さに押されたっていうか」
ほらな! しかもなんだそのどっかで聞いたようなセリフ?
「はあ!? だめに決まってんじゃん! あれわたしのでしょ?」
つーか押し返せよ。なんでよりによってあの曲なんだよ。
「そうなんだけどさ……文化祭のとき、アイリにも迷惑かけちゃったし。断り切れなかった」
こいつ最悪。それどういう意味かわかってんのか。言えないけど。
「ごめん。だからかりんには、せめて新しい曲作らなきゃと思ってさ。許して」
「やだ。だったら新曲をアイリに作れ」
許せるわけねぇだろ。そういう問題じゃねぇよ、ってかアイリもひどいよ。なんだよそれ。このバカにはわからなくても、あいつは絶対わかってるはずなのに。
「おれもそう言ったよ。でもどうしてもあれがいい、って譲らなくて」
「それでアレンジ違い? つーかあんたアイリのことそんな良く知ってんの?」
もうひとつ、いくら女にだらしなくても、お兄ちゃん(あるいはころたね氏)に雑な仕事はして欲しくないというのもある。いま自分で新曲あげろとか言っといてなんだけど、そういういい加減なノリで、作曲であれアレンジであれ出来ちゃうんだろうか。
「それも言った。あれはかりんのイメージでぜんぶ作ったし、深いところまで見てない相手のためになんて、まともなアレンジも思いつかないから」
あ、なんだ。そっか。だよな。ちょっと安心した。
「ならどっちにしろまだ無理じゃん」
こんな話が出てくるぐらいだ。アイリと今日子さんがそうであるように、わたしの知らないお兄ちゃんとの関係だって当然あるだろう。それを根掘り葉掘り聞き出そうとは思わないし、勝負の決着がどうなろうと、恨みごとを言うつもりも親友を辞める気もない。
だからってこのやり方はフェアじゃない。結果を焦るあまり、ひとの想う心の足を引っ張るような奴じゃないと思ってたのに。
「わたしから断っとくよ。そういうのが欲しいなら地道に距離を詰めろって」
言った端からわたしはスマホを手に取ってLIMEを立ち上げる。今日子さんの件が一段落したと思ったら、今度はあいつか。少しは落ち着かせろと。
「いやそしたら、またデートしてくれって言われてさ」
通話アイコンをタップしようとしたところに言われ、手が止まった。
「は?」
「『もっとわたしのことを知ってもらえるように』って。ミタ高? 中? どっちでもいいか、今週末に文化祭だから来てくれ、って」
声のトーンが地味に明るくなってるのを、わたしは聞き逃してない。そっとアプリを閉じてスマホを置き、お兄ちゃんにジト目を向ける。
「……行くの?」
「え、行くよ? アイリの制服姿も見てみたいし」
「ほんっとだらしねぇなあんた!」
そこは悪びれもしねぇのかよ! 安心して損した!




